ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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一人登山をしてみて、見えた自分の心

しばらく、実家の離れに、姉妹が交代で寝泊りしている。
この辺も、少し物騒になってきて、解体が始まって養生シートがかかるまでは、用心に越したことはない。
と、姉が言い出した。


土曜日は私が泊まる当番にあたっていて、日曜日、早朝に実家を後にした。

午前5時と少し、いつもの山々もまだ眠っているのか、深い霧の布団に包まれている。
運転しながら思わず、深呼吸をする。
朝の空気の清々しいことに、ここは私を育んでくれた地なんだと改めて思った。



帰宅する前に、思い切って足の怪我後、一度も登ったことのない、大阪唯一の霊峰・金剛山に登りたくなった。
早朝登山でもないから、もう常連のハイカーでにぎわっていることだろうと思うと、矢も楯もたまらず車を右折する。


膝の術後、登山道から登ったことはなく、頂上付近まではロープウェイで登り、そこから歩くだけだった。
けど、ダメなら引き返したらいい、今しかない好機到来、この気持ちがあるときに登りたい。


本登山道の駐車場に車を停め、小学校の登山で登った平坦なコースをとることにした。

カラット晴れて気持ちいい、絶好の登山日和に、心が弾む。

二時間くらい歩き、標高八百メートル付近で休憩をとることにした。
山シャクナゲが咲き、ブナの新緑が眩しい。
斜面にはチゴユリの咲き名残りも見受けられ、その傍らには一人静ががつつましく花を見せ始めている。

hirtori.jpg

あと少しで山頂に着く。
後ろを振り返ると、モノレールの駅が見え、ここまで単独で登ってきたことに、胸が熱くなる。


西行法師の詠んだ句に、【 願わくは花の下にて春死なむ 】 というのがある。
まさに、この今の私の心模様を詠んだのではないだろうか。

山吹草が、朝露に濡れて、ブナの葉がそよそよと揺らいでいる。
この時間、このルートは人がほとんどいない、木と山と私だけの、この素晴らしき空間でなら、私も死んでも構わない。
そう思える。


yamabukiso1.jpg

buna.jpg

風薫五月に、またブナに逢えた!
これこそ、生きている実感を味わえる、私の歓びだった。

足の術後は登山もできないと、心はウツウツしていた。
所要時間、約3時間と半、常連ハイカーさんの倍くらいだろう。

けどできるじゃない!歩けるじゃない!痛まないじゃない!

山と自分の空間で、実家で聞いた同窓会の内容のことを考えてみた。
なんてちっぽけなことで、うじうじしているのだろう私は、そう思えた。
下山して日常に戻れば、また素の自分になるかもしれない。


けれど今、この瞬間、私は自分が落ち着いて呼吸できることが、健康に一番なんだと、
自分の本来の心を取り戻せたのだ。

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つくづく、こんな自分が情けない

今年、夏に小中の合同同窓会がある。
一度も参加したことのない私だったけど、今年は参加してみようという気になった。
どうしてだろうか、その時の心を量り兼ねる。



ブログには、もう何度も書いているけれど、私は新しい人間関係を築くことがとても苦手。
これは、ネットの世界でも変わらない。
自分からブログにコメントをしたり、訪ねたりするのは、心臓がパクパクするくらい、緊張してしまう。
何度か書いては消し、結局、投稿しなかったコメントも数しれない。


在宅で仕事をするようになって、なんとなく、このまま人付き合いもせずに、人生を終えることに悔いはないのか。
いろんな方々とお茶を飲むような感覚で、軽くお喋りする、そんなひと時を、ブログのコメントなどではもてているではないか。


意を決し、現実世界で、そんな自分を修正しようと試みたことがある。
お喋りに花を咲かせ、ランチに付き合い、ウインドーショッピングにも行ってみた。

もっというと、苦手なチャットのような、LINEグループにも誘われるがまま、トライしてみた。

そして、何十人もの女性が集う、習い事にも通い、数名の人とは電話でお喋りを愉しむ、ということもしてみた。
それらをした結果、私は疲れがどっと来て、家族とさえ口を利くのが億劫になってしまった。


