ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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この世に生まれてきた意味

私がまだ小学校の低学年だった頃のこと、近所に日の出という食堂があった。
"食堂”と、屋号にあるのに、洗剤や、野菜、果物まで売っているようなお店だった。
日の出食堂には、年齢はよく分からないけれど、その身体は私よりはるかに大きかった、マー坊と呼ばれる子どもがいた。

マー坊は、いつも鼻水をたらし、目ヤニをため、口からは涎を垂らしていた。
店の奥から時折聞こえる、マー坊の獣のような声が怖くて、私は、日の出食堂にお遣いに行くのが嫌でたまらなかった。
今思うと、マー坊はたぶん、脳性まひだったのだろう。

そのマー坊と、私のダウン症の末妹が仲良しになった。
末妹はダウン症故か、優しく温厚な性格で、取り分け、身体に障害を持っている人には親切にした。
マー坊の言葉にならないうめき声から、彼が何を言っているのか理解した。

末妹が中学2年の夏、マー坊が死んだ。
狭い道から飛び出してきた車は、通りをゆっくり動くマー坊の乳母車を、咄嗟に避けることができなかった。
あっけない最期だった。


マー坊や末妹がこの世に生まれてきた意味を、最近、よく考える。

私は自分が気味が悪いと思った、マー坊などのような人を、実際にダウン症の妹が身内にいることもあり、障害を持つからという理由で差別してはいけないと、思うようになっていった。

ダウン症は、その肉体の臓器もすべて未成熟で、小走りになっただけでも、妹は心臓発作を起こしてしまう。
寒さにはことのほか弱く、風邪からすぐに肺炎になる。
病弱ゆえの儚さがあって、痛々しくて、小さくて、か細かった。

それでも、末妹は私たち姉妹の大切な宝物だった。
末妹は生き物が大好きで、その世話をする楽しみが、大きな生きがいだった。
私は心臓病で入院中の、妹の喜ぶ顔が見たいから、家の犬の世話をし、小鳥を飼い、苦手な猫にも優しくすることもできた。
文字を早くに覚えたのも、絵本を読んでもらうのが、何よりも好きな妹のためにということもあった。

3年前の12月、師走の慌ただしいさなか、まだ50歳にも満たない若さで、妹は死んだ。
その最期は、多くを語れないまま逝ってしまった。

長い入院生活の中、苦しそうな息遣いのなかで、「私のお墓には桃色のお花を飾って」と言った妹。
大好きなピンク色は、愛くるしい妹に相応しい。
両親と一緒に眠るお墓は、さぞかし賑やかなことだろう。
自分を忘れないでと言いながら、私たちの手を握り、意識が混濁し、ついに呼吸を止めた。

葬儀の朝、私たちの大切な宝物は、ピンク色のウエディングドレスを着て、天にかえっていった。

優しさや、人を想う感情を、愛という言葉に置き換えるとしたら、マー坊や妹の存在は、この世に生きる人間に、愛を教えるために、神様が天から遣わしたのかも知れないと思う。


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葬儀は、誰のためにするの

このところ、うちの町会で訃報が相次いでいて、週末は隣組の用事に追われることが多い。
町を縦横に走るスピーカーから、毎朝のように、
「○○の○○さんが、昨日、お亡くなりになりました。みなさんで、お見送りをお願いします」と告げるアナウンスが聴こえる。

田舎の狭い町会といえども、私の知らない人の名前が読み上げられることが多い。
町会の人は、付き合いの薄い方の場合はお通夜に、親しくされていた方とは、通夜と葬儀の両方に参列するようだ。

スピーカーから流れる訃報の知らせを聞く度、私は母の葬儀のことを、つい、考えてしまう。
母が死んだとき、葬儀のことで長女と三女が少し、言い合いになった。
うちは小さなころから、三女が跡取りと決まっていたこともあるのだけど、長女は家を継ぐことなく結婚で出てしまった。

それでも、ハレとケには何かと、意見を口にする。
姉は葬儀を実家の方の流儀で、派手にしようと。
父より派手になってはいけないけれど、それに準ずるクラスで葬儀をすべきだと。

