ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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父が倒れた、その瞬間

ペン先をインク壺に浸す父の、青い血管が浮き出た痩せた手が、突然、ガクンと下がった。
左手で必死に、下がった右手を持ち上げている。

その直後、父のくちびるの左端から、ポタポタと涎が落ちてきた。
それからのことは、スローモーションのようで、ぼんやりと霞がかかっている。

私の父の記憶は、7月が近づくと、いつも私の頭の中を、浮かんでは消え、また浮かんだりする。
けれどそれは、DVDをゆっくり再生したように、細切れの映像でしか浮かばない。

20年前、7月1日、父は65歳、2度目の脳梗塞の発作に見舞われた瞬間だった。
偶然、私はその場にいた。
軽く済んだ初めての発作に比べ、この二度目のものは、脳幹にまで達するほどの大発作だった。

父は43日もの間、意識が戻らず、生死の狭間で闘っていた。
父を死に至らしめた病の元凶は、『心房細動』という不整脈だった。

心房細動とは、正常な心臓のリズムが、規則正しく1分間で60回~100回拍動するのに対し、拍動数は1分間で300回以上になり、心臓は速く不規則に拍動するようになる。
父は、この頻脈に見舞われると、胸を抑え背中を丸めてかがみながらも、苦悶の表情を浮かべて、その額には、いつもうっすらと脂汗が滲んでいた。


300拍動もの頻脈、さぞかし、苦しかったことだろうと思う。
それだけの苦しみをもたらす心房細動自体は、命に関わるような重症な不整脈ではない。

しかし常に、動悸や息切れがあり、通常より疲れやすいなどの症状が現れる。
またこの不整脈の怖ろしいのは、不規則に打つ拍動の所以で、常に血管内に、血の塊りを作っていることなのだ。


それが心臓の血管を塞いだら心筋梗塞、脳に飛べば脳梗塞になる。
父も治療は受けていた。
けれど、投薬効果もなく、ましてや心臓バイパス手術も房を電気で焼き切る手術も、何ら期待できないと言われていた。

父は、結局、69歳になった2月21日、5度目の脳梗塞で命を落としてしまう。
もっと生きてしたいことがあっただろう、見たいこともあっただろうに。

その日は朝から、冷たい雨が降っていた。

傍にいたというのに、目の前で倒れ、崩れていく父を、私はどうしてやることもできなかった。
あれから20年が過ぎ、ようやく、こうして父の病を振り返ることができる。


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懐かしい、母の味

梅雨どきになると思い出す、懐かしい母の味。
それは、団子粉でこしらえた団子がメインの“だんご汁”。
九州の熊本では、だご汁と呼ばれ、それぞれ家庭の味になっているそうだ。

母は熊本ではないが鹿児島の出身で、大阪の地方の田舎町に嫁いできた。
それだから、母の手料理といえば、九州は鹿児島の物になるのだ。
小さな鰺や鰯を包丁の背でトントンと叩き潰し、団子粉と一緒に練り、それを3cmくらいの大きさに丸める。

母の器用な手が、まあるく丸めた団子を次から次へと、お湯がシュンシュンと湧いているお鍋に入れていく。
子どもの私は、台所の母の傍に立ち、その器用な手を、目を丸くしながら見ていた。


私の実家は、半農半漁ならぬ、半農半公の家だった。
母と祖父が小さな田や畑を耕しお米や作物を植え、自家内を賄っていて、父は公務員として勤務していた。

小さなころは、今のように大阪湾沿いは埋め立て地ではなく、延々と続く遠浅の浜辺が美しい町だった。
豊かな漁場を持つ浜では、チヌという魚がよく獲れ、たいていの家は半農半漁で生計を営んでいた。
12月を迎えるころ、魚場はお正月用の魚を獲る漁船で祭のような賑わいを見せる。
同じころ、浜では小さな魚が地引網にかかるようになる。

通常は、浜に点在する漁師小屋で小さな魚やシャコは釜ゆでにされる。
が、この月間だけは浜は迎春の賑わいを見せ、小物を相手にしなくなるのだ。

浜には手にバケツを持った大勢の子どもが、朝から列を成していた。
小さな子どもでは持てないほどの、小さな魚で溢れるバケツを手に提げ、
うんうんと顔を真っ赤にしながら歩く姿は、冬の泉州地方の風物だった。

