算数が苦手のまま大人になって、困ることもある

勉強で何が苦痛だったかと訊かれると 『小学校の算数の時間』 と、私は答える。
算数が理解できないまま、私は中学生になり、算数が数学になるとますます理解できなくなっていった。

ところが夫は、理数系で数字を見たりするのが、苦にならずどころか、大好きときている。
夫のような人には、数字を見ただけでも頭が痛くなり、目まいがする人間のことは分からない、理解できないだろうと思う。
帰宅後も、パソコンに向かい、何やら複雑な数式を見つめている夫は、私からすると宇宙人にしか思えない。

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娘が算数が苦手な私の遺伝子を受け継いでしまった。
娘の場合、長く入院していたので、算数を学んでいないこともあるけど、もし学んだとしても苦手だろうと思う。

そんな娘のために、夫がしゃかりきになって算数を教えようとしたことがある。
机にかじりつくようにして必死に夫の説明を聞いている娘。

その顔を見ていると、なんだか可哀想になってきた。
人には得手不得手があって、いくら学んでも、ある程度以上からは乗り越えられない壁があるのではないかと、娘の顔を見て思ったのだ。
(その顔はそのまま、たぶん、過去の自分の顔なのだろう・・・)


二人とも自慢できたものではないけど、算数や数学ができないまま、大学受験に合格し、就職も果たした。



私の仕事は━昔は装丁といった━広告代理店からの下請けで、ブックデザインが主な仕事になる。

カタログなどの挿絵に使う、一枚ものの絵を描く場合、Illustratorというアプリケーションで描くことが多い。
このアプリケーションには、リフレクトツールがあって、図を左右対称にコピーをいとも簡単にやってのける。

葉っぱが多い茂った木々や草むらを描く際には、このツールを使いこなすと、簡単にコピーしながら描ける。

けれど・・・・・・ここで、私は頭を抱える。
角度、という壁に突き当たるからだ。

私は、分度器という道具、その仕組みを理解できていないし、本当に恥ずかしいとは思うけど、直角以外、分からない。
そのせいで、便利なリフレクト機能を駆使できない、ジレンマに陥る。



そんな私の血を引いた娘が社会人になり、苦手な算数の関りはというと、実のところ、仕事上での、小さな問題点が起きている。
小さなころから私は、「何故、算数を学ばなければならないの?」と、屁理屈を捏ねてきたけれど、困ることもあるのだと分かった。

小学校の算数の時間に、時計の見方や、距離と速度、角度などの基本を理解できていない私も娘も、やはりどこか歪なのかもしれない。





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四姉妹の真ん中の子に生まれて

私は幼稚園に通っていない。
ところが、5歳年長の姉は幼稚園に通った。
姉が幼稚園に通っているころ、私はまだ赤ん坊だから記憶にはない。

記憶に残っているのは、日本舞踊や勉強学校 (学習塾) に通う、お嬢様のような姉のこと。

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そのころ、私の家はダウン症で生まれた四女の入院費が嵩み、暮らしを逼迫していた。
次女の私と三女は、最低限の学用品や給食費、日常の衣類など以外は、すべて末妹のために、我慢を強いられていた。

やはり、第一子というものには、親も多少の見栄、世間体を考えたのだろうか。
私は、モノゴコロつくか付かないかのころから、姉に羨望を感じるあまり、嫉妬に似た想いを抱いていた。

姉は故郷の猟師町の子供らしくなく、色白で、愛らしい顔立ちだった。

私のように、大きな目をギョロギョロさせて、世の中を斜めに見ているような、可愛げのない子どもではなく、日本舞踊の藤娘が似合うような美少女だった。

姉は、大人から可愛いねぇと言われると、少し伏し目になり、耳たぶを真っ赤に染めながら、そんなことはないですと、言うのだ。
色白の姉の耳たぶは、お日様の光を浴びると、向こうまで透き通るように輝き、それはとてもきれいで、私は姉の耳たぶを観るのが好きだった。