三女は生前の母の意向通り、『質素かつ、身内だけの密葬でしてほしい』
そんな葬儀にしたいと珍しく、自分の意見を口にした。

臨終後の姉妹の言い合いを傍で聞きながら、私は自分の意見を言うべきだろうか、迷っていた。
けれど、亡くなる寸前の母に、水や果汁を飲ませたことで、長女は私に対し、よくは思っていない。
だから、沈黙を守ろうと思った。

三女にしろ、長女にしろ、母を想う気持ちは同じなのに、なぜ、ここにきて言い合いになるのか。
天に上る前の母がきっと哀しみながら聞いているだろと、私は思わず仏間の天井を仰いだ。


そして、北枕に寝かされた母の横に座り、ずっと考えていた。

母は、自分の葬儀観を、私に話したことがある。

「人が死ぬと、そこから魂はすぐに消える、だから葬式を派手にしても死んだ人はわからない」
つまり、葬式は故人のためではなく、遺族のためなのだと。

私も母の娘。
だから娘としては長女、三女のどちらの気持ちも理解できる。
私の心にも、実は姉と妹の両方と同じ気持ちがあったのだ。


結局、母の葬儀は、長女の意見で執り行うことになった。

けれども、相反する、最期の時に思うこの感情に、私は考えあぐねた。

葬儀は確かに、遺族のためというか、家の建前があるのかもしれない。
建前の中には、ずっと風習だからとか世間体とかもある。
けれど、もし、母の葬儀を三女の、(母も望んだ) ようにしていたら。
私たち娘の心はその後、どうなっただろう。

泉州地方は、葬儀を派手にする地域として、全国に知られている。
葬儀には普通クラスでも、5人の御坊様が読経する。

家の格により、それが7人にもなっていく。
お寺に支払う読経料だけでも、何百万円もするのだ。

母はそれを見越して、余所者の自分の葬儀は質素に、と遺言したのだと思う。

私にも娘が居る。
娘が、私のエンディングノートに、【葬儀は一切なし、役場に死亡届のみ】と記されているのを見たら、どう思うだろう。

斎場で火葬されて、お悔やみをいう人もいない、手元に残るのは、死亡確認書だけ。

娘の今後にそれがどのような影響を与えるのか。

そう思うと、私はとても迷う。
母のように、きっぱりさっぱりと、「葬式は要らないから」と言い切れるのかどうか。

盛大でなくてもいい、ある程度、順を踏まえた葬儀をすることで、遺された家族が、覚悟する、ことができる。

死とは、やはり永遠の別れ。
それを遺族の心に知らしめるためにも、また、葬儀は、誰のために”する”のではなく、”ある”のか、と考えると、それが葬儀のもう一つの側面にあるのではないか、と思う。




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女優業は、たいへん

ちょっと前の放送になる。
『さんまのまんま』、というテレビ番組に、女優の宮沢りえちゃんがゲストで出ていた。

その昔、『三井リハウスのCM』で、デビューしたばかりの宮沢りえちゃんを見たとき、わぁ!なんて可愛い女の子なんだろうと、びっくりしたことが懐かしく思い出された。

彗星の如く現れたりえちゃんは、ほどなくして、テレビドラマに出るわ、写真集は出すわで、時代の寵児になっていった。
りえちゃんのお母さんは、いつも真っ黒のTシャツにパンツというスタイルで、わが子のマネージメントに力を発揮していた。
こんなに可愛い娘が自分の子どもなら、りえちゃんママでなくても、自己投影してしまうのは無理からぬことだと思う。

あれから、何十年が過ぎたのだろう。
30年か、それ以上ではないと思うけど、月日はりえちゃんの面差しに、その爪痕をくっきりと刻んでいた。
今はデジタル画像になり、女優さんはちょっとの容色の衰えでも、モニター越しに、はっきりと分かってしまう。
テレビは、ポスターなどのように、画像処理ができないのも辛いところだろう。


私が小学校のころのこと、ブログに一度だけ書いたこともあるが、安田めぐみちゃんという子が転校してきた。
東京から引っ越してくるということで、隣近所のおばさんたちは、未だ見ぬ、めぐみちゃんのお母さんに戦々恐々としていた。