有りがたいことに、我が家には、知り合いの漁師さんがいつも魚を届けてくれた。
小さな魚たちが届くころになると、あまり使われなくなっていた、“へっついさん”の出番だ。

大きな鉄鍋にはグラグラとお湯が煮えたぎっている。
母は、へっついさんの火を自在に操ることが出来た。

私たちは、母の手が忙しく動くのを見るのが好きっだった。
茹で上がる団子は、夕食のおばんざいだが、父や祖父に出す前に、そっと私たちに味見と称して食べさせてくれる。
待ち構えていた私たちは、フゥフゥ熱いお団子を吹きながら食べる。


木枯らしの吹く、寒い日のだんご汁も美味しいけれど、じめじめ鬱陶しい梅雨のころの暑い食べ物は滋養になると言った母。
この頃になると思いだす、だんご汁と昔の台所の風景、そして、母と私たち子どもが共有した秘密のひと時を。




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つらつらと、手を見る

日曜日が徹夜気味だったので、昨日は午後のひと時を、ソファで本を読みながら過ごした。
わが家の居間には、ずっと大昔から掘り炬燵が切ってあった。

ところが、4年前の私の足の手術を機に、炬燵は取り払った。
大きな掘り炬燵がなくなった居間に、新しくソファを迎え入れた。
それでも、炬燵がなくなった居間は、とても広く感じる。


午後の気怠るさの中で微睡に誘われ、つらつらと手を見る。
智恵子抄の智恵子のように、私は、自分の手を宙にかざし、じっと見ていた。

勤務しているころは、この手の爪には、カラフルな色を施していた。
いつも、黒系かグレー、時々、茶、そんな服の好みの私だから、アクセントに爪だけは華やかに色取っていた。
こういうことを、“差し色”、というらしい。

黒づくめの服に、ピンクやワイン、ボルドー、オレンジなどの差し色を爪に使う。
爪という部分は、身体の中でも、ほんの少しの面積なのに、気持ちがぐっと、華やぐ。
カラーを持つ爪のおかげで、広告デザインという、ちょっと見は派手さが要る私の仕事に、現実の自分を同化させることができていた。
顔には白粉を叩き紅をさし、アイメイクで陰影を施して、なんとか化けることができるけれども、手と首筋は、隠せない。
マニキュアはそのためには、格好の小道具になっていた。


けれど、在宅で仕事をするようになってから、私はマニュキアを止めた。
大好きだけど、ふるこびた地味な、家の台所に、どうも差し色は似合わないというのか、相応しくないように感じて、自分で爪を見て引いてしまうのだ。

年齢は如実に、首筋と手、その両方にあらわれる。
ベッドサイドの、やけに明るいLEDの照明の下でじっと見る手は、悲しい現実をあらわしている。

自分が一番、知っている、老いていく事実を明るく眩いばかりのLED照明は、否応なしに、知らしめる。

「もうけっこうですよ、よく分かっていますので敢えて教えてくださらなくても」と、LED電球のスタンドに突っ込みたくなる。

古い価値観の私は、裸電球のどことなく秘密めいたニュアンス漂う色がいいなと、家と同じようにふるこびた手を見ながら思うのだ。




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夫の弱音

昨夜、寝る前のこと。
いつも、おやすみと言うとすぐに二階の自室に上がる夫が、「ちょっといいかな」 と言う。
家事の残りを片付けようとしていた私は、夫の顔を見て手を止めた。

「どうしたん?何かあったの?」

「うん、もし定年前に仕事を辞めたら、困るよね」

自分に言い聞かせるように、小さな声でつぶやく夫。


夫の仕事は、聞こえよく言えば中間管理職、けど、口さがない言い方をすれば、会社の爺や的な存在。
社の人たちは、仕事に対する不満や、悩み、などの負の感情は、夫に話す。
けど、喜びや、感動などの報告は一切ない。

愚痴聞き役マシンたる自分の憂さは、どこにも、誰にも言えない。
頼りない妻でも、私に話すことしかないのだ。


これは単に、月曜病なんて暢気に言ってられない様子の夫をみていると、心細くなってしまう、ダメ妻の私。
夫はいわば、怒りや愚痴という感情のはけ口を受け止めるマシンたる自分に、疲れているのだ。

