ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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お鍋の数は少なかったけれど、母は幸せそうだった

GW明けに始まるリフォームに向けて、少しずつですが、キッチンの整理 (断捨離)をしています。
たった三人家族だというのに、わが家には、お鍋がたくさんあります。
両手、片手、深型、浅型、寸胴、フライパン、蒸し鍋、などなど、15個もありました。

リフォーム前に整理をしようと思い、数えてみたのです。
あっ、土鍋も三つあります。

普通はどれくらいあるものなのか分かりませんが、家族数から言うとこの数は、多いのではないでしょうか。
鍋の数が多いと、さも料理上手になるみたいな気がして、買い集めたのかもしれません。

聖女マザーテレサは、生涯を通して下穿き二枚と聖衣、洗濯用のバケツ一つで過ごしたと言われます。

比べるのも変ですが、なんだか、自分で自分が悲しくなります。
この際、重い鍋は処分して軽い種類だけ数個にしようと決めましたが、まだ新しい鍋を手にすると、捨てるのが躊躇われるのです。



小さなころ、母は鉄製の深鍋をそれはそれは大切に使っていました。
竃の火口の奥に、いつもその黒いお鍋はありました。
学校から帰ると、私たちは真っ先にそのお鍋の蓋を開けます。

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蒸したサツマイモが入っていると、嬉しくてキャァキャァ言ったものです。
黒いお鍋で朝は茶粥が炊かれ、夏場にはキュウリや水茄子の浅漬けで、茶粥を食べてから登校するのです。

茶粥を食べてから、学校まで急ごうと走ると、お腹がちゃぽんちゃぽんと音がして、恥ずかしいなと思ったものでした。


鉄のお鍋の底には、継ぎ接ぎが何ヶ所かありました。

薄くなったお鍋の底を、鋳掛やさんが来たときに、修繕してもらうのです。

あの頃の母は、僅かな鍋しか持っていなかった。
それらを修繕したりしながら大切に使い、便利な道具など無くても、美味しいご飯を作ってくれたのです。



母にはお鍋は三つか四つしかなかったかもしれない。
けれど、お鍋をたくさん持っている私よりも、母は幸せそうだったなぁと思うのです。


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憧れの、風にそよいでいたレースのカーテン

週末は、いかがお過ごしでしたか。
日曜日は、初夏のような気候で、春はやっぱり朝夕の気温が違いますね。

私は、リフォームのための、いろんな打ち合わせで、忙しくしていました。

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家に対する私の憧れがあります。
それは、窓辺に揺れる軽やかで涼やかな白いカーテンがある家なのです。


私が生まれ育った昭和の年代は、ふるさとの家々は窓にカーテンを下げるところは少なく、襖や障子で仕切られた、田の字型のしころづくりで、そんな家は個室などもないに等しかったのです。


カーテンとえば、縁側にある黄色っぽい木綿の長いカーテンしかなかったのでした。

周囲の家々もまた、そんなふうなところが多かったと思います。


稀に縁側の掃き出しにシーツのような布を下げている家もあったけど、それらはカーテンではなく、単に布。


初めて窓辺に揺れるレースのカーテンを見たのは、トッコちゃんの家の窓辺でした。

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トッコちゃんは、姉の友だちで、どこか知らない都会から引っ越してきた一家。
その家は、私たちのような古い家屋ではなく、とてもハイカラで、そう、洋館のようだったのです


町には、他にも洋館がありましたが、そこはお城の殿様の氏素性の家々が立ち並ぶ、屋敷街にありました。

トッコちゃんの洋館は、そうではなく町家の近所、八幡様裏の雑木林の隣に建っているのです。

カイヅカイブキや、ウバメガシの生け垣が多い家々にあって、トッコちゃんの家の庭には、周囲を白い柵で囲まれていて、それは、少女漫画の世界そのものだったのです。
植栽も、松、柘植、楠、椛などではなく観たこともないような樹木が植えられている。

トッコちゃんには自分だけの個室があって、ピアノも付近の家のように応接間でなく、その部屋に置かれていました。

ピアノを背にして、東側に張り出し窓、朝日が燦燦と降り注ぐ様を空想しては、うっとりとため息をつき、夢を見ていた幼い私でした。

リフォームしたあとの、居間のカーテンを選びながら、ふと、遠い記憶が蘇ってきたのです。
そして、町の家の窓辺も、せめてキッチンだけでも、あのころの、トッコちゃんの家の窓辺にしたいなぁと思ったのです。






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美しい猫に、既視感(デジャブ)を覚えたのです

仕事の打ち合わせに向かう途中、信号待ちで、車を停めると、目の端っこに猫の背中が見えました。

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なんだかそのまま捨て置けなくなって、信号を左折して、路地に車を停めました。

猫は、私の気配に気づいているのか、どうか分かりません。

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じっと目を凝らしながら、まるでこれから出陣!と言わんばかりに抜き足差し足で歩き出しました。

