解体される前に、家のことを記したい

小さなころは、夏が大好きだった。
振り返ってみれば、自分が育った背景もあるからだろう、本当に佳き時代だったといえる昭和。

実家が解体されるという、突然の驚き、けど、心の底の方では、こうなるだろうなと予感めいたものはあった。

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両親が亡くなって間もなく、跡を継いでいる三女から、新しく家を建てようと思うと、相談があった。

長女も私も、今の実家を新築するのだとばかり思っていたけど、そうではなく、元、畑だった場所に建てるという。
私の実家付近は、江戸の時代、お城を守るための砦のような配置で、家々が建てられている。
手っ取り早くいえば、城に攻め入られる前に、真っ先に犠牲になるということ。


昨日は温かかったからか、体調もばっちりで、実家に行った。
普段は人気のない家は、やはり独特な臭いを放っている。

座敷に行き、縁側に寝ころびながら、ここで過ごしてきた年月を想った。

いとこ同士で、虫取り、花火大会、 夏休みの友は、白いまま日は流れていく。
楽しかった日々これからますます豊かな都市文化の捻りがもたらされようというとき、まさにそういう時代に私は生まれた。

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そのころ、下町の町家には、路地があり、泉州弁では、「ほそべや」、と呼ばれていた。
夏の蒸し暑い日も、ほそべやには涼やかな風が、どこからともなく吹いてきて、【一幅の涼】、などという難しい言葉を使う、私はちょっとおませな子どもだった。

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父の読む本の中に書かれている、それは難しいけれど、香しい雰囲気を放つ言葉を使ってみたかったのだろうか。
そんな、ひねこびた子どもに、ほそべやで涼をとる大人たちは、「賢い子やな!」と、関心し、褒めてくれて、ますます私は付け上がるのだった。

それでも、家を取り巻く、昭和のほそべやは、私の心を育む場所でもあったなと縁側に座り、空を見上げながら、涙がでてきた。






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初めての火

このところ、また寒波が戻り、ここ大阪でも寒さが堪えます。
家から眺める山の頂上からは中腹まで、雪で覆われています。
里の住まいも、雪に閉じ込められていることでしょう。


こう寒いと、一人しかいない昼間でも、やはり暖房は要ります。
温風ヒーターは灯油代が嵩みますから、なるべく家族が揃うまで、点けないでいます。
代わりに、昼間は空調機の暖房だけで過ごしていますが、灯油代と電気代、どちらが経済的なのだろう、などと主婦らしく思ったりしています。

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それでも今の私たちは、いつだって火があるから幸せなものだと思う。
人間が初めて火を使えるようになったいきさつを伝える昔話は、日本でも世界でもたくさん、語り残されている。

それ以前、何万年も前の時代は、火の起こし方や使い方が分からないために、魚や獣の肉などを生のまま食べるか、太陽に干して乾燥させた物を食べるしかなかったのだ。


記憶にある私の初めての火は、ブログに書いたこともあるけれど、火鉢で熾きる炭火にほのぼのとした想いがある。

特別な日にしか使わなかったけれど、クヌギで焼いた炭が熾きる美しさ、華やかさは眩しいくらいだった。
クヌギは炭になっても、鮮やかに年輪が残っていて、熾きる前に、その年輪の真ん中がまず、ぼっうと仄かに明るくなってくる。

明るさは徐々に、外輪に向かい濃くなってゆき、ついには炭全体に炎が広がる。
じっくり眺めていたい、飽きることない炭の炎。
他の炭ではこうはならないと、特別なときに熾きるクヌギは、祖父の自慢だった。



祖父が健在だったころは、一番にその寝所に炭が入れられていた。祖母がおくどさんでいこった炭を運ぶ足音が廊下から家中に広がると、私たち子どもは、ヤッタ!と、嬉しくなったものだった。
頃合いを見計らい、火鉢に温まろうと、私たちは祖父母の部屋に押しかける。



後年、胃癌で死んだ祖父は、そのころからも、いつも伏せっていて、茶箪笥の薬箱から苦い匂いのする粉を出してくると、火鉢にかけられた鉄瓶からお湯を注ぎ入れて飲んでいた。
飲み終えると、祖父は人心地つくのか、私たち孫に、「もっと火の側においなはれ」と声をかける。


