ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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ただ、そこに居てくれるだけでいい、そんな存在

随分前になるけれど、NHKの朝ドラで、【梅ちゃん先生】を放送していた。

戦後東京の下町を舞台に、医師の娘である梅子が医師になるまでの奮闘を、周囲の人間関係を絡めて、笑いあり涙ありの人情ドラマ仕立ての内容だった。

主人公梅ちゃん先生を、先ごろ引退した女優、堀北真希ちゃん、松坂桃李君が梅子の幼馴染として出演し、後に夫となる役を演じていた。



終戦後の日本は、いろんな意味で活気があった。
戦争による痛手により、退廃した社会に負けないで、明日を信じて力強く生きる!と、人々に気概があった。
昭和は良かったと、思うのはそういうことかもしれない。


女子医専を卒業した梅子は、父の勤務先の大学病院で研修医としての日々を過ごす。
ほのかに恋心を抱く、同僚医師の存在もストーリーに色を添えていた。

研修医は無休で働く、生活費の足しにしようと梅子が始めたのは代診のアルバイトだった。
梅子が目にした医師は、昭和の赤ひげ先生のようなタイプの人物だ。

CTやMRI、レントゲンすらなく、目の前の患者の呼吸、肌艶、目力、あるいは脈をとり、数値や画像に頼ることなく、人間そのものを診ていた。

自身の辛い過去を、当時の社会の底辺で生きあぐねていた人々の無料診療をすることで、償っている、わけありな人情家の医師・坂田を世良正則が演じていた。

「医者は、ただそこに居るだけでいいんだ」アルバイト医・梅子に坂田医師が言う。



梅子の家は東京の下町大田区にある。
終戦後、急激に増えた人口に対し、医師の数があまりに少ない地域だ。

坂田医師の言葉で、梅子は地域医療の道に進もうと決意する。


心臓発作で苦悶に顔を歪める患者が医師の顔を見ただけで、発作が軽くなる。
医師は死の引導を渡す職務だけど、実は、その存在だけで、死に向かう人を安心させることが出来るのではないだろうか。
病からくる不安で押し潰されそうな人々の、ただ手を取り脈をみる。
その手の温もりが伝わり、病に立ち向かう気力が湧く。


私は、深く重みのある言葉だと感じた。

何故今になって、このことをブログに書いたのか、お読みくださる方は、不思議に思われるかもしれない。


実は、わが家の近所の、赤ひげ先生である、老先生が亡くなられた。
残念ながら、私は一度も診ていただいたことはないけれど、先生の存在は、まさに、梅ちゃん先生だった。


お通夜の席で、大泣きする町会のおばあさんたちの顔は、知らずの私も思わずもらい泣きしてしまう。

「先生ー先生!なんで死んだの!医者が死んだらあかんやないの!」と口々に泣き崩れるお年寄りたち。
久しく見ないこんな通夜の風景に、私も涙が止まらなくなってしまった。

ただそこに居てくれるだけでいい、そんな存在は、人の命をそれだけで救ってくれているのかもしれない。



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あるホームレスの詩

もう二十年になるでしょうか、ホームレス詩人として話題になった一人の女性が大阪の下町にいました。
名前をツネコさんと言います。

年老いた体をやや丸めぎみにして、阪急梅田の高架下で短歌と絵を売っていました。
身寄りもなく、ホームレスとなりながら、本を愛し、短歌を愛し、絵を愛した方でした。

通天閣で有名な、大阪新世界界隈にも、まれに出没されていました。

ツネコさんと私の関わりは、ほんの偶然からだったのです。

大阪の梅田駅を降りるとすぐに、阪急デパートがあり、その東側にツネコさんのような、詩や絵を売る方が大勢いました。

今から、20年くらい前の冬のころ、忘年会に参加するために、私は阪急の高架下を歩いていました。

ほどなくして、酔客の怒鳴り声が聞こえてきました。

一人の小柄なおばさんを、数人の酔っ払いたちが口汚く罵っていて、怒号がそのあたりから聞こえてくるのです。


「 苦しさから 抜け出す術を知らぬ我 人間止めたい時がある! 」

怒号の主の酔客の影にいた、そのおばさんが、突然が言い放ったのです。

それが、ホームレス詩人のツネコさんでした。

【私の名前はツネコ。姓は、忘れてしまいました。

 年は六十八歳。

 住所は大阪阪急の梅田高架下とでもしておきましょうか。いわゆる住所不定というやつです。

 なぜ、私がこういう暮らしをするようになったのか、それはこれからじっくりとお話ししていくことにしましょう。

 でも人間の運命というものは本当に不思議なものです。私がホームレスになるなんて……。
 今ではもう、普通に暮らしていた頃のことが夢のように思えます。】

tuneko.jpg


こういう書き出しで始めるツネコさんの本、ホームレスの詩を、ご存じの方もいらっしゃるでしょうか。
お元気なころ、二度、一緒にお酒を飲んだことがあります。

「 人間やめたいときがある! 」と酔客に怒鳴りちらした人には見えない、可愛い方でした。
歯のない赤ん坊のような口元が愛くるしかった。


またいつか、ツネコさんとの思い出をブログにしてみたいと思います。


ツネコさんは、2003年8月、73歳のつましい一生を終えられました。
実家の蔵には、懐かしい思い出がまだまだいっぱいあって、この本もその内の大切な想い出なのです。

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ドクダミの繁殖力には、本当に驚かされる。
一株だけ、里からもってきて、庭の片隅に植えた。
もともと、植えるものではないかもしれないけど、軟膏を作るためには必要だったから。