姉はほんとうに美しく、誰からも賛辞を受け、方や私は、色黒ギョロ目、牛蒡のように痩せっぽちで、可愛いなどとは無縁のまま、大きくなった。


私の少女期の日々は、自分の容貌を姉と比べ、落ち込み、可愛さゆえに、両親に愛されている姉に嫉妬していたように思う。

きっと、姉のように伏し目がちに笑っていれば可愛げもあったのだろう。
が、私は出来なかった。

相変わらず大きな目をぎょろぎょろさせて、野生動物さながら相手を威嚇するように見るしかできない子どもだったのだ。

四人姉妹というと、人様は「若草物語の四姉妹」を思い浮かべてしまわれる。
少なくとも私は、若草物語のジョーのように、ボーイッシュっで内向的であって本好きな子ではあった。
けれど、姉はメグのように、自分の過去を悔んだり、虚栄心に苛まれたり、しっかり者ではなく、むしろ、のんびりとしていた。


同性という姉妹間では、他と自己を比べ自己否定したり、片や優越感に浸ったりと、割合に早くから熾烈な感情を学んだように思う。

そして今。

実は私たち姉妹は、子どもの頃のわだかまりなど一切なく、とても仲良しで、女ばかりに産んでくれてありがとうと、両親に感謝するのだ。
小さなころの、些細な確執など全く、話題にも出ない。
あのころの姉妹と、今の私たちは、本当に同じ人間なのだろうかと、思うほどなのだ。






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火鉢に手をかざしながら、のんびりと

新年明けましておめでとうございます!
たった一日が過ぎただけなのに、本日は新しい年になりましたね!
心身ともに健やかにお目覚めになられましたでしょうか。


私の方は、ようやく昨年、年が行ってしまう前には、体調が戻り、新しい年の元日、静かな心で、このブログを書いています。

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昨年は、『老い』ということを痛切に感じた一年だったと言っても過言でありません。
子どものころから、健康優良児としてきた私は、『自分に限って』 という過信を持っていることにも気づかされました。
限りある命だから、みんな精一杯、生きるのだということを、ようやく、納得した感があります。

子どものころのお正月といえば、三元日は初詣以外は出てはいけない。
福が逃げるから掃除をしてもいけない、幸せを洗い流す洗濯もだめと、祖父や父がそれは厳しく言ったものでした。

そんな子どものころのお正月の愉しみは、姉妹揃って座敷に置かれた火鉢を囲み、お餅を焼いてたべたり、カルタ取りをして遊んだことです。
今年は、そう、火鉢に手をかざしながら、のんびりと煮豆をしたり、炭が熾るのを眺めたり。

のんびりと生きることを、第一の目標に掲げたいと思います!
できるかなぁ。(;^_^







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2016年を振り返り、思うこと

年の瀬が迫ってくると、ここ数年、今年はどなたが亡くなったか、と、思いを巡らせるようになりました。

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今年亡くなった方といえばやはり、里の住まいでご近所だったKさんだろうか。
その前々日まで、田んぼの稲木に稲を干し、村会議で発言し、お酒を美味しそうにグイッと飲んだその夜、夜半に苦しまれ、搬送する救急車内で亡くなった。


Kさんの前々日の農作業を見かけた私には、哀しむというより信じられない思いが強い。
けれどKさんのあっけない死は、反面、『誰でもいつか必ず死ぬのだ』 と、うまく言えないけど、気が楽になったことに、自分でも驚いている。


いうなら、ここに今、この時代を今、縁あって共に過ごしている私たちの誰もが、100年もすれば確実に大半は死んでいる。

気が軽くなった私は、雑事に捉われる考えや行動を、さっぱりきっぱりとはいかないけれど、捨て去ることができた。
今、ここにこうして生きている!
家族と自分が共有できる時間を、最優先にしようと思えたのだ。


渋々引き受けたしんどい仕事、お義理で付き合って来た気の合わない知人からの誘い、それら浮世の義理というヤツを、まず、きっぱりと断るようになった。
もう、善い人でいる必要はないのだもの。
善い人は、愛する家族、身内、少ない友人のためにあれば良い。


