本と子どもと、私

はじめて子どもを持ったとき、私は思ったものでした。

私は、自分が大切にしているもの、美しいと感じること、価値観が高いことを共有できるような、
そしてなによりも、本が好きな子どもになってほしいなと、願ったのでした。


小さなころから、たくさんの人と接するのが苦手、音楽もダメ、ちょっと不器用な私でしたが、本だけは大好きでした。
本から得たあたたかな想いや、希望に燃える心を、自分の子どもにも味わってほしいなと思ったのです。
そんな気持ちは、ずっと今も心にあります。

読書から得るよろこびを知らないでいる子どもたちに、本の世界を感じてもらいたい、その気持ちはわが子にも、わが子でない子どもたちにも、同じように思っています。



わが子が少し大きくなると、二人して図書館通いが始まりました。
いつしか娘は、本が大好きな、本がなくてはならないような子どもに育ちました。
図書館では借りられる本に限りがあり、母娘して数を譲り合ったり、また、競い合ったり、楽しい日々が続いたのです。



私は今、『本の読み聞かせ会』のボランティアをしていて、今月は自分が読み聞かせの本を選ぶ当番月にあたります。

ところが選んだ本、ムーミン一家の物語は、会議でメンバーの承認を得られなかった。
それは、少し前にブログ記事に致しました。

読み聞かせ会は、26日にあります。
それまでに、会議でメンバーの承認を得なければなりません。

いろいろ考え迷ったのですが、安房直子さんの本にしようと思いました。

『ゆめみるトランク』です。
北の町の一軒の素敵なかばん屋さんには、ちょっと風変わりなお客様が訪れます。

ゆめをいっぱい、かばんに詰めて、お店に来る妖かしの生き物たちと心があたたかくなる、小さなお話の数々。

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なんといっても、安房さんの本は読んでいる私までが楽しくなります。
やっぱり本はこうでなくっちゃ!とワクワクするのです。


ご存知かもしれませんが、安房さんは五十歳という若さでお亡くなりになりましたが、子どもたちのための児童書を、たくさん著し遺されました。

古来からの民話を下地に、独特な世界観を紡ぐ、ファンタジー界にもたらした功績は大きいなと、私は思っています。
読み聞かせ会で伝えたかった、家族愛はひとまず置いて、聞いてくれる子どもたちの心に、少しの夢や希望が湧いてくれたらと願いつつ、本の世界の素晴らしさが伝わったらなと思います。



その前に、まずはメンバーの承認が必要ですが。




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本の読み聞かせ会で選んだ本、 【 ムーミン一家の物語 】 のこと

数カ月ごとに、本の読み聞かせをするボランティア活動をしています。
3月は、私の当番月にあたり、さて、どんな本を選ぼうか、と迷った結果、【ムーミン一家の物語】が頭に閃いたのです。

日本ではアニメになって放送されたこともあるので、子どもたちにも馴染みやすいのでは、と思ったこともあります。

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今回、私たち【読み語り会】がお邪魔するのは、T学園というところ。
ここは、親と暮らせない乳幼児から高校生までの子どもたちの家でもあります。

学園に来ることになった子どもたちの事情背景はそれぞれ異なるけれど、親と住めない子どもたち、という点で共通しています。
ネグレクトされた、交通事故で親を亡くしてしまった、その他、親からの様々な虐待から逃れてきた子どもたちの居場所になっているのです。

学童期の子どもたちは、この住まいから校区内の学校へ通学しています。
正直、学園から通学していることで、学校内で苛めにあったり、云われなき差別に晒されている子どもたちもいるようです。


それが因で、心が荒んでしまう子もいると、先生方のお話しをお聞きすると、胸が痛みます。
私たちの会は、本を通して、『生きていると良いこともある』、を伝えたい、が活動の根っこにあります。

始めは本好きなみんなが集まり、図書館で読み聞かせをしていたのが、もう少しフィールドを広げて、今日になっていったのです。


【ムーミン一家の物語】は、フィンランドの童話作家、トーベヤンソンが生んだ、ムーミントロールという、架空の小さな生き物を主人公に、物語が進んでいきます。
トロールは北欧の神話や民話に出てくる、妖精や小鬼のことです。


トーベヤンソン、ムーミン一家の物全集は、一巻から始まり、八巻で最終を向かえましたが、ムーミン一家やその周囲の小さな生き物たちは、今もムーミン谷で生きていることでしょう。。

ムーミン一家には、シルクハットを被り、タバコをふかしている一家のパパ、エプロン姿の優しいママ、そして一人息子の、ムーミントロールがいます。
ミーという小さな女の子が養女になったり、いつも一家を頼ってくる人(生き物)の姿が絶えません。
家族愛というモノが、物語の骨子にもなっているのです。