上司は、部下に直接言わず、君から注意するようにと、夫に暗に仄めかす。
けれどこれは、夫の年齢の方で、中間管理職に在る立場の人なら、誰しもが抱えている、しんどさかもしれない。

夫は今年62歳。
個人差はあるだろうけど、60歳を境に、それまでの滑らかな曲線とは異なり、カクンカクンと折れ線が一気に下降するようなグラフを描き、老いに向かっているように、近頃の夫をみていると感じる。



夫が階段を上がる足音が聞こえる。
その音は、辞めたいけど辞められない、そんな事実を受けいれるしかないと分かっている人の音に聞こえた。

もし定年前に夫が退職すると、今の暮らしは到底、望めない。
けれど、夫の健康と家計を天秤にかけたら、どちらに軍配があがるか、それも私自信が分かっている。

「ええよ、定年まで、もし今以上にしんどいと思うことがあったら、その場で辞表を叩きつけたら!」
夫になぜ、こう言えなかったのだろう。

おためごかしの慰めなど、何の足しにもならないのに、私の心には、あと少し、もうちょっとだけ、夫に頑張ってほしいという、そんな想いがあった。
せめて、「もう少し居間にいて、お酒でも飲みながら、愚痴をどんどん吐き出したら!」 と言えたらよかったのに。

いつもいつも、あとで後悔してしまう。
そして、この時間 (午前4時) まで、一睡もできない。





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きっかけは、あの日の授業

高校生1年生、美術・書道・音楽の選択授業で、私は美術を選んだ。
ある日の美術の授業で、静物画の写生があった。
美術教室の中央には、真っ白いな円形の台座があり、その上に、林檎、バナナ、いろんな形の瓶、花、などが置かれている。

それぞれが自分の描きたい静物を選び、顔を傾けたり、首を傾げたり、あるいは静物そのモノの配置を並べ替えているクラスメイトもいた。
秋の木漏れ日射す樹木の美しい姿が、美術室いっぱいに影を落としていて、私はふと、窓から見えるあの美しい銀杏を描こうと、思った。

教室の台座の中からは林檎を選ぶことにして、木漏れ日の中に林檎を置いて見たらどうだろうか、よし、我ながらいいアイディアではないかと思ったからだ。
しばし、私は林檎を描くのを忘れ、美しい樹木の姿を一心不乱に写生した。
画は得意でないけれど、樹木だけは、いろいろの種類を現実に見なくても、頭で描くことができる。
葉っぱの詳細、花、幹の姿などを想像しながら描ける。


しばらくして、背中に、強く刺すような視線を感じた。
ハッと我に返った私は、授業本来を思い出し、大慌てでリンゴを描きだした。

けれど、時遅し。

「君は小学校からやり直した方がいいな!」と、しょげる私にさらに追い打ちをかける無情な声で美術の先生は、きつく言われた。
大体、私が美術を選択したこと自体が間違ってる、つまり、私の画は見るに堪えないと言われた。

自業自得だけど、以来、私は人前では絵が描けなくなったように思う。
こんな記憶は、もう忘れてしまえれば、どんなに楽だろうかと思う。
なのに、どうも私は、こういった自分の過去に見え隠れする、時々の情けないことや恥ずかしいことを、ずっと覚えている性格のようらしい。

だから、それら過ぎ去ったころの、恥ずかしさや悲しい、あるいは怖かった記憶が今も心にすくっていて、フリーハンドで描こうとすると、手がぶるぶると震える。
仕事柄、イラストなどをクライアントに説明するのに、ラフに描くことがある。
百聞は一見に如かず、大まかな図案を用紙に描いて、説明した方が伝わりやすい。

そんなときは、自分の下手な画を想像し、心臓バクバク、脈拍もきっと速くなっていると思う。

けれど、実は、こんな自分を変えようと、今、あることをしている。

二ヶ月前、市のリージョンセンターで、水彩教室の講座が始まった。
それまでも、水彩教室という講座はパンフレットなどで何度も観ているのに、なぜかこの水彩教室は、『ビィビィビンびぃ』 と心に届いた。