冬の夕暮れは早く、どこか寂しげなものだけど、祖父母の部屋にいる限り、寂しさを感じなかった。
祖母が部屋の電気を灯す前の、わずかなひととき、火鉢から熾きる炭の灯りが、障子に祖父の影を写す。


私は、障子に写る祖父の手をじっと見ていた。
その手が茶箪笥に伸びると、甘い餡ころ餅を取り出すからだ。
火鉢の炭で焼くお餅は、それはそれはおいしくて、ふうふうとお餅を冷ましながら食べる。

火のあるところに、人が寄り添う、そこから団欒が生まれる、冬の火は格別なものだった。






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街から暮らしから、消えゆくモノたち

昭和の風物が、いつの間にか消えていくようになりました。
子どもたちが、花いちもんめやかくれん坊、陣取り合戦などをして遊んだ空き地も、所有者を明記し『立ち入り禁止』という看板が立てられています。
街から消えたものは、いつの間にか人の心からも消え、それが当たり前の風景になっていく。

寂しいなと感じるのは、私だけでしょうか。

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『マッチ最大手の兼松日産農林は27日、マッチの製造販売事業から2017年3月末で撤退すると発表した。
使い捨てライターなどの普及でマッチ需要は右肩下がりで、唯一の国内工場では設備の老朽化で安定供給が難しくなった。』
日経新聞、1月19日付でこのような記事が掲載されていた。

使い捨てライターの台頭にマッチの需要は、年々、下降気味になり、ついには追いつかなくなった。


子どものころ、家の至る所にマッチの大きな箱があった。
桃、像、燕の絵柄のマッチは、徳用マッチと呼ばれて、主に火を使う場所、へっついさんの上やお風呂場の竈の近くに置かれていた。

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初めてマッチを擦ったときのことを、私は今もはっきりと覚えている。


私の父は喫煙をする習慣はなかったけど、父方の従兄弟叔父にタバコを吸う人がいた。
タバコの匂いは嫌な私は、叔父の喫煙姿を眺めるのは好きだった。

座敷に通されてすぐ、上着の内ポケットからおもむろにタバコを取り出して、灰皿をもってきてと私に言う。
母がお茶を持ってく前に、先を越されたくない私は、いそいそと叔父のところへ灰皿をもって行くのだ。

あるとき、いつものように叔父が来た。
いそいそと灰皿をもって行った私に、「ええもん見せたろか」、と笑いながら叔父が言う。
胸ポケットから薄っぺらなマッチ棒を一本、引きはがすと、叔父は灰皿の淵で、マッチを擦ったのだ。

それはまるで手品のようで、私は目をまん丸くして、マッチと叔父を見比べた。
叔父は笑いながら、そんな私に、マッチの擦りかたを教えてくれた。
何度かの練習の後、ついにマッチに火が灯った。


恐ろしくてどうしてもマッチを擦れなかった私が、怖さを克服できたのは、親戚中では不良扱いされていた、この叔父のおかげなのだ。


あの頃は、小さな子どもだって、何がしかの用事があるのが当たり前で、私はお風呂の薪当番だった。

水道水でお風呂を満たすのは勿体ないから、井戸の水をバケツに汲んでお風呂まで運ぶ。
それは、一番年長の姉の役目と決まっていた。
姉の水汲が完了すると、槻木の下に古新聞を敷き、櫓のように組み、火を点ける。
お風呂場のマッチはどういうわけか湿っていて、いつも一度ではマッチに火が付かない。

姉に叱られて、悔し涙を流しながら、何度もマッチを擦る。
そうしながら、いつの間にか私は、小さなマッチ擦り少女になっていった。


懐かしい昭和の、どこにでもあった、暮らしのこんな光景も、もう見られなくなってしまうのだろうか。
新しく便利な機械や道具が暮らしに入ってくるたびに、昔からの生活の知恵がなくなってしまう。
マッチだって、あんなに小さな先っぽに硫黄をつけただけなのに、なければ暮らしが成り立たない時代があったのだもの。





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末期からの生還を信じて!

