癌の痛みに比べたら

  27, 2017 07:00
昨日、一昨日は、治っていた首の痛みがまたぶり返してきて、ロキソニン湿布をしても、思わず声をあげるくらいの痛み。
本を右手で持って読もうとしてもできない。
このところ、少し無理をし過ぎたのだろう、寝返りと打つこともできずに、じっと天井を仰ぎ見るしかなかった。

痛みというのは、他からは分かりづらい、感じるのも個々に違う。
我慢強い人や痛みに強い人がいる。

私は痛みに我慢強くないのかもしれない。



中学2年生の夏だった。
祖父が胃癌で死んだ。

激しい痛みに断続的に襲われ、耐え切れない祖父は、
亡くなる寸前まで、「殺してほしい」と涙を流し、医師に訴えていた。

その光景は悪い作用を及ぼすような感じで、私の心に刻まれてしまった。

あのころ、私はまだ子どもで、 祖父の苦しみを見て怖くなり、その場に居た堪れなくなってしまった。


痛みに悶えながら、希望のない生のなか、死を待つだけの祖父の苦しみに、心を傾けることもできなかった。

それまでは、胃痛すら訴えたこともない祖父が、春先に突然、吐血した。
救急車で運ばれた市民病院での検査により、胃癌であることが判明する。

手術で開腹をしたが、すぐに閉じられた。
末期癌の前に、当時の医療では成す術は何もなかったに等しかったのだろう。

胃の辺りを痩せこけた手で押さえ、熱い、痛い、苦しい、と言い続け死んだ祖父。

今度は、私は、天井の光景に目を背けることなく、心に浮かぶ思いを考えてみた。
首の痛みを増大させてしまう私の心には、今回もまた、祖父の死の光景があった。


痛みとは、脳で感じるのだろうか。
それなら、私の痛みは、祖父の凄惨な死に立ち向かえなかった自分の不甲斐なさと関連があるのかもしれない。
痛みとは、死ぬより以上の苦しみなのだと、私の記憶にインプットされてしまった。


昨日は我慢せず、早めに痛み止めを飲んだ。
痛み止めという薬を飲むことは、その自分の心の深いところにあった記憶を表面に浮かび上がらせてくれた。

首の痛みくらいなんだ。
あの壮絶な癌の痛みに比べたら取るに足らないことだよって。

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夏が大好きだった小さなころ

  26, 2017 07:30
振り返ってみれば、自分が育った背景もあるからだろう、私にとって佳き時代だったといえる昭和。

実家が解体されるという、突然の驚きから今はようやく、事実を受け入れた。
突然のようだと、心は感じたけれど、芯では、こうなるだろうなと予感めいたものはあった。


両親が亡くなって間もなく、跡を継いでいる三女から、新しく家を建てようと思うと、相談があった。
長女も私も、今の実家を新築するのだとばかり思っていたけど、そうではなく、元、畑だった場所に建てるという。


私の実家がある町は、江戸時代、お城を守るための砦のような配置で、家々が建てられている。
手っ取り早くいえば、城に攻め入られる前に、真っ先に犠牲になるように町家が建てられているということ。

hosobeya.jpg

昨日は、体調もばっちりで久しぶりに実家に行った。
解体が進んだ家は、土壁、しっくい古い木材の匂いなどがそこかしこに充満していて、やはり独特な香りを放っている。


先に蔵から解体しているので、まだ残っている座敷の縁側に寝ころびながら、ここで過ごしてきた年月を想った。

いとこ同士で、虫取り、花火大会、 夏休みの友は、白いまま日は流れていく。
楽しかった日々これからますます豊かな都市文化の捻りがもたらされようというとき、まさにそういう時代に私は生まれた。



そのころ、下町の町家には路地があり、泉州弁では、「ほそべや」、と呼ばれていた。

hosobi.jpg

夏の蒸し暑い日も、ほそべやには涼やかな風が、どこからともなく吹いてきて、【一幅の涼】、などという難しい言葉を使う、私はちょっとおませな子どもだった。

rankan.jpg

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父の読む本の中に書かれている、それは難しいけれど、香しい雰囲気を放つ言葉を使ってみたかったのだろう。
そんな、ひねこびた子どもに、ほそべやで涼をとる大人たちは、「賢い子やな!」と、関心し、褒めてくれて、ますます私は図に乗るのだった。

それでも、家を取り巻く、昭和のほそべやは、私の心を育む場所でもあったなと縁側に座り、空を見上げながら、涙がでてきた。
祖父母を懐かしみ両親を想い、過ぎ去った日々を振り返る場所はもうない。
けれど、家は確実に私の心に生きている。
そう思うと、懐かしさに逢いたくなったらいつでも心から取り出せばいいのだ。




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【 アリスのおいしい革命 】
アメリカで最も予約が取れないレストラン「シェ・パニース」のオーナーであり、世界中にオーガニック料理を広めた料理人、アリス・ウォータースさん。

aris.jpg

地産地消、有機栽培、食の安全など、食の安全に対するコンセプトをいち早く実践し、
【 アリスの提唱するスローフード革命 】として世界中に広がりました。

アリス・ウォータースは、1944年米国ニュージャージー州生まれです。
カリフォルニア大学でフランス文学を学ぶ傍ら、1965年、フランスに留学したことをきっかけに、フランス料理に興味を持ちました。

そして彼女が27歳のときにカリフォルニア州バークレーにレストラン「シェ・パニース」をオープンしたのです。
地元で採れた旬のオーガニック食材を使った料理が評判となり、その人気は世界的なものとなりました。

先だっても、少しブログ記事にしましたが、専業主婦になってから、俄然、食に対する意識が変化しました。
自分でも驚くくらい、食の安全、安心、健康などに目を向けるようになってきたのです。

ここで、もう遅い、と突っ込まれてしまいそうですが、正直、専業になるまでの私は、何の関心もありませんでした。
お恥ずかしいです。

アリスが提唱する”食事を大切にして、人生を豊かに暮らす”という考え方は多くのアメリカ人の食習慣や食べ物に対する考えを変えただけでなく、世界に広がり、「おいしい革命」と呼ばれているのです。

アメリカの方々は、かなり色のどぎついお菓子を食べたり、脂肪をたくさん摂ったりと、食に関してアバウトな印象を持っていました。
ところがポストハーベスト( 収穫後に農薬散布すること )に厳しい消費者目線を持ち、有機栽培で占められた食品を扱うスーパーマーケットがたくさんあるのです。


ALICE WATERS[アリス・ウォータース] の実践していることは、実は当たり前のこかもしれません。
けれど、今の時代にはなんと難しいことだろうと思うのです。





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