泉州は、どういうわけか、東京コンプレックスが余所の大阪より強い傾向にある。
東京から引っ越してくるというだけで、お金持ち、頭がいい、あるいはファッショナブルな人、と思われがちなのだ。
まぁそれだけ、東京に対する憧れが大きいのだろう。


ある日、めぐみちゃんが私にこそっと打ち明けた。
「あのね、ママがね、正座をしてはダメというの」
理由が分からない私は、黙っていた。
「あのね、正座するとクラスのみんなのように、足が短く太くなるのだって」

そうか、正座をすると足が太くなるのかと、私もご飯のとき以外はなるべく足を伸ばして座ろうと思った。
けど、親の顔が目の前に浮かぶと、それは無理だと諦めたのだ。

りえちゃんも、持って生まれた天分はあるにしても、きっと小さなころから、お母さんと二人三脚で美しくなることへの努力をしてきたことだろう。

目を移すと、テレビのりえちゃんは、明石家さんまに、自分で持ってきたウィスキーの封を切ると、水割りを作り始めた。
「私、老けたでしょう。できるだけ自然のままでいたいから、なんにもしてないの」
さんまに訊かれもしないのに、自己弁護をするりえちゃんが、痛々しい。

私は、他の女優さんのように整形をせず、自然のままで女優として勝負しているのと、暗に言う。
その実りえちゃんは、自分が老けた、女優として劣化しつつあることを、さんまを通して、テレビの向こうの人々に、弁解しているようだった。

二人は、ウィスキーを飲みながら、何十年振りだとか、お互いに年をとったとか、世間話で盛り上がっている、と、一見、そのように見えたかもしれない。

けど、宮沢りえちゃんはとてもナイーブな性格ではないだろうか、と私には思えた。
陰日向なく支えてきてくれた、実母の死はやはり、相当、堪えたのではないか。

りえちゃん、がんばって。

お酒を飲まないとトークができないのは、女優さんであるならしょうがない。
けれど、どうもこの場合、りえちゃんは繊細でとても傷つきやすいから、つい、お酒の力を借りるのではないのか、と思った。
美しく在らねばならない、女優さんという職業は大変だ。




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人生の終(しま)い方

両親の死、末妹の死、多くの知己の死、そして15年余を共に過ごした愛犬の死(2015年10月4日没)。
人は生きている間に、どれほどの死と向き合うのだろう。
決してこれが終わりではなく、今後も死は向こうからやってくるのだ。
【年を重ねることの良い点に、死が怖くなくなるということは、ないだろうか。

未来は永遠に続き、自分には老いや死など関係のない世界。
そんなふうに思っていた若いころに、身近な人の死を経験すると、それはとてつもない恐怖となり、ひどい場合はパニックに襲われたりする。

しかし、年を重ね人生の諸行無常を幾たびも経験すると、死とはとても身近なものだと実感する。
そうして、他でもない自分にも死は必ず訪れると納得できるのではないだろうか。

私は自分の死に対して、漠然とだけどそんなふうに思ってきた。

けれど、それは絵空事かもしれない。
もし、明日、私が自分の寿命を知ったとする。
「あなたは、あと三か月の命です」宣告は情け容赦なく、事務的に告げられる。
それでも、私はそう言えるか。
死とは、いくらどう足掻こうが、永遠の別れであることに間違いはない。

あの声を、もう一度だけ聞きたい。
そして私たちは、大切な愛する相手の声を録音で聴く。
よせばいいのに、昨日、私は愛犬の動画を観てしまった。

それは、愛犬を亡くし、心に隙間ができた傷を癒やす自分の感情に対し、なんと残酷な行為なのかと思った。
胸が張り裂けそうになるのに、敢てそうしてしまう、これも人の心の哀しさ故か。

そして思った。
私の哀しみは、自分のためにある哀しみ。
要するに自分のために愛犬が存在しなくなったことを悲しんでいる。
それはなんと、エゴイスティックな考えなのだろう。