その背中の肩甲骨というのか、猫も人間と同じ呼称でいいのか知りませんが。

けれど、なんと、美しい。
その背中から、私は目が離せなくなってしまいました。

猫は、まったく私の存在を無視し、そのまま自分の次の行動へと移そうと、背中にまたぐっと、力を入れました。

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猫をようくご存じの方ならば、この表情は何を物語っているのか、お分かりなのでしょう。
あいにく、私は犬と暮らしたことはありますが、猫とは生活を共にしたことがありません。

横顔を見つめながら、しばらく考え込んでしまいました。

「・・・・・・どこに行くの?」

「そんなに真剣に見つめて、その目の先には、一体、何があるの?」

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首には鈴をつけています。
きっとどこかのお家で、大切にされ愛されている猫なんでしょう。

私を見ることは一切なく、ずっと自分の世界に住む猫に、私は、ちょっと嫉妬したのでした。
イイナ、羨ましいなぁと。

車に戻りながら私の胸には、【 既視感 】 という言葉が浮かびました。

いつか来たことがあるような、知らないはずなのに、しばらくぶりに会えた友だちのような、懐かしさを、覚える。
不意に感じる懐かしさに胸が熱くなる、ことがある。

あのデジャヴと言われる、胸がキュンとなる感情です。

この美しい猫に、そんな気持ちになってしまったのです。





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あの懐かしい紅玉リンゴは、どこに行ったのでしょうか

紅玉というリンゴが、ありました。
昔は、果物屋さんの店先には必ずあったのに、最近は見かけなくなりました。
ちょっと小ぶりのまん丸い形が愛らしく、私は果物屋さんの前を通る時、買う気もないのに、紅玉があると、ついふらふらと中に入ってしまうのです。


紅玉はその名が示すように紅色で、他の果物の中にあって、目立っていたように、子ども心に思ったものです。




あれは、高校2年のクリスマスのことです。
高校生になって初めて友だちになった、陽子ちゃんの家のクリスマスパーティーに招いていただきました。

クリスマスのご馳走をいただいた後に、おばさんお手製の、アップルパイがデザートに出ました。
パウダーシュガーというのでしょうか、それが甘酸っぱいリンゴの上からふわっと、粉雪のように積もっていて、パイはホワイトクリスマスのようでした。


じっと目を凝らすと、パイの中から、真っ白で小さな雪の妖精がでてきそうな、夢のようなお菓子でした。


それが、初めて味わった、あの紅玉リンゴだったのです。

apple2.jpg


お暇するときに、おばさんが
「ちょっと待ってね~」と言うと、台所から紙袋に入れた紅玉リンゴを、お土産に持たせてくれました。

下宿に着いた私は、そのままの紅玉をガブリと一口、齧りました。
口中に甘酸っぱさが広がり、東北の田舎で、お日様の温かみをいっぱい浴びている、紅玉リンゴの姿が見えたのです。

あれから何十年過ぎたのでしょう。
私は、今もやっぱり果物屋さんの前を通ると、あの懐かしい紅玉リンゴを、ふと思い出すのです。
いつか、妖精のでてきそうな、紅玉リンゴのアップルパイを私も作って見たいなと思いながら。





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ほそびや(路地)奥の、お屋敷の桜

子どものころから、桜が大好きだった。

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春休み、学校に行かなくていいと思う反面、私は通学路の桜を見ることができないのが、かなしかった。
学校の裏門をでると、町家の奥まで、ずっとほそびや(路地)が続く。

小さな子どもでも、狭いと思うような、ほそびやの奥に、川口さんのお屋敷がひっそりと佇んでいた。

私は、川口さんの桜が、どこの桜よりも好きで、春は遠回りしてでもほそびやを通るのだった。

右足、左足、ケンケンパー、くるっとまわって、またケンパー。

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やわらかな春の風が坂の上から波のようにあふれてきたかと思うと、私の頭の上でお屋敷の桜がゆれてざわめいた。

うすピンク色の花びらがいっせいに風にまきあげられて、吹雪のようにうずまいて、ケンパーをしている私をとり囲む。



屋敷をかこむ長い長い道路沿いの土塀の上には、一本の大きな桜の木が身を乗り出すようにして梢を広げている。
住む人のいない家の庭で、その桜は、毎年、春がくると満開の花を咲かせ、敷石の道路の上に雪のような花びらを降らせるのだった。

消えてしまうのが心配で、私は後ろ向きに歩く。
それでも長くは歩けない、ふりかえると、お屋敷の桜は、まだ散り続けていた。

花びらを巻き込んだ風が渦巻くたびに、まるで桜の精が木陰でダンスを踊っているように、うす桃の影がフワッとゆれる。

甘い春の風を胸いっぱい吸い込んだとき、私の胸のあたりが桜いろにふくらんだ。





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