娘との諍いを、引き摺ったままではいけない

今日は、予報では雪でしたが、雨になりました。
雨は嫌いではないのに、冬の雨はいいところを見つけるのに、苦労します。

皆様のところは、如何でしょうか。

昨日の記事に、たくさんの応援クリックを頂き!、びっくりしています。
ありがとうございました!

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昨日の娘との諍いがあって、( と言っても、一方的に私からの )自分の蒔いた種でうじうじと悩み、朝方まで眠れなかった。
ひとたび落ち込むと、なかなか這いあがってこれない私の性格。

負の連鎖が働き、出勤前の娘に、「いってらっしゃい」と声も掛けられなかった。
私、馬鹿っじゃなかろうかと、9日深夜、いつものように、明朝(今日の)の予約投稿の記事を書きながら、朝の自分の態度を思い出しています。

気まずい母娘諍いのあと、長かった一日が過ぎた。


何人もの方が、NEWメッセージボードに寄せてくださった、貴重なアドバイスをありがとうございます!

無かったことにするのは、難しいですが、アドバイス通り、さり気なく、「お帰り!寒かったやろう?今日はシチューにしたからね!」と、おかげさまで、娘に普通に言えました。^^ヾ

母と娘の、以心伝心というのか、諍いのあとの気まずさは、仕掛けた私だけでなく、娘の方だって、やっぱり気まずくて、どんな顔をしたらいいのだろう、なんて思っていたのかもしれません。

喧嘩慣れしていない二人でした。
少なくとも、「お帰り!」と言った私に、「ただいま」と呟くような娘の顔は、ホッとしていましたから。


相手や自分が不愉快になったり、傷ついたりしないためには、その人を攻撃するような言葉は、言わない。
けれど、口下手な癖に、いいえ口下手だからか、心にもないことを言ってしまい、相手を傷つけてしまう。

そこに居ることが当たり前になっていて、私が言わずもがなの言葉を吐いてしまったことで、改めて、娘の存在が『何者にも変え難い』と、気付かされたのです。


おかげさまで、落ち込みの淵から、思ったよりも早くに這い上がってこられました。
ありがとうございました!






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夫婦の幸福

夫と妻の幸福ってなんだろう。
最近、寒さの所為か、しあわせとかぬくもりとか、とにかく、ポカポカと心があったまるようなことを考える。
そんな中で、ひとつの話しを思い出した。

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小説家、田宮虎彦さんは最愛の奥様、千代夫人に先立たれた。
享年43歳。
ガン性腹膜炎でお亡くなりになられた奥様亡きあと、男手ひとつで二人の息子さんを育て上げ、仕事を伴侶とし、珈琲を唯一の慰めとし生きてこられた。

晩年、取材に答え話された記事を、ご紹介させていただくと、

「しかし、何が良かったかといって、家族がそろっていたときの食事が一番でした。そろっているということがごちそうだった。もうひとつ、これは取り返しのつかないことですが、女房と一緒に台所仕事をしていたら互いにもっと幸福だったろうと思うのです」

と、田宮さんご本人は、取材に答えられた。


ここで、ちょっと私ごとになるけれど、私は4年前、自宅で事故に遭い、膝の手術をし、仕事を辞め、在宅稼業になった。
それをもって、結婚後初の、専業主婦の日々がはじまったのだ。

兼業主婦のころは、苦手で好きではない家事に対し、『仕事が忙しい』という言い訳が使えた。
けれど、それはもう言えない、使えない。


嫌いな家事、特に苦手な料理作りに取り組むことになっていった。
家にいるようになって、とにかく、家事の際限なさに戸惑ってしまった。
チャッチャと片付けようにも、切がない家事、仕事をしているころ以上に疲れるのに、あまりにも日常のなかでは当たり前のことで、報われないではないか、と仕事と比較して思った。


膝を気遣ってくれる、娘も夫も、医師の言いつけどおり、重いものを持たせない、買い物は最小限、という優しさをみせてはくれる。
けれど、家事を代わりにすることは、仕事を持つ二人にはできない。



昨年の秋ごろ、それまで夕食後は自室に行き、仕事をする夫が、どうしたことか、洗った食器を拭き、収納してくれるようになった。

びっくりして、うれしさを言葉にできないほど驚いた。
よほど、私が感謝したのだと思う。


それから、少しずつ夫が台所仕事を手伝うようになってくれた。
さらに、仕事が休みの日には、“男の料理”と称して、夕飯をこしらえてくれるようにもなった。


お好みやたこ焼きなど、粉モンも夫がやると基本通りに作るので、美味しい!思わずうなるくらいだ。
休日の食後の後片付けは、私が洗い、夫が拭きあげる、それを娘が収納する。

キッチンに、三人若しくは夫と二人で、横並びに立つ休日は、かけがえのないひとときになった。
田宮さんが亡き奥さまと共有したかったひと時は、このようなことなのかと思う。

それが、夫婦の幸福なんだろうと、仰りたかったのではと思うのだ。





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何をしても、続かなかった私だったけど

昨日は、心穏やかに、絵を描いて過ごしました。
亡き愛犬の写真を整理しながら、ふと絵に残そうかと、思い立ちました。



描きながら、心には様々な日々のことが浮かんでは消え、思えば、ずっと私は習い事を最後まで続けることができなかった。
一番初めは、妹と一緒に、算盤を習いに行った(行かされた?)