もしかしたら、愛犬は自分で生きたいように自由に生き、そして死もまた自らが線引きしたのかもしれない。
もう十分に生きて、今生に未練などこれっぽっちもなかったのかもしれない。
清々と、この世とおさらばしたかも知れないのだ。


人の脳は記憶を上書きしながら成長している。
けれど、心はそうはいかない。
生きている数々の想い出を収納する心の部屋は、死ぬまで無限に増え続けるのだ。
決して、脳のように上書きされない。
死と向き合うには時間が要る。

そしてその時間が、いつか、死の哀しみを想い出に変えてくれるのだろう。
そのとき、心がもう一つ、新たな部屋を生んでいることを、期待しようと思う。




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産めない不幸、授からない不幸せ

私は平均より(といっても何歳が平均なのか)少し遅くに子どもを授かった。
もうこれ以上望めないなら不妊治療を始めると、医師に告げられたその月の、待望の妊娠だった。

ところが、「おめでとう、妊娠です」と言われた翌朝、早期切迫流産の危機に見舞われ、救急搬送される。
素早く処置を施され、絶対安静のための入院となる。
その同じ病室、観察室にその女性も入院していた。
なんとも華奢で、抜けるような肌の美しい、第一印象は儚げな人だった。

私は、初めての妊娠で、初めての流産を経験しようとしていた。
そのときは、子どもを失ってしまう恐怖に怯えていた。
互いが、問わず語りのうちに話し始めたのは、状況が安定へと向かい始めころだった。
6床のベッドがある観察室には、そのころは、彼女と私の二人だけが入院していた。
お互いに、寝返りすら打てない絶対安静の身ながらも、会話を交わすことはできる。


先に彼女が話し始めた。
初めての妊娠で流産するかもしれない私に対する、励ましや、優しさに溢れる語りかけに、怯える私は思わず泣いてしまう。
そうして自分のことを、ポツリポツリと話した。
結婚後しばらくは仕事が忙しく子どもは無理だったけど、仕事を整理し子ども迎える準備を整えた経緯。


更には、なにをもってしても妊娠を望めない不妊期間にまで及んだ。
そして、今が最初でもう最後かもしれない妊娠だと。
聞きながら彼女も泣く。

私は自分の心の中にズカズカと土足で入ってこられたり、心中を覗かれるのは、身が縮こまってしまう性質で、実は同情されるのが一番、嫌なのだ。
なのに、彼女の同情からでた涙に、更に自分も泣いた。

7歳の娘が一人いると言う彼女は、二人目の子どもが望めない。
なんどもできるけど、産むまでには至らない。

娘のためにも、妹か弟をと、夫婦で望めど産むことができないのだ。

母体を重視し、今回がラストチャンスだった。
その願い届かず、彼女は流産してしまった。
私は、初めての妊娠で初めての流産の危機に見舞われている自分と、妊娠はすれど産むまでには至らない彼女を思い、泣いた。
できないから産めない、できるのに産めない、一体、どっちが悲しいのだろう。

人は哀しみのどん底にいるときは、自分だけが不幸だと思っている。
不幸な自分は可哀想で、人から慰さめられて当たり前の存在だと。
そう思っていた自分と、不幸のどん底でありながらも、目の前の不幸に嘆き、また不安に怯えている相手のことを思い泣ける人がいる。

同情心とは、お為ごかしから生まれるのではなく、相手の心情に入り込み、その心中を推し量ったあたたかな思いやりから生まれるのだ。
と、そんなことを感じていた。
初めての子どもを失うかもしれない恐怖の中で、彼女のその同情心は温かかった。
できないから産めない私より、できるのに産めない彼女の方が、哀しみを抱えているだろうに。

幸い、母の胎内から押し出されてしまう試練に耐え、娘はこの世に生まれ出でた。
あの時の産婦人科病棟での出来事を、 ふと考えることがある。

彼女一家も、どこかで、元気に家族揃って暮していたらいいなと思う。





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おばさんの、ロングヘア

真夏のようなお天気だった昨日と打って変わり、鬱陶しい雨の一日になった。
梅雨入り間近かもしれないと感じさせる。

最近の気候の目まぐるしい移り変わりには、ついていけない。
気候の良し悪しが、体の快調・不調に繋がる年齢ともなると、お天気への関心は嫌でも高くなる。
たとえば、食事や睡眠、外的なストレスまたは、お酒の量などは自分で何とかコントロールできる。
けれども、お天気の良し悪しは地球の意思なので、どうすることもできない。