私のこの、物事をスパット決めれない性格にしては珍しく、その場で受講の申し込みをした。
なんていうのか、天の助け、という感じ、閃きだった。

先週木曜日で二回目の教室になる。
私は娘のように正式に絵を習ったわけでもないのに、画を描けたほうがいい、という職業に就いていた。
ずっと自信のない何のスキル的に裏打ちもないのに、必要とされる業種に就いていて、どこか常に、不安だった。

それには、あの高校生の美術の日々が底にあるからだ、と分かっている。

大海原を小舟で漕ぐような、綱渡り的な仕事を続けているストレスはかなりあった。
画を学ぶことで、少しでも、苦手だったことを、克服できるような気がするのかな。




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夫の食べっぷり

あまり大した取柄はない夫だけど、食べ物をおいしそうに食べることだけは素晴らしいなと思う。
もぐもぐと元気よく咀嚼し、勢いよく飲み込む様が見ていて小気味いい。
「おいしいね!」と言ってはくれないけど、盛大に食べてくれるのが、料理担当の私としてはとてもうれしい。

大げさな言い方をすれば、幸せだなと思える。
それに夫はいくら食べても太らない、なんとも羨ましい。


ところが、好ましいと思っている夫の食べっぷりを、癪に障り嫌になったことがある。
私は娘を宿したとき、相当つわりが酷く、ご飯の炊けるあの香り立つような匂いを全く受け付けなくなった。
妊娠初期とはいえ、つわりで体重が減りつづける。

体重が増えないとお腹の赤ちゃんに悪影響がでるかも知れないと、神経質になっていき、結婚当初は、好ましいこの夫の食欲旺盛さが、このときばかりは小憎らしくなってしまったのだ。

妊娠したからかどうか、とにかくそのころは、心に嵐が吹き荒れて何もかもが癇に障る。
私はそんなに勘がきつい方ではないはずなのに、苛々とヒステリックになる。

そんな自分が嫌で堪らない。


こんなときも、夫は慌てず急かず、悠々とご飯をおいしそうに食べる。
炊き立てのご飯に梅干をのせて、口いっぱいに頬張る。
それを見ていると、生唾がわいてきて、私もつられて食べたいと思うようになっていった。


こういうとき、妻の苛々に狼狽え、同じように食欲が失せてしまうような夫だったら・・・・・・、また反対に、理解せず思いやりもない人だったら、私のつわりは、もっと酷くなったかもしれない。



悪く言えば、妻に何が起きているかさえ気付かない、のんびりとした夫で、私はどんなに救われたろうと、体調が優れないからこそ、そう感じた。

もし生まれ変わって、違う人と結婚するとしても、やっぱり私には、おいしそうに、もぐもぐと口いっぱいに頬張るような人がいいなと思う。




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お役人さん、考えが短絡すぎませんか

農水省の役人が、(どこか地方の局だったような・・・)

『米の作り過ぎは温暖化を招く一因です!作り過ぎないようにしましょう』 記憶がおぼろげだけど、こんな内容のポスターを作ったとテレビで放送していた。

農水省さん、米が出来過ぎて温暖化!ちょっと短絡すぎませんか?


米は日本民族の誉れ、我が国独特のわびさび文化は、米を作り食した、そこから生まれたと私は思っている。
米の文字は、八と八を積み重ねて成り立っている。
米作りは、八十八もの工程を経て―――本来の米作りはもっとたくさんの工程があるだろけれど―――我々の食卓に届けられるのだ。
農事とは朝から晩まで働き、天候に収穫の出来不出来が左右され、まさに働けど働けど、我が暮らし楽にならざりけり、なのだ。


それでも、米どころと言われる地方の農家の方々は、風雪に耐え、厳しい夏の暑さに稲を憂い、台風の風害に心を痛め、まさに天塩にかけるように米を作り育てている。



長い日本の稲作文化の歴史の中でのさまざまな困難に対し、創意工夫を重ねた結果がこんにちに至っているのだ。

農水省さん、米を多く作り過ぎたなら、給食にお米を取り入れたらいかがでしょう?
米離れが進む若者達に米を食べよう!と、言葉は適切ではないが、プロパガンダしてみる価値はあるだろう。