なんと、先月くらいから勢いがどんどんましてきて、今では狭い庭を占有しつつある。

わが家では、今はもう、十薬茶は飲んでいないけど、それでもドクダミ軟膏を作るのに要る。
いちいちよそ様にいただくわけにも、ましてや里に採りに帰るのも面倒だから、植えた。

doku_p.jpg



dokudami_e.jpg


そういえば、娘が小さなころは、庭のドクダミをよく乾燥させて、お茶を煎じて学校に持たせていた。


ところがある時、同級生の女子に、一口頂戴と言ってあげたことが、とんでもないことになってしまった。
その女の子は、娘からもらったドクダミ茶を一口、口に含んだとたん、ウゲェと云うなり吐き出してしまったのだ。

玄米茶や麦茶、ウーロン茶に慣れている子どもにすれば、ドクダミの匂いはさぞかし強烈だったことだろう。



以来、娘は『 どくだみちゃん 』 というニックネームで呼ばれるようになってしまった。

8歳などという年齢は、人と違うことを一番嫌うし、恥ずかしいと思うのだろう。
娘には本当にかわいそうなことをしてしまった。

ドクダミを摘みながら、そんなことを思い出した。






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気候とともにうずく、気圧痛

春は、朝夕の気温差があり、冬場より意外に、体調を崩すことが多い。

山がうっすらとピンク色にお化粧をして、夏の神様に祈りを捧げる、こんな時期、、私は幼いころに受けた、頭の古傷が痛む。 
それ以外には、頭痛はあまり起こさないほうなので、この痛みはかなり堪える。

痛みのあまり睡眠不足になったり、ぼーっとしたり、落ち込んだりする。



遠目では分からないけれど、近くに寄るとその傷はくっきりと今も、左眉の上にある。
7歳の夏休み、私はふるさとの町では珍しいことに、交通事故に遭った。

町のメインストリートを往来するダンプに、撥ねられたのだ。
目撃者によると、トーンコロコロと、3mほども飛ばされたという。

私は身体ごと二回転して、アスファルトに落ちたらしい。
この辺りはもう、覚えていない。



小さな田舎町には、当時は救急車がなかった。
事故を見た近所の人の通報により、パトカーが来た。

パトカーの後部座席に横向きに寝かされた私の、横顔を撫でるように真っ赤な血が、真っ白なシーツを染めていく。
記憶はそこでちょっと途切れる。



病院に運ばれて、頭を縫ったところでまた記憶が戻ってきた。
麻酔をして手術してくれたと思うけれど、物凄い痛みに、私は大声で泣いた。
外に聞こえるほど叫んだらしい。

その声を聞いた母が気分が悪くなってしまい、診察を受けたとあとで知った。


ブログを書きながら、そんなふうに、ふっと過去の自分でも忘れている記憶が出てくることがある。

母に愛されていたのだと、あの小さな自分の想いが、大人になった私を慰めてくれる。



永い人生を生きていく上で、これだけは間違いないと思うことがある。
それは、人間は一人では、決して生きていけないということ。

寂しがり屋で、怖いモノ知らずで、泣き虫で引きこもり気味の私も、誰かに愛されて大切にされてきた過去がある。
ずきずきと痛じむ頭の古傷は、その痛みでもって、私に、あんたも一人ではないんだよと、思い出させてくれるのです。



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真夜中の鏡に、母がいる

最近、寝付いて二時間くらいすると目が覚めることが続いています。

大したことはないですが、私の取柄は、バタンキューと寝つき、朝までぐっすり、ということです。
なので、これも生理的なことだと思って、気にしないようにしています。

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昨夜のことです。

真夜中の2時半、目覚めた私はお手洗いを済ませ、洗面所の鏡を何気なく見ました。



小さなころ、家は高野山信仰で、私たちは七つ、と十三歳にはお札をいただきに、奥の院にあがる習慣がありました。
奥の院は、昼なお暗く、杉木立が鬱蒼としていて、まさに幽玄の世界、幼心にも畏怖の念に打たれるのです。

これは記憶違いになるかもしれないですが、お参りにあがる坊のお坊様が、

「夜中に鏡をみてはいけません、異境のモノが映ります」と、ご説法の合間に言われます。

小さなころだったから記憶違いだとしたらお許しください。



とにかく、それは家でも、「 真夜中には鏡を見たらあかんよ 」と、祖母も始終、口にしていたことでした。
子どもが真夜中に起きるなんて、滅多にあるものではありません。
それでも、なんとなくも悍ましいものを感じ、以来、ある程度、云いつけは守ってきたように思います。

験担ぎの意味もあったのでしょう。


昨夜、心境の変化か、何気なしに、真夜中の鏡を見てしまったのです。

すると、そこには懐かしい母がいました。

「えっお母さん!」と声には出さなかったけど、胸がじんと温かくなって、鏡の前から暫くは、離れたくなかったのです。

去りがたい想いを抱えて、ベッドへと戻りました。
冷静になって考えなくても、鏡に見た母は、実際には私です。

私は母に風貌は似ていません。
細い目の小さな鼻、おちょぼ口の、純和風の母のような女性になれたらと、幾度となく思いました。


私は残念ながら、父に似てしまいました。
なのに、真夜中の鏡には異境の妖ではなく、びっくりするくらい母によく似た私がいたのです。

これからはお母さんに逢いたくなったら、真夜中の自分を鏡で見たらいいのだと、心が温かくなる嬉しい発見でした。
真夜中の鏡に、まさか、こういう出来事が待っているとは思いもしませんでした。


歳を重ねると、自分の顔や仕草、物言いなどに、真夜中の私のようなことを感じることがあるのかもしれません。

自分を形成し、この身体に流れている、血というものをしみじみと思わされた、深夜の出来事でした。
いつか順繰りに、私の娘も真夜中の鏡に、母を見る日が来るのでしょうか。






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