物語の全編に流れるのは、頼りになる父親、子どもを慈しむ母、両親の愛に見守られながら、心を大きく成長させていくムーミントロール。

本が決まったことで、私は、会に報告しました。

ところが、家族愛がテーマになっているこの物語を、学園の子どもたちに聞かせるのは酷ではないか、そんな意見が日曜日の会議で出たのです。

「いくら童話でも、やっぱり家族をテーマにしたことが良くないのだろうか・・・・・・」

と、これは、私の心の声です。

この記事は長くなりますので、次に(明日)続けて書かせていただきます。





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【魔使いの弟子】最終巻を読み終えて

長く愛読してきた、イギリスのYA作家、ジョゼフ・ディレニテイーの【魔使いシリーズ】に、一応の区切りがついた。
あまりにも、私の想像とかけ離れていた結末に、ショックでしばらく、茫然としてしまった。

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このシリーズは、本国のイギリスで続編が出版されている。
最終章は終わっても、この続きがまた翻訳されて、日本にも紹介される日が来るだろう・・・・・・か。

魔使いは、その地方の魔の者たち悪霊や幽霊などから人々を守る任に就いている。
平たくいえば、悪魔払いのような役割だ。

リヒューム、ボガートなどと、聞きなれない闇の者たちの名前が、本には何度も登場する。
ファンタジーの世界では、そのネーミングも目新しく、私には新鮮だった。

彼らは、闇(悪)と闘う故に、本来なら感謝されるべきところを人々からは恐れられ、忌み嫌われる。

お金儲けもできず、自分たちが信ずる、光(善)の世界のために闘うのだ。

この本で私は、善と悪について考えざるをえなかった。
初めにも書いたけれど、簡単に言うと、私の想像していた結末にはならなかった。

私は典型的な、勧善懲悪を想像していた(というより、そうなってほしいという願望か?)。
続きを書くためには、悪を完全に滅ぼすわけにはいかなったのだろうけど。

作者のジョゼフ・ディレニテイーさんが書きたかったのは、必要悪についてではないのだろうか。
最終章を読んで心に強く残ったのは、善と悪と、必要悪だった。

地球は、自分自身の内に、善と悪を住まわせている。
そして、内なる中で善と悪を競わせ、ほんのちょっぴり、善が勝るように、自らの意思でしていると、常々私は思っている。

それが、即ち必要悪なんだろうと思う。

魔使いシリーズを読んでいて、そのことをいつも感じていた。
なぜ、善だけではダメなのか、悪が必要なのか。

そこが、最終章では曖昧になっていたように思う。
続編では、そこを書くのだろうか。

それにしても、愛読書と別れる辛さは堪える、早く続編を日本でも出版してほしい!






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ウツウツに対しての暖かなコメントを寄せてくださいまして、
本当にありがとうございました。
読みながら、心が慰めらて、気持ちが和らぎました。






一頭のハスキー犬の死に、思うこと

怠け者に徹する手始めに、昨日の日曜日はダラダラと本を読んで過ごすことにした。
最小限の家事を済ませ、ベッドを温かくして、寝転び読書をしようと思ったのだ。

ベッドを居心地よく整えていたら、ドタドタと階段を駆け下りてくる足音がした。


慌しく、娘が部屋に入って来て、

「お母さん向きのエッセイがあるよ!」と、娘の手には一冊の本があった。
薦めてくれたのは、ハスキー犬のグレイのことを書いた伊勢英子さんのエッセイ。

文庫になったこの本の末尾には、伊勢さん一家にハスキー犬の、グレイがやってきて、わずか4年後には、悪性の進行ガンで死んだと書かれている。



娘が9歳のときに、我が家に迎えた愛犬のプリンは15年を生き、昨年10月風が吹く寒い日に死んだ。
12歳のころだった、長生き犬の仲間入りを果たすことができたと喜ぶ反面、いつか別れが来るのだなと、漠然と思うようになったことを、唐突に思い出した。

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12歳のころのプリン。


家族に愛され、家族のために生きた大型のハスキー犬グレイは、臨終の間際は激しい痛みの発作に苦しむ。
その姿が、プリンと重なって、哀しみで胸がつまる。

もうやめて!楽にしてやりたい、グレイが可哀想で堪らなく、本を閉じそうにもなった。

犬として生まれたグレイには、【 時の観念も死への不安もないのだ 】

【 時は、人間が作り出したもの、犬は、今日、自分が死ぬかも分からないけど、いつもと変わらず生きていられるのです】

伊勢さんは本の中にそう書くことで、グレイの死を受け止めようとされていた。

そうなのだ、犬と人間の感情の違いは、複雑と単純で表すことができるかも知れない。
私たちは、どうしても人間目線で、犬のことを考え、思いやり、思い込んでしまう。



ペットロスなる症状も、犬目線で考えたら、きっと犬は精いっぱい大好きな人間家族と生きて幸せだったのに・・・・・・、もっと傍にいてやればよかった、あぁ、早くに気づいて医師に診てもらうべきだったと。