こんな日は、家で大人しく仕事したり、静かに本でも読もうと思うけど、気が乗らない。

本といえば、私はエッセイの類が好きで、今は酒井順子さんのエッセイに凝っている。
エッセイって、拾い読みというか斜め読みというのか、どこから読んでもよくて、そこが小説と違って私は好きなのかもしれない。

タイトル、「おばさん未満」
2008年9月30日発刊で少し前になるから、表紙を飾る画はどことなくエロチックで水森亜土さん作のイラスト。



うんうんと大きく頷いたり、思わずクスッと笑ったりしながら、本の中でドキッとしたのは、女性とヘアスタイルに関しての一考察。
私はものすごいくせ毛(よく言うとパーマの要らないウエービーな)で、白髪もそうないので、真っ黒のままのロングヘアです。

酒井さんは、中年女性(私はもう中年をはるかに過ぎたけど)のロングヘアは、『ヘアスタイルと、顔のギャップは、いかがなものか 』、と書かれている。

なるほど、昔、バックシャンという言葉が流行ったことがる。
後姿は、うら若き乙女のような出で立ちなのに、前に回ると老けていて、思わずギョッとするというもの。
そんなことが、ヘアスタイルにも言えるのかなと思ったのだ。
お洒落って年齢相応、トータルにってことなのだと酒井さんは言いたいのだ。


一つも二つも昔の、私の母年代のおばさんは、ある年齢に達すると、判で押したようなヘアスタイルにしていた。

ガチガチに凝り固まったパーマを頭全体にかけて、短めの長さに髪を切り揃えていた。
コミックなどに描かれている、その筋の男性の象徴のようなパンチパーマを若干、長めにしたような感じと言えばいいのか。

うちの母も当然、そうしていた。
それは私が小5のころだった。
それまでの母は、ストレートの長い真っ黒な髪を一つに束ねて首の所でまとめていた。
お風呂上りにその髪が扇風機の風に揺れて、子供心にも綺麗だなっと思ったものだった。
それを、まるでイノシシのような剛毛にパーマは仕立て上げている。

私はそんな、他人のような母を、泣きそうな想いで観ていた。

ある日、
「おかあちゃん、なんで髪を切ってパーマをあてたの?」と、訊いた。
母は、
「髪が短いほうが手入れが楽やし、パーマをきつくあててもらったほうがパーマの持ちがええねんよ」。
そう笑いながら言った。

母は、42歳くらいだったろうか。
昔の女性は、どうも早くから自分で自分を、おばさん扱いする傾向にあったのではないだろうか。
それにしても、おばさんのロングヘアは、そんなにおかしいだろうか。




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なぜ、ブログ日記を書くのだろう

今から17年前になるだろうか、ウエブ上に『リンデ』という、投稿サイトがあった。
そこは仕事をする女性たちの本音投稿(トーク)、ひやっとするような業界の打ち明け話で溢れかえっていた。
でも、面白い!
単にエッセイを読むより、例えそれが愚痴であっても、真に迫る話は人を打つ、心を揺さぶる。

しばらくは、単に読むだけで、返信したり、ましてや自分で投稿したりなどは、とてもできない。
そんな勇気はなかった。
ところが、いつしか私は、読む専門から参加型へと変わっていく。
本当にきついその当時の自分の心の叫び、と書けば格好いいけど、要するに愚痴を投稿したのだ。

無視されるのは覚悟だった。
ところが、そのつまらない愚痴に、返信がどっと押し寄せた。
もちろん賛否ありで、何も慰めてもらえたわけではない。

見知らぬ人に、認められた。
それがきっかけで、私はウエブ日記を書き始めた!
面白くて、楽しくて、うれしくて、心の憂さ晴らしとして、これほどの快楽があるだろうか。
それが初めの印象だった。