妹は、進級試験も難なくクリアし商業科のある学部を卒えると、見事、経理から税理と数字を活かす職業に就いた。
また、兼業主婦の傍ら、簿記のスキルを活かし、プロ並みの家計簿もつけていた。


同じ姉妹なのに、私はというと、小さなころから、数字が並んでいるのを見るだけで、拒否反応がでてしまう。
数字の一文字が、踊っているように歪んでみえてしまう有様で、家計簿どころか、レシートの数字を見るのも苦手ときている。

私は、数回の通塾で、算盤教室をやめた。


高校から大阪の親許を離れ、東京で学業を修めることになった私は、後に、高校一年生の担任の紹介で在日アメリカ人のお宅に住まわせてもらうが、当初は、父方の従弟の住む麻布から、高校の在る最寄り駅まで、越境通学をしていた。


通学沿線には、深窓のお嬢様が通われる、雙葉学園生の姿を目にすることが多くあった。
そのお嬢様方は、手に何やら黒革のケースを提げている。
それがヴァイオリンケースだと知る由もなく、一目見て高級と分かるケースに、私は目を奪われた。


そして、私も真似しようと、古道具屋さんで黒のビニール製のギターケースを買うと、それを通学の傍ら、提げていた。
これで私もお嬢様の仲間入り!

なんと単純なのだろう、今思うと、本当に情けない。


それでも、ケースを提げるだけではあまりにも不甲斐ないと思った私は、千葉の親戚宅までギターを習いに通うことになった。
これも、一度の通いで嫌になり、有耶無耶のうちに、やめた。



それからも、性懲りもなく、好奇心の赴くまま、習い事にチャレンジするも、結局、私には何も向かないのだと決断する。
要するに、何一つとして身に就いたものはないまま、こんにちに至っている。

自分では飽き性ではないと思う。
それでも、続かない私が、中年期になって習うようになった水彩教室は、続けられている。
(英会話教室も、なんとか続けられそうかな)


なぜ続いているのか考えると、自分の仕事にも繋がることだけど、私は何かを生み出す作業が好きなのだと思う。
ちなみに、チクチク手縫いや、ガァガァーとミシンを走らせて何かを縫う、それら縫物が好きだということも、中年期以降に、発見する。

水彩絵の具の色を出して、捏ねて、混ぜる、パレットに微妙なトーンが生まれてくる。
しかも、画用紙の質によって、絵の具の吸い込み具合が微妙に違うこともあって、思惑とは別なニュアンスが生まれることもある。


少しでも手を抜くと、そのまま作品に出る、しかし、手をかけてやると、それもそのまま作品に表れる。

完成後、軽い達成感のようなものが心に湧きあがり、それは、生きていることを実感させてくれる。
だから私は、習い事を続けられていることになるのかな、と思っている。



purin_2015-08.jpg
死んでしまう1週間前の、プリン15歳 こんなに明るい顔で、笑っていたのに・・・・・・
写真を見ながら描きました。




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元気をもらえる巨樹と、寂しくなる巨樹

見て寂しくなる巨樹、というのも珍しい。
深緑の頃、鮮やかさを増していく里山の風景とは対照的に、巨樹はその体をくすんだ色合いで包んでいた。
長年雨風にさらされてきた木の肌は、黒々と枯死したかのような箇所があったり、ところどころ剥がれ落ちたりしていて痛々しい。

幹に支え棒をあてがった姿は、静かに眠りたがっている老人を無理矢理揺り起こして立たせているようにも見えた。

大阪府野間にあるこのケヤキは、通称 『 野間の大ケヤキ 』と呼ばれている。


同じく大阪門真市にある、『 門真の薫蓋樟 』と呼称されている、樹齢1.000年を経ようが雄雄しさを失わない大楠とは違い、
このケヤキは、昭和58年に私が初めて訪れたときには、既に息も絶え絶えといった風情であった。

樹高33メートル、幹周10.75メートル、枝張りは東西42メートル、南北38メートル、樹齢およそ1.000年以上と推定される。
昭和23年に、国の指定天然記念物に登録された。

