すい炎から、すい臓癌にならないための七ヶ条

昨年、知人64歳女性がすい臓がんで亡くなった。
余命半年宣告を受けていた中、二年間を生き抜いた。


昨日は、『知人を偲ぶ会』が知人の家であり、私も参加してきた。

緩和ケアで過ごされていた部屋を、ご主人が案内してくださった。
ご夫妻で『里山保全・森を守ろう』活動に精出されていた、まだお元気なころの写真が飾られていた。
大好きな木々を保全する活動に参加できる、喜びに輝くばかりの笑顔が眩しい。


ふと周囲をみわたすと、和ダンスの横の壁に、小さな紙が一枚、そっと隠すように貼られていた。

そこには、
(1)飲酒は適量。2日連続では飲まない
(2)脂っこい食事は減らす
(3)エネルギー補給は糖質(ご飯、めん類、パン、芋類)中心で
(4)大豆食品など良質のたんぱく質を十分に
(5)野菜・果物などでビタミン類も過不足なく
(6)食事は腹八分目に
(7)ストレス解消に努める

と、『すい炎にならない七ヶ条』が書かれていた。



それを読みながら、思い出した。

4年前くらいだろうか、知人とあと一人の方を交えて、一緒に食事をしたことを。
中華のお店だったけど、そのとき、知人は唐揚げも野菜炒めも、
その他、油を使った料理はほんの少し、小鳥が啄むようにしか、食べなかったのだ。


あぁ、あのころ、もうすでに、すい炎を発症していたのかもしれない。
けれど、周囲に気取られないように、ダイエットしてるから、と笑っておられた。

その後、すい臓癌で余命宣告をうけたあと、緩和医療というのか、在宅治療を受けていた。

その間、彼女の寝室の一枚の紙を、どんな想いで眺めていたのだろう。
ご主人は、この張り紙に気づいておられるのだろうか。

後悔の念にかられていたのではないと、思いたい。
けれど、そんなことを思い出すと、また涙がでてきてしまう。




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救急処置のできない、救急医(②)

よろめきながら歩く私の背中に、看護師さんと娘の呼ぶ声が覆いかぶさってきた。

さすがに大人げないと思った私は、怒りをひとまず鎮め、深夜の病院に高らかな靴音をさせていた先生に診ていただくため、緊急診察室に入った。


医師は、大きなマスクをしていて、目と額だけしかわからず、その表情はうかがい知れない。

マスクをしているからか、声は小さな上にくぐもっていて、何を言っているのか、よく聞き取れない。
医師は、目の前に座る、患者私にではなく、逐一、看護師さんを通しながら、どうしたの、とか聞いている。

唯一、私に向けて言ったのは、診察を終えたらしい最後に、「薬要りますか?」だけだった。

患者を患者とも思わないその物言いに、また腹が立ってきた私は、「けっこうです!」と一言だけいうと、そのまま病室を出た。
足音荒く、語気強く、と書きたいけど、最悪のコンディションゆえ、足元よろよろ、声はか細くで、私は怒ってます、が通じてなかったかもしれない。


その瞬間、私の心には、こんな医師に診てもらいたくない、こんな病院では死ぬのは嫌だ!と激しい怒りがあったのに。

おかしなもので、こんな医師に診てもらって死にたくない、という想いがある間、猛烈な吐き気は治まっていた。


結局、その救急病院には、医者は一人しかいない。

当直医は、何科が専門なのかは、分からない。
けれど、救急医と言うのは、最低限の救急処置(気管内挿管や薬剤の使用、除細動器の使用、などなど)は当然できなければならないのではないだろうか。

医療知識も持ち合わせない、私の独断だけど、この当直医にそれができるとは到底、思えない、思えなかった。

なぜ、この病院は救急のできない医者を当直医として雇い、またなぜこの当直医は救急ができないのに、市の救急指定病院で、当直にあたっているのだろうか。

病院側も、「とりあえず救急なんかできてもできなくても医師免許さえ持っている人間をおいておけばそれでいい」
という適当な感じだったのではないだろうか。

いろいろな事情を考えると、救急とは全く縁のない医師がいるのも当然かもしれない。

とは認める。

そうはいえ、私の容体を直に聞かず、看護師の説明を聞く、また患者である私の顔も見ない。
脈をとることすらしない(最近、本当にこのように、画像やデータばかり見、患者を見ない、診ない医師が多くなったと感じる)、ただパソコン入力のカルテに向かい、カタカタ文字を打つだけのこの医師は、おしまいまで、私に直接、容態を訊くことはなかった。

それは私に、【医師である前に、人としてどうなの】と思わせた。
この医師にだけはかかりたくない、不信感だけを抱かせた。


医療過誤とは、案外に、このような安直な診療体制のもとで起きてしまい、一人の貴重な命が奪われるのかもしれないなと思った次第だった。






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二回にわけて愚痴を書いた、お見苦しいブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。
あくまで、病院嫌い、薬嫌いの私が感じたことを書きました。