が、日記を3年ほど続けた私は、ある日、パタンとウエブ日記を閉じた。
理由は、疲れたからだ。

コメントにレスポンスするのに、寝る時間を割く。
主婦して、仕事して、子育てして、出張もあって、出向もあって、もういっぱいいっぱいの状況。

キーを打ちながらそのまま居眠りしてしまい、長いレスが消滅したりして、あぁーと自分を呪う。
ブログ日記には、「共感する」、「そんなのおかしい」、「私ならこうするだからこうしたら」、など、あらゆるコメントが寄せられる。

誤字を指摘され、あっと赤面して、誰も見ていないのに、思わず周囲を見回す私。
お怒りのコメントには、首をすっこめて、消えてしまいたくなった。

さらに、深く落込み、傷つくようなコメントも寄せられる。
バーチャルの世界が現実世界に深く、ぐさっと突き刺さるような感覚を味わってしまう。

私、今、何をしてるんだろう、これは本末転倒じゃないのか。
心の、それこそ、叫びが自分の心の奥から、耳に届く。


そして私は、ウエブそのものから、遠ざかった。
自宅では、仕事以外でパソコンを使わないように、ネット回線も断った。

それでも、また、私はウエブ日記を書き始めた!
娘が7歳のとき、生まれついての病で、危篤になり、医師から「今夜が峠」、そう言われた。
滅菌室のベッドで眠る娘の姿を見たとき、張り裂けそうな想いが声になった。
その声を、私は言葉にして日記に書いた。

もしそこで書くことをしないと、あのまま私は崩れてしまい、きっとこんにちもなかった、だろうと思う。

そう思うと、いったい、書くことってなんだろうか。
なぜ、人は書くのだろう。
なぜ、話すだけではダメなのだろう。

今もウエブでは、ブログというツールで、SNSで、たくさんの人の数ほどもある言葉がつづられている。

あの徒然草で、兼好和尚は書いている。

「こうして何もすることもなく、つらつらと心に浮かぶことを書き留めていると、何となく心が騒いでくるな」と。

あの兼好さんほどの高僧であっても、心には生老病死の問題がふと、顔を出して自分を悩ませるのだ。
それでも、私たちは書くことで、その自分と対話できる。


お姑さんに腹が立ったこと、子供が言うことを聞かない、旦那の帰りが遅い、
隣人に言えない愚痴、あそこの奥さまは、私に何か文句あるのかしら、ねぇ、ねぇ、聞いて!
今日ね、綺麗な花畑に行ってきてね、美味しいケーキを食べたのよ♪
すごくすてきな一日だったなぁ。

あぁ、年をとるのが嫌だな、肌が衰えるし、足腰も弱ってきたよ。
そんなふうに、人は自分の内から湧き出てくる、心の声と対話しながら、生きている。

私もそう。
日々刻々、毎秒単位で心とは、コロコロ変わる。
その心をしっかりと受け止めてやるために、私は、こうして今日も日記を書いている、のではないだろうか。





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「愛してる」と言えたら

娘は、小さなころからの病の所為で、弱視ではないが、かなり目が悪く、裸眼では視力はほとんど出ない。
裸眼では5㎝くらいに近づかないと、顔も見えない。

その娘が、ずいぶんと迷い、考えた末、メガネからコンタクトレンズにした。
娘の職業は、接客業ではないけれど、外部の方々と間近に会うこともある。

どちらかというと、娘の性格は私に似ていて、引きこもり気味。
シニア世代になってきた私は、初対面の人と会っても、緊張でカチコチになっていることを、さほど気取られないようになってきた。
それは、これまで生きてきた中で、自然と身につけた、いわば人生の機転かな、と思っている。


だけど、娘はまだそんな術を身につけるのは無理だろう。
笑顔で応対しようと思っても、顔の筋肉がうまく動かずに、笑い顔がひきつる。

そしてややもすると、顔が「怒ってますか?」状態になってしまう。

それが仕事2年目を終えた、今の娘の最大の悩みというわけなのだ。
そんな理由もあり、コンタクトにしたのも、娘なりの仕事に対する創意工夫かと、甘甘で親ばかな母は、偉いと思ってしまう。