しかし昭和30年頃、西北に伸びていた枝が突然折落し、現在もその際の痕跡を痛々しい形で留めている。

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見るたびに寂しくなる、野間の大ケヤキを訪問した帰り、近所を探索していた時のことである。
歩道橋の下の小さなトンネルをくぐり、田んぼの畦道を抜けると、突如目の前に大きなケヤキの巨樹が姿を現した。
手当てもされておらず、看板一つ無い所を見ると、どうやら有名な巨樹ではないらしい。


けれども、樹齢推定500年はあろうかという、立派な巨樹である。
なにより、その老ケヤキは未だ力強さを失っていなかった。

keya2.jpg


同じケヤキといえど、野間の大ケヤキは全国に広く名を知られており、専門の樹木医が何人もついている。
しかし、あちこちに支え棒があてがわれたその姿は、無理に命を引き伸ばされているかのようにも見える。

方やこのケヤキは、人もめったに訪れてこない寂しい場所にいて、樹木医どころか名前すら無い。
それでも更に成長するべく、枝を太陽の方向へと目一杯伸ばしている。
樹にとって、どちらが幸せなのだろうかと、私がいつも考えてしまうのは、このような樹木の姿を目の当たりにしたときなのだ。



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懐かしい、大草原の小さな家

最近、DVDマガジンのテレビCMで、「大草原の小さな家」のシーンを頻繁に眼にするようになった。
父さん、母さん、そしてローラの懐かしい姿をCMで見ながら、ビデオに録画してまで観た、過去の思い出がよみがえってきた。


元々はローラ・インガルス・ワイルダーの自伝小説。
開拓時代の貧しい生活の中で起きる、当時の平均的アメリカ農村部での日常を描きだす話として、物語は、主人公ローラの目線から綴られている。
 
テレビ・ドラマは、NHKで土曜日夕方の番組として放映されていた。
仕事で帰宅が遅くなるときに備えて、録画をしてまで楽しみに観ていたドラマだった。

心に沁みるようなテーマ・ソングが聞こえてくると、それだけで疲れがすっと取れたものだ。



逞しく、知的で頼りになる父さん、優しく美しい母さん。
明るく好奇心に溢れたローラ、その姉でまじめなメアリー、幼い妹キャリーを中心としたインガルス一家が、周囲の人たちとの触れあいの中で明るくたくましく生きていく様を描いたものだった。


昭和30年代生まれの私は、テレビ世代の走りである。
40年代からはアメリカテレビドラマの全盛期、西部劇、ファミリーもの、動物もの、コメディーなど、様々なドラマを毎週、心待ちにしていた。

「名犬ラッシー」のコリーを見て、父譲りの犬好きがさらに高じてしまった。
当時の日本人の憧れの地、ハワイが舞台の探偵ドラマ「ハワイアン・アイ」や、フレッド・マクマレーの「パパ大好き」などをため息を就きながら観ていた。


居間に鎮座ましていたテレビから目を後ろにやると、我が家の台所が見える。
半分使用している、へっついさん(かまど)の横で、木製ではあるが、一応、キッチンと呼べるようなセットものの流しが居心地悪そうに設えられている。

テレビには、ぴかぴかのシンクでシャワーのように流れる水道栓を捻る“ママ”が立つ、アメリカの台所が映っている。

方や、白いかっぽう着を着けた、”お母ちゃん”が使い勝手の良いへっついさんで湯を沸かしている。
そんな対称的な日米の台所事情を眺めながら、私はアメリカという国を夢見た。

そんな憧れのアメリカのドラマが、放送されたとあって、私は何が何でも観たいと思ったのだ。
 
主演の父さん・チャールズ役のマイケル・ランドンは、俳優としてだけでなく脚本、演出、製作までも手がけていた。

本当にドラマの父さん役にピッタリの俳優だった。
いつだったか、この逞しい健康的な父さんが癌に侵され亡くなったというニュースを聞き、
信じられない思いだった。
55歳という若さだったそうである。

母さん・キャロラインを演じたカレン・グラッスルは、知的で美しく母の愛を感じさせてくれる女優だった。
小さなころに観たアメリカドラマの“ママ”とは違う、私の中では日本の母のような存在だった。

それに、あの子どもたち・・・。
原作者ローラ役を演じた、そばかすでちょっと歯が出たメリッサ・ギルバート。
愛嬌があって感受性豊かな可愛い女の子だった。

姉のメアリー役を演じたのはメリッサ・スー・アンダーソン。
三女のキャリーのほか、四女や養子の男の子たちもいたが、
印象深いのはいじわる、お店の子どもネリー
みんなみんな、原作に忠実に、古き良きアメリカの人々を演じていた。

先住民を追い出してしまった過去はあるけど、
大らかな人の善いアメリカ人の素晴らしい包容力が見事に描かれていた。

ローラー達のあの輝かしい日々に、また、逢うことができるのなら、DVDをも購入しても良いかと思っている。



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