救急処置のできない、当直医

昨年暮れ、私はノロウイルスらしい症状に罹り、ずいぶんと長く苦しんだ。

始まりは、軽い嘔吐とお腹の痛みだけだったのが、そのうち水や白湯まで戻すようになってきた。
ベッドに寝ている私を見て、
「お母さん、くちびるがカサカサになってる!脱水症になってるのと違う!」

びっくりした娘が、病院に行ったほうがいいと言い出した。


それが12月27日、夜の11時ごろのことだった。

救急に電話をかけて教えていただいた休日診療病院に着き、受付を済ませ、待合室で待つように言われた。
そのときの私は、激しい下痢と猛烈な吐き気が断続的にやってきて、待合室の椅子に腰かけているのもしんどいという状態だった。


ほどなくして、看護師さんが来て、椅子に横たわっている私に、「血圧を測るので、座ってください」、と云う。
座ることもしんどかったけど、のろのろと起き上がり、腕を差し出したその瞬間、またもや吐き気が来て、おぇっと戻しそうになる。


待つこと30分。
深夜の廊下には不似合いな、高らかな靴音が響いた。
娘は、やっと先生か!と期待し、思わず足音に合わせ、椅子から立ち上がる。

長椅子に横たわり、タオルを口にあてていた私の目の端に、靴とズボンの足元が見えた。
靴の持ち主は、立ち上がった娘に声を掛けるでもなく(まぁ、当たり前かも)、椅子の横を通過すると緊急処置室に消えた。

急性胃腸炎などの場合、正直なところ、医師に診てもらう必要があるのか、私は疑問だった。
けれど、情けないことにあまりのしんどさに、病院に行けばこの辛さをとってくれると思い込んでいた。

ウイルス性胃腸炎や、感冒、インフルエンザをやっつける薬など実はなく、自分の免疫が彼らと闘ってくれるのを待つしかない、それすら浮かばない有様。

医師が緊急診察室に入って、15分くらい過ぎた。
通常なら、この15分はなんてこともない時間。
だけどそのしんどさから救ってほしい、と、魔法の杖を期待していた私には、地獄のような待ち時間だった。



「帰ろ!」そう娘に言うと、胃と腸を押さえながら、よろよろと私は玄関口に歩き始めた。

心のなかにあった感情は怒り、怒りの中にあったものは、
『なんやの!この病院は!苦しむ患者に一言の声掛けもなく、ずっと待たせたまま。絶対にこんな病院では死にたくないわ!』

という怒り的、突き上げるような感情だった。あぁ、短気かつ情け無い自分が恥ずかしい。





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【昨日は、栄養バランスに付いてたくさんのアイディアをありがとうございました!】

正直、ブログに載せるのは勇気が要りました。
「えっ、今更?今まで、栄養バランスも考えないで食事作りをしてたの?」
と、ツッコミが入るかと。(・_・;
ありがとうございました!


今日の愚痴記事は、明日、Part2に分けて書きますので、
よろしくお願いいたします。m(._.)m
















意外と知られていない【 クラッシュ症候群 】

わが家は今、耐震補強工事を進めている。(実家もそうできたらよかったのに・・・・・・)
昨日は、耐震専門の設計士さんが来られ、自宅内を一通りみていただき、補強箇所を計算し見積額を算出するようにしていただいた。

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来るか来ないか分からない地球の所作、巨大地震に対し、大抵のお宅は、見積額を聞き、工事を断念されるらしい。
わが家も、里の住まいに住んでいるのなら、恐らく、こういう考えには至らなかったかもしれない。

もちろん里の家のほうが年数はかなり古く、補強など及びもつかないと思う。
けど、私たちは今後もずっと、ここ、町の住まいを終の棲家とすることに決めた。


まず市の無料耐震診断に申し込み、その結果が出たのが、一月の中旬。
予想はしていたけど、えっ!と驚くような耐震診断の結果だった。

即ち、わが家は【震度6弱で、倒壊の可能性あり】、という診断結果に、詳しい説明がついていた。


あの阪神淡路大震災で、クローズアップされた二次災害に、『クラッシュ症候群』がある。

一旦は命が助かったにも関わらず、救出後、何時間後には亡くなってしまう方が続出したことから発覚した。

─引用─
1995年1月17日の阪神・淡路大震災でがれきの下に埋まった状態から救出された人が数時間経った後に症状が急に悪化し、死亡した例は多数に上る。
これが俗に「クラッシュ症候群」(別名:クラッシュシンドローム・挫滅症候群)と呼ばれるもので、この時はまだ一般に広く認知されておらず、概算の記録ではあるが、少なくとも372人が発症し、そのうち50人が亡くなっている。
これを契機に、日本ではクラッシュ症候群が認知されるようになり、災害医療のあり方も大きく変わった。