メガネというのは、その人の顔の半分近くを隠してしまう。
「オープンマインドを心がけるように!」と、上司から指示がある場合、表情に乏しい娘などは、少し不利になる。

それに、出勤前のメイクのこともある。
アイメイクはメガネを外してしなければならない、ところが、メガネをかけないと、娘は顔が見えない。
見えないままでアイメイクをすると、濃くなったり薄くなったりで一定しない。

と、そんな苦労もあり、コンタクトにした娘。


赤ん坊のころから、入退院を繰り返していた娘が、7歳のころ、危篤状態になった。
死の淵から生き返った娘が言った。

「お母さん、生まれてきてごめんなさい」

仕事帰りに娘の病院に行く、少しの時間をベッドの側で過ごし、慌ただしく帰っていく私という母。
小さなころから、親は自分の病気のためにたくさんお金を使っていると、娘は思っていた。

だから、自分が生まれたことで、両親に迷惑をかけていると、そんな気を遣っていた娘の言葉が、私は堪らなかった。

ほんの赤ん坊のころから、病院のベッドしか知らない娘。
赤ん坊用の小さなベッドが、娘の世界の中心だった。

そこで、絵を描き、本を読み、そして帰宅する前のひと時の、私という母の添い寝を嬉しそうにしていた。
今も、私たちは、娘の存在が夢ではないかと、思うことがある。
さすがに頬っぺたを抓ったりはしないけれど、今、ここに娘が居ることが、ナニモノニモカエガタイ、そんな思いは変わらない。


生まれてきてごめんなさい、と言った娘が、生きていて嬉しい、と思うことが、私の一番の希望。

生まれてきてくれて、本当にありがとう。

このところ、仕事が立て込んでいて、深夜にまた仕事をしてしまう。
昨夜は、窓を開けているのを忘れていて、足が非常に冷えていることに気付かなかった。

夜中2時ごろ、心臓がドキッンドキッと打ってきて、脈が速く苦しくなって、初めて足が冷えているのに気が付く。
私の持病の不整脈は、足が冷えると、症状が出やすいのだ。

苦しさの中で、背中に気配を感じ、後ろを振り向くと、娘が立っている。
とても心配そうな顔をしながら私を見ている。
あぁやってしまった。
娘には、深夜にまで及ぶ仕事は、もう一切請けないと約束していたのに・・・・・・。ごめん!

私の背中に手を回し、優しくさすりながら、手をふと止める娘。
そうしながらも、手は私の背中に預けたままにしている。

そうなんだ、この瞬間、実は娘も、私に優しくされたいのだ。
赤ちゃん返りってわけではないだろうけど、娘は社会人になってから、時折、私のベッドに入ってきたりする。
食後、テレビを観ている私の手を、何気なく撫でたりする。

こんなとき、『海外の人』のように、私もそっと娘の手を取れたら、そしてベッドに来た娘を何も言わずに、ただ抱きしめられたら。

仕事中の私の背中を撫でたり、肩を揉むようなしぐさをしている娘の、手をそっと握り撫でてやれたら。
そう思うのに、照れ屋の私は何もできない。
ベッドの私の横に寝そべる娘の体温と、吐息を感じながら、じっと見守るしかない、母。


こんなとき、あなたにたったひとことを、「愛しているからね、いつだって、お母さんはあなたの味方だからね」

そう言えたら。





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私は85歳まで生きようと、決めている

私は自分が『死んでも構わない年齢を85歳』と決めている。
もちろん、この年齢以上に、自力で健康に生きることができたら、それはおまけ^^
また反対に、85歳を前にして死んでしまったら、それは運命だ、と思えるかどうか分からないけど。
覚悟はしていたいと思っている。


最終目標の年齢を85歳に決めようと思ったのには、理由がある。
私の父方の祖父母、両親も、日本人の平均寿命以下でこの世を去った。

そして、亡くなる前には病院で、延命治療の終末医療を受け、結局、苦しんで亡くなってしまった。
父は69歳、母は77歳だった。(何度も書いてますけど)