Kさんの死は、そんなふうに私を変えてくれた。
亡くなる当夜の村会議では、「村に永住してくれる人を増やさんとあかん、思いますわ」
それには、村に魅力ある施設を作り、助成金を出して、公募する。

寡黙なKさんが、いつになく熱弁をふるっておられた。
お子達のいないKさんには、村の行く末が我が子同然、心配でしょうがなかったのだろう。


Kさんのご意思は、青年団に引き継がれるだろうと、夫は断言する。

それをもって、私たちは村を出ようと思う。
そう決心させてくれたのは、他ならないKさんなのだ。


2016年を振り返るにあたり、Kさんの死が、私の心に大きく残っている。
Kさん程の剛健な人であっても、人はすっと、幽玄の世界に逝ってしまう。
これが若いころなら、衝撃の度合いは違っただろう。


けれど今はそう思わない。
死を、極々、身近なものとして受け止めることができた。
老いるということは、そんなものかもしれないと、感じ入ったのだ。



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生まれてきてくれて、ありがとう

娘は目が悪く、裸眼では5㎝くらいに近づかないと、顔も見えない。
小さなころから、視力矯正用の眼鏡をかけないと見えないその娘が、ずいぶんと迷い、考えた末、メガネからコンタクトレンズにした。

娘の職業は、接客業ではないけれど、外部の方々と間近に会うこともある。


どちらかというと、娘の性格は私に似ていて、人見知りをする。
シニア世代になってきた私は、初対面の人と会っても、緊張でカチコチになっていることを、さほど気取られないようになってきた。

これまで生きてきた中で、自然と身につけた、いわば人生の狡さかな、と思っている。(;^_^


だけど、娘はまだそんな術を身につけるのは無理だろう。

笑顔で応対しようと思っても、顔の筋肉がうまく動かずに、笑い顔がひきつる。
そしてややもすると、顔が 「なんか、怒ってますか」 状態になってしまう。(_ _。)・・・

それが、仕事4期目を終えようとしている今の娘の、最大の悩みというわけなのだ。


メガネというのは、その人の顔の半分近くを隠してしまう。
柔らかな対応を心がけるようにと、上司から指示がある場合、表情に乏しい娘などは、さらに不利になる。

それに、出勤前のメイクのこともある。
アイメイクはメガネを外してする、ところが、メガネをかけないと、見えない。
見えないままでアイメイクをすると、濃くなったり薄くなったりで一定しない。

と、そんな苦労もあり、コンタクトにした娘。


赤ん坊のころから、入退院を繰り返していた娘が、7歳のころ、危篤状態になったことがある。

死の淵から生き返った娘が言った。

「お母さん、生まれてきてごめんなさい」

仕事帰りに病院に行く、そして慌ただしく帰っていく母を見て、小さいながらも心を痛めていたのだろうと思うと、不憫で堪らなかった。

小さなころから、親は自分の病気のためにたくさんお金を使ってきたと、娘は思っていた。
「ごめんなさい」は、そんな娘の心の声が思わず、言葉になったのだろうと思う。

ほんの赤ん坊のころから、病院のベッドしか知らない娘は、赤ん坊用の小さなベッドが、世界の中心だった。
そこで、絵を描き、本を読み、そして帰宅する前のひと時の、母の添い寝を嬉しそうにしていた。

今も、私たちは娘の存在が、夢ではないか、と思うことがある。
さすがに頬っぺたを抓ったりはしないけれど、今、ここに娘が居ることが、ナニモノニモカエガタイ、そんな思いは変わらない。

病を乗り越えた娘は、27歳になった。
病を乗り越えられた自信から、仕事だけではなく、お洒落やファッションのことを考えるようになったのが、コンタクトでもあるのだろう。

「生まれてきてごめんなさい」、と言った娘が、「生きていてよかった」、と思える日がもっともっと増えますように。




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