と、安心安全情報のウエブサイトに書かれている。

阪神淡路大震災では、私の叔母も被災した。
新築したばかりの住宅が倒壊し、一階に寝ていた叔母は、圧死した。

そしてその後に、叔母の死を通して、クラッシュ症候群のことを聞いたのだ。

人間は、身体の一部分だけでも、長時間(3時間くらい)圧迫されると、血流が途絶える。
命からがら救済されて、停止していた血流が再開したときに、圧迫していたときに細胞内に作られた毒素が、一気に全身を駆け巡り、ついには多臓器不全に陥り、命を落とす。


耐震補強工事をすることを決めたのは、あのときの叔母の死の原因を聞いた、それが一番にある。
少なくとも、叔母の死が教えてくれたことを無駄にはしたくない。
家は、一度目の揺れに耐えることができたら、少なくとも逃げることはできる、かもしれない。

それにわが家はバス通りに面していて、倒壊してしまうと、ご近所の方々が逃げる退路を絶ってしまうことになり兼ねない。

耐震設計士さんの帰り間際に、「補強工事費の概算だけでもいいので、教えてください」と、訊いてみた。
もちろん、補強工事のついでにリフォームもお願いしたからだけど、市の助成金を、はるかにはるかに上回るその金額に、びっくり。





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今日は、コメント欄は閉じさせていただいています。

ご伝言は、24時間オープンの『NEW!メッセージボード』
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脳卒中患者に、拘束衣 (身体の自由を奪う) を着せるということ

父が死んで、今日でちょうど25年が過ぎました。
この時期はやはり、何かと父を思い出してしまい、ブログに書く内容が闘病記になります。
読まれて気分が、沈んでしまったら、ごめなさい。

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二度目の脳梗塞発作で、半身麻痺になった父は、所謂、老人病院というところに搬送された。
その時、父は64歳。
老人とも言えるし、まだ若いとも言える年齢だった。

先だって書いたブログの続きになるけれど、何故、父が拘束衣を着せられたのか、長い年月が過ぎた今も、私は時折、考えることがある。



今とあの頃では、看護や介護に携わる人々の意識は違うかもしれない。
けれど、父が搬送された病院では、一室に12名の患者を押し込み、システマティックに介護していた。


何故、突然、家族にも知らせず、病院は父に拘束衣を着せたのか。
看護ヘルパーさんが、父の隣の患者のオムツ交換の際に、たまたま、父はお尻がどうにも痒く、手を差し伸べて掻いた、と理由を訊く私に、途切れ途切れの言葉で説明した。

システマティックということなら、人間でなくともロボットに出来るはず。
時間から時間へとオートメーション化された介護では、患者ひとりひとりの容態など目がいくはずもなく、みんな十羽一絡げの介護しかしない。
お腹をこわしていようが、時間が来ないとおしめを換えることはしない、いいや、出来ないのだ。それがシステマティックな中での規則だから。

病院側の規則に従って行う介護の中の一つに、『下半身に手を自分でやる患者は痴呆』という条項があったのだろうと、思う。



完全看護の謳い文句の陰には、このような現実がある。
患者は、ご飯が盛られたお椀に、副菜も薬も、一緒くたに入れられグチャグチャとかき混ぜた、【餌】を無理やりスプーンで口に入れられる。


むせて涙が出たら、そこで食事は切り上げ、食器はさっさと下げられる。
背中を撫り、大丈夫、との声掛けすらしない。
その間、彼女らは一言も、口を利かない。

そして、ちらっと自分の手首の時計を見る。


私は、病院側から「ご家族の方は頻繁に来ないでください」と抗議の声を無視し、転院するまで、毎日毎日、父のベッドサイドに通い続けた。

そして、父の食事の世話をし、不自由ながら歩けた父をトイレまで一緒に付き添い、私が帰ったあとは、ベッド横のポータブルトイレを使用できるように、病院側と争い、権利を勝ちとったのだ。

病院というところは、雑多な細菌やウイルスが棲む温床であるからと、私の身を案じてくれるヘルパーさんもいた。



詰まる所、介護も看護もいくらシステマティックで且つ、オートメーション化されたものであれ、そこに携わる人如何によるものなんだろうと思うのだ。

私たち患者の家族からすれば、酷い、としか言いようのないヘルパーさんも、ご自分の家族が患者になれば、その時の私と同じように、なんて酷い介護なのだ、と感じるはず。


老人介護の現場では、患者ひとりひとりに心と目で向き合うことは、出来ないだろうなと、今は思うのだ。
幸いに、父は伝手を頼り、この病院から普通の病院に転院出来た。

けれどもし、あのまま老人病院に入院し、拘束衣を着けたままだったら、どうなっていただろう。
いくら半身麻痺とはいえ、人は自分の手から食事をし、咀嚼する、そして、排泄も介護の手を借りることなく自力で出来る、それが、生きていると言えるのではないだろうか。




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