ふた昔前なら、還暦を過ぎると、残りの人生は、【おまけ】的な響きがあった。
でも、医療が進み、栄養状態、衛生面で飛躍的な向上を遂げた今は、60歳は通過年だと思う。

六十代をゴールデンエイジと呼ぶそうだけど、案外にそんなところから来ているのかも。
晩婚化によって、高齢出産が多くなった今の家族構成なら、両親が60歳を迎えても、
子どもはもしかしたら、まだ学生ってこともあり得る。

通常より少し遅くに初産を経験した私も、両親のように平均寿命以下で死んでしまうと、早くに子供と別れなくてはならない。

幼い子供に対し、
「お父さんとお母さんのどっちが好き?」と訊くのは子供の心を捻じ曲げるといわれている。
けれど、私は母が好きだった。

大人に訊かれたら、躊躇わずに、「おかあちゃんが、好き!」と答えていた。

私たち姉妹は母の亡きあと、遺品の整理をしながら、あまりに何もないことに愕然とした。
写真は数枚、それも父の後ろに写っている母が居るだけ。
なぜか、ビデオにも撮影されていない。

いくら大好きでも、在りし日の母をすぐに思い出せることが年々、困難になってきた。
こうしてブログを日々に書き連ねるのも、そんな薄れゆく記憶を呼び戻したい、という願いがあるのかもしれない。


そんなことから、私が死んだあとの娘も、もしかしたら何もない母に愕然とするのではないだろうか、と思うのだ。
85歳に死ぬとなると、それが間に合うと思っているし、娘もいい年になっている。

その間、できる限り、日々の暮らしの中で、思い出を一頁ずつ、重ねていきたい。
それが私の場合、85歳まで生きること、なのだ。
けど・・・・・・まぁ、そんなにうまくいくわけないよね。σ(^_^;)





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同じ命なのに、私が対するこの差

怖いモノ嫌いなモノ、人にはいろいろあるだろうけど、私はネズミが苦手。
これは小さなころに、母の嫁入り道具の一軒箪笥の引き出しを悪戯心で開けたときに、私の顔にネズミが飛びかかってきた、そんな恐怖の体験が、トラウマになっているからだと、自分では思っている。

幽霊も、暗闇もあまり怖くないのに、私は高いところと、このネズミが本当に心の底から苦手なのだ。


今の家はとても古くて、結婚を機にリフォームをしたけど、まぁ古民家といえる。

だからか、この家にはありとあらゆる、都会暮らしの人には想像もできないような、生き物が出てくる。
ムカデが家を這うのは日常的なこと、もちろん蛇も、ヤモリも、トカゲだって普通に居る。


私は4年前に、自分の家で怪我をして、膝の手術した。
それ以来、寝室兼仕事室を1階に移して、仕事も寝るのも、その部屋でするようになった。
ベッドの前に、大きな仕事デスクを置き、その横には出力用機器を配置している。

昨日の夕方、久しぶりに仕事場兼寝室の大掃除をした。
掃除終了間際に、部屋の隅々に設置している、ゴキブリホイホイを片付けようとした。

うん?
一枚のホイホイに何やら得体の知れない物体がある。

ぎゃぁーギャァーー!ネズミ!ネズミが引っかかっているではないか!

しばし、パニックに襲われその場に蹲ってしまった。

そして、こんなときに頼りになる、去る方に連絡する。
その人は、私のSOSを聞くや否や、すぐに飛んできてくれた。
そして、そのホイホイの死骸を始末してくれたのだ!

その方がホイホイを持ち去る瞬間、小ネズミの顔が見えた。
目は閉じられているけど、なんとなく愛らしい。

なのに私は、ゴキブリホイホイにすら触れられない。

愛する犬になら、私は排泄物であろうと、素手では無理だけど、ティッシュで包み、後始末をすることもできる。
なのに、小ネズミには、これだもの。

小ネズミに、とても申し訳ないと思いつつ、命に対する、この差はいったいどこから来るのだろうと、思ってしまう。
でも、ネズミは苦手。




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