そんな愛たっぷりの飼い主の、悔やむ心が感情のロスを作り上げるのかも知れないのだと思ったり。

愛するグレイが逝ってしまった画家の心には、大きな穴がぽっかりと開いてしまう。
その穴を埋めるには、グレイが戻ってくれることしかないかもしれない。

けれども、逝ってしまった命を再び戻すことはできない。
人間という複雑な感情を持つ生き物は、哀しみの穴を何個も開けながら生きていくしかないのだろうか。

死は哀しい、けれど、グレイの死は、わが家のプリンがくれたあらゆる心を、思い出すことになった。
食べなくなって、飲まなくなって、訪れる死を受け入れる。
死にたくない!などと喚くことをせす、静かに死が来るのを待つ。


本のページの相当数を占める、伊勢さんの柔らかなパステルタッチの挿絵だけでも楽しめる、何度読んでも、ほろっとさせられるエッセイ、『グレイがまってるから』

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元の飼い主の身勝手な都合で、殺処分寸前の運命にあった、ほんの赤ちゃんだったプリンを、娘の弟としてわが家に迎え入れた。




16年近く生きてくれた間に、プリンは娘の弟から兄になり、最期は家族中で一番のおじいちゃんになって死んだ。
それでも、あのわが家にやって来たその日から、ずっとプリンは私の息子だった。
プリンを愛することで、私たち家族は、人生のかけがえのない日々を、犬という愛情豊かな仲間と過ごすことができたのだ。


少し古い本ではあるけど、『グレイが待ってるから』は、読み終えた私を、そんな気持ちにさせてくれた。




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足るを知る幸せ

昔に読んだ本を読み返してみると、当時と今では受け取り方が違うことが多い。
ベルギーが舞台の【フランダースの犬】、ネルロ少年と愛犬パトラッシュの物語。
貧しいながらも、ネルロは愛犬パトラッシュと牛乳を売りながら、おじいさんの手助けをする、幸せな暮らしをおくっていた。

ネルロの日々を豊かにしていたのは、ベルギーが生んだ偉大な画家、ルーベンスのような画家になる夢だった。
子供のころに、読んだ方も多いと思う。

そんな幸せな日々は、おじいさんの死によって終わりを告げる。
情け容赦ない家主に住まいを追われ、極寒の中を彷徨うネルロとパトラッシュ。
飢えと寒さでネルロは、死を覚悟する。
なぜ、家主はネルロを追い出すのか、 その非情さに、子供なりに怒りを覚えた。

最期にネルロは、偉大な画家ルーベンスの絵を観たいと願う。
その瞬間、風でカーテンが揺らぎ、ルーベンスの絵が観える。

ルーベンスの絵を観ながら天に召されるところでは、感極まって図書室であることも忘れ、小学生の私は、本を抱きしめ、大声で泣いた。
この物語は、何度も何度も読んだからか、ネルロが夢の中にまで出てくるようになった。




最近、この本を読み返してみた。
初めて読んだ日から50年近くが過ぎたことになる。
あの時と今では、私の受け止め方が違う。

これでもか、これでもかとネルロに、不幸が襲いかかることで、幼いころは、ネルロが、不運のままその短い一生を終えたと思っていた。

でも、今思うのは、死ぬその間際、ネルロは幸福に包まれていたのじゃないだろうか、と、読み返してみて、そう思ったのだ。
観たかったルーベンスの絵が、奇跡によって、ネルロの最期の目に触れた。
なんて幸せな最期だろうか。
人はその生に別れを告げるとき、誰もが、このように心を満たされて死ねるだろうか。

『足りて知る』、という言葉がある。
作家ウィーダーは、このことを言いたかったのではないだろうか。

幼いころは、悲劇の本と言われるこの物語の、ネルロの不遇な身の上に自己を重ね、嘆くことで自己満足していた。
戦争を知らない私世代でも、日本はまだまだ豊かな時代ではなかった。
貧しい人々がそこかしこに多くいた。

その背景とネルロの境遇を自分に置き換え、同情し泣いた。
人の歩く道には、四季がある。
ネルロのその短い一生にも、ちゃんと、人生の四季はあった。

非常な家主の娘アロアは、ネルロに優しかった。
パトラッシュは最後まで、ネルロの腹心の友だった。
そして、親代わりになってくれたおじいさんに愛されていた。

ネルロに、人生の春はあったのだ。
そして、ネルロは、最期に、最大の夢、ルーベンスに逢えた。

死に向かうその際で、『足りて死ねること』 あぁ生まれてきてよかったと思えることが、なによりも、よりよく生きたと言えるのではないだろうか。

と、若いころに、この本を読んだときには思わなかったことを、今は思える。
過去に読んだ本を、読み返してみることも、案外いいかもしれない。




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