私の知人63歳女性が、膵臓癌に侵されている。
知ったのは、昨年1月上旬、その間、治療をしているとばかり思っていた。

ところが、昨年秋に自宅に戻っているというのだ。
それを私は、お正月三日に親友の携帯メールで聞いた。

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親友や私と違い、知人は大阪のおばちゃんらしく、陽気なラテン系の性格で凡そ、死とは無縁のところにいるような人だ。
死神さえも、その陽気さに圧倒されて逃げ出すんじゃないかと思えるような。

しかし、人生は想わぬ落とし穴を用意して、人をどん底に突き落とす。


親友からのメールに暫くは返信すらできず、知人の記憶を思い返していた。
やはり、信じられない思いでいっぱいになり、涙があふれてくる。
膵臓癌は、癌の中でも性質が悪いと、医学の知識のない私でも知っている。

しかも手術不能と言われた患者の生存率は一年もないと、医学書にも書いてある。



知人と共通のいろんな記憶が交差する。
メールに返信の来ない私に、しびれを切らしたのか、親友から電話があった。

開口一番、「済陽式食事療法って知ってる?」という。
なんでも、この食事療法を実践した、末期がんの患者さんの大勢が治ったという。(本当かな・・・・・・)

・塩分の制限
・動物性たんぱく質、動物性脂肪の制限
・野菜と果物の大量摂取
・玄米、胚芽米、芋類、豆類の摂取
・乳酸菌、海藻、キノコの摂取
・オリーブオイル、ゴマ油を摂取する
・…ほか

このような、末期がん患者さんに対する民間療法は、ネットで検索すると、それこそいろいろある。

サルノコシカケ、丸山ワクチンなどは、かつても今も、きっと多くの癌末期の方々の、残された選択肢の一つではないだろうか。
信仰に、救いを求める人も居ることだろう。

昨夜、知人宛てに手紙で、この食事療法を書いて送った。
親切の押し売りかもしれない、希望をもってほしいからと、悪戯に誤った情報を提供することになってしまうかもしれない。


何かをしたいという気持ちを、心身が弱っているかもしれない相手に送るのは、偽善者ではないのか。
単に、自己満足でしかあり得ないのではないか。
そう自分の心に言い聞かせるも、私は手紙を投函した。


ご家族ともども癌と闘っている、明るい知人にエールを送りたい、何かしないではいられない。
どうか諦めないでほしい。





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インターネットとの出逢い

私が初めてインターネットをするようになったのは、1999年の7月。
仕事用のMACマシンとは別に、インターネットにはWindows95を使い、アナログ回線で接続する、というモノだった。


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地元のNTTに、まず電話をかけてアクセスする、基地に繋がる前に、「ジーコジーコ」と電話の呼び出し音が鳴る。
繋がったら、パソコンのモニターの右下に、電話料金が表示されるという、代物だった。
嵩む電話料金に、長文のサイトなどは、直ぐにオフラインにして読むようにしていた。




同じようにアナログ回線での接続だったけれど、会社に行くとネットが繋がっていて、電話料金を気にせずインターネット接続できる。
私用にも使っていた私は、不良社員だったような。

当時から、私はウエブ日記をつけていて、いろんな日記サイトを利用させていただいた。
それらサイトが、日本におけるSNSの奔りかなと思っている。


そんな中で、リンデ、という女性が集う掲示板形式のサイトを見つけた。
そこに集う女性たちは、一様に、好奇心の塊のような人が多くて、私も刺激されることが多くあった。

掲示板を通して、見知らぬ地域の名前も知らない女性と交流する、本当に楽しかった。

掲示板も、ナスカとかセッカク、イルカなど、無料のボードがたくさんあって、そこに画像を張りつけたりする、htmlタグの勉強も、実に面白く、パソコンという魔法の箱は私を虜にした。



そこで出会った女性たちは、みんなもう音信不通になったけど、元国語教諭のMさん、養護教諭をしておられたTさん、雑誌社勤務のSさん。
みんな、どうしているのだろうと、今日のような日に、ふと思う。


パソコンの後ろには、広大無辺な世界が広がっていて、そこにアクセスさえすれば、時空を超えて夢中にさせてくれる居場所があった。
インターネット接続で繋がったパソコンは、魔法の大人の玩具箱だった。

懐かしい人たちと、今一度、逢えたらな。





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