無愛想な自分だから、目の前の相手に好かれようと、とってつけたような努力をする自分がいて、
そんな自分に私は心底、疲れた。

人にはやはり向き不向きがあるのだろう、と最近はもう無理はしない。
今は諦めの境地ではないけど、それは自分の個性だと、自分が認めてやろうと思っている。


実家の解体工事に伴い、お祓いをしてもらった神主さんと一緒に、本来なら神社を継ぐ立場の、私の同級生が来てくれた。
父にお世話になったと、座敷で食事をしてもらいながら、よもやま話のついでに、同窓会の話題も出た。



内容を聞いて、もう参加費は振り込んだけれど、無駄になってもいいかと思ってしまった。
二次会のカラオケ大会なんて、私は心臓麻痺を起こしてしまうかもしれない。

それに初参加の人は、檀上でスピーチをする、という。
送られてきた、同会への参加の往復ハガキでは分からなかった、その内容を聞くと、いつもの殻に閉じこもる自分が顔を出してくる。


無理はしないと決めたのに、ときおり、自分で理解できない激情に駆られてしまう。
そしてあとで、うじうじと潔くできない、つくづくこんな自分が情けない。

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不倫は文化ではない、けれど涙涙のドラマだった

大阪の読売テレビの開局55周年記念ドラマ、『 泣いたらあかん通天閣 』が三回枠で再放送されていた。
浪花節満載の大阪下町物語は、若干、大阪を大袈裟に表現しているとは思うけど、これが飛んだ誤差でなかなかのドラマだった。



ドラマは、大阪は通天閣のお膝元の、通称じゃんじゃん横丁が舞台になっている。
北側には天王寺動物園があって、この辺りはディープな大阪を垣間見られるからか外国からの観光客も多くみられる。

「おもろい、きちゃない、えげつない、しゃぁないやん」と、ディープな大阪の言葉が飛び交う。


このドラマは、大阪の下町の人情を描いてるけれど、母と娘の不倫騒動がメインになるようで、初めは抵抗があった私だった。
人々の人情に絡めた、母と娘の二代に渡る物語ともいえる。

主人公の千子(ちね)は周囲からせんこ、と呼ばれて大きくなった。

幼いころに母を亡くし、父の手で育てられた。

せんこの母は、東京に住んでいるころに、職場の上司と不倫関係にあったが、せんこを身ごもった彼女は、故郷の大阪で出産した。


その彼女に、せんこの育ての父親である、『げんこ』が求婚したのだ。
不倫関係で授かった『せんこ』とともどもに母と娘を守りたいとプロポーズしたげんこ。

大阪には吉本興業という東京のテレビ局に匹敵する芸能プロダクションがある。

所属の芸人は、俳優まさりの演技をする。
観て感動、観て笑える、観て泣ける。

そこが大阪地元で活躍している、芸能人だと私は思う。


せんこも、実はまた、不倫関係の子供を身ごもっている。
彼女には、幼馴染の『かめやん』こと雅弘がやはり、子供ともども見守りたいとプロポーズする。

二人は晴れて、せんこの実家のラーメン屋で結婚式を挙げる。
このドラマを良識や常識で観たら、怪訝な顔をしたり、不潔と思ってしまうかもしれない。

ドタバタ喜劇に仕立て上げてはいるけれど、視聴者がどんな反応をするのか、大阪のTV局の意図も見え隠れする。
ドロドロとしてしまう不倫を、大阪人のもって生まれた喜劇性で、明るくカラットさせる。

そして、観ている私に、「そうやな、不倫なんてほんまはあかんけど、しゃないわな、生れてくる子どもに罪はないんやから 」
なんとなく納得させることはできたかもしれない、と思う。

不倫さえも、あっけらかんと笑い飛ばす大阪人のど根性に支えられたドラマは、私には涙なくしては観られないものだった。






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電車内でお化粧をする女性

普段は、車が私の交通手段なので、滅多に電車には乗らない。
けれど、長年の悩みだったストレートネックをこれ以上悪化させないために、仕事を辞め、家事負担も軽減するようになった私には、暇な時間が出来てきた。

そこで、そろそろ、大好きな電車旅をしようと思うようになってきた。

早速、一昨日は、バスを利用して最寄駅まで行き、JRに乗り換えて目的地、奈良の橿原まで一人で行くことにした。
橿原までは、何度か乗り換えて、ちょっとした旅ほど電車に乗ることになる。
物珍しさも手伝い、つい車内を小さな子どものように、キョロキョロと見渡してしまう。


そんなときだった。
えっっー、と目についたのは、電車の中でお化粧をする若い女性にだった。
最近、電車の中でお化粧をする女性の数は少なくなったような気がしていたのに、その日は行き帰りの二度も、見かけた。

ブログを読んでくださる方には、信じられないかも知れませんが。
帰りにみた女性は、なんと、ジャージ姿からスーツへと、着替えまでしてのけた!(~_~;)


どんなふうに、その離れ業をやってのけたのか、想像してみてください。

彼女たちを見ながら思ったのは、他人の目を意識することはないのだろうかということだった。
恥の文化は、もう日本には存在しないのだろうかと思ってしまったのだ。


日本人を日本人たらしめているのは、実のところ、「他人の目を意識する」ではなかったかと思っていた。

家には仏壇があるというのに、クリスマスツリーを飾り祝う、その信仰心が薄い、宗教的にいい加減な日本人が
「他人からどう見られているか」を自分の行動を決める基準にしているという信仰といえばいいのか。


欧米などでは、一国一宗教ではない日本に対し、あからさまに揶揄するかのような発言も目にする。
まあ、それが悪いとは一概に言えない、八百万の神信仰の日本には、いい点もたくさんある、と思いたい。
現に、一国一宗教の欧州などでは、宗教戦争なども起こった歴史があるくらいだから。


チラチラと目の前の彼女を見る私には、電車の中で化粧をするという行為は、素っ裸の状態を他人に晒すような気がしてならない。


例え、お化粧をして美しくなるにしても、その過程をすべて、私やそれ以外の他人に曝け出している。
目の前の彼女も、まさか私の目前で素っ裸にはなれないと思う。


彼女は、お化粧をする行為とそれは、別問題、そう考えているようなのだ。
私の価値観が旧いのだろう、そして、時代はこのようにして変化を遂げていくのかとも思う。






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生きている歓び

久しぶりに里の家にもどってきた。
里の家の前を通過すると、奈良は當麻寺に行く。
当麻の夜明けを見たいと思った私は、まだ暗いうちに家を出た。


街道を過ぎて、当麻に着いた。
ふと空を見上げると”満点の星が輝いていた名残“が広がっている。
遮るものが何もない空は、大きく大きく見えた。

朝の人気のない道の駅の大きな駐車場。
車から降りて、当麻の後ろの山々を仰ぎ見る。

雨上がりの山々からは、木々から発散されらる雨特有の芳しい匂いがしてきた。
大好きな匂いに、胸がいっぱいになり泣きそうになってくる。

ちょうど今、夜が明けようかという時の紺色から薄水色のグラデーションの空の色。
宇宙の果てを想像させてくれるような静けさの中で、私は知らずに空気の一部になったような錯覚に囚われた。

静謐と言ってもいい風景だった。
しばらくの間、車を止めて空が白み始める様子を見届けることにした。

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まだ明けきらない、庶民向けの何の変哲もない道の駅の駐車場も、暫くすると大勢の買い物客でごった返す。
そんなときは、美しいものなど何もない、この広大な空間に、このような感動溢れる光景が隠されていた。

春はあけぼの、ようようしろくなりゆく山際少しあかりて。

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生きていることは素晴らしい。
この空間に出会えたことが歓びとして、心を突き動かす。

清少納言も、このような溢れる想いで、山を空を眺めていたのだろうか。






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