同じポスターを刷るのなら、米食が進むような内容にすべきだと思う。
そして、食品加工業者に、米を使った加工食品を若者向けに開発するようにお願いするのだ。
最近では、米粉で作った、バンズもある。
有名なパティシエがとびっきり美味しいスイーツをお米で作ってくれないだろうか。

それはひいては、我が国の食料自給率アップにかならず繋がると私は思う。
もっというなら米を食べる文化は、荒んだ人の心に優しい感情を与えてくれるようになるもではないだろうか。


ナニヨリ大切なこと、農業を大切にすることは、余所の国に、命の源である食料を依存しなくてもよくなる。
自国民の命の源は、食。
その大切な食の自給率を上げることを、なぜ、考えないのだろうかと、テレビのニュースを聞きながら、怒りを感じてしまった。




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この世に神様がいるのなら

昨日は、仕事の打ち合わせに行くために、地下鉄に乗った。
午後2時の地下鉄は、通学通勤の乗客もなく、目的地まで座って行けるほど空いている。
私の目の前には、20代と思しき若いママと、2歳くらいの、お人形のように愛らしい女の子が座っている。

愛らしい女の子の様子を見ていると、なぜだか涙が出てきた。



この世に神様が本当にいて、願いを叶えてくれるのなら、私には、叶えたい願いがある。
50年近くも前のこと、私が通う小学校の校門の前で、小さな裸ん坊の人形が売られていた。
その愛らしい人形は、『ミルク飲み人形』だと、店番のおじさんが言っているのを聞いた。


遊び仲間の女の子たちは、ままごと遊びで使うお人形を、自分の分身として大切に持っていた。
お母さん手製のお人形、商店で買ったものなど、それぞれ思い入れのある大切なお人形は、ままごと社会で自分の代わりをするのだ。

私も、母に作ってもらった和風のお人形を持っていた。
毛糸で編んだ髪は漆黒で、顔立ちは小さな目におちょぼ口の、市松さんのような面立ちだった。

その子は着物を着ていたが、私の願いを聞いてくれた母が、コットンのワンピースを縫って着せてくれた。

ところが、もともと和風の人形のその子に、イチゴ模様の可愛い生地で縫った洋服は、ちっとも似合わない。
ままごと仲間の女の子たちは私と違い、大きな青い目が愛らしくカールした金髪の人形を持っていた。
そして、それ以外に、ミルク飲み人形も持っていたのだ。


それら金髪のカール人形は、たいてい、『キャサリン、マギー、エミリー・・・』などと外国の名前が付けられていた。
私の市松っぽい人形は、『きみこちゃん』・・・・・・。
どんな人形であれ、せめて、カタカナの名前がつけても似合う子がほしいと、ずっと思っていた。

小学校の前で売られていたミルク飲み人形を一目見た瞬間、その思いが一気に沸騰した。
ほしい、ほしい、あの子に、ミルクを飲ませて赤ん坊にしたい。
名前は、“ベス”と決めていた。


「買うて!おかあちゃん、買うてよ!!」
家に帰った私は、母に駄々をこねた。

母は悲しそうな顔をしてじっと私を見た。
その目は、例え100円のミルク飲み人形といえども、買えないんだと言っていた。

あのころ、わが家はダウン症の末妹の、高額入院費を算段するため、家計は苦しかった。
子ども心に、貧乏の悲しさが感じられ、それ以上、母に言えないと思った。

もし、あのころに戻れたら、小さな私に、ミルク飲み人形を買ってやるのに。

悲しい想いが胸に広がり、鼻の奥がツンと痛い。
電車の前に座っていた愛らしい幼子は、私に白昼夢を見せてくれたのだろうか。




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心豊かに生きる

ネットの友人から、梅花藻という可憐な花の存在を聞き、数年前から川の藻に花が咲くころ (初夏からお盆くらい) に、出かけるようになった。
我が家から140km、所要時間2時間弱、阪和道、近畿道、京滋バイパス、名神を乗り継ぎ、米原で降りる。

早朝6時に家を出ると、町の駐車場を兼ねている、JR醒ヶ井駅前には、午前8時くらいには着く。
そこは、旧中山道の61番目の宿場町で、米原市の東部にそびえる霊仙山(りょうぜんざん)の麓に位置している。
江戸の名残りを残す町並みのあちこちから清らかな水がこんこんと湧き出ている。

町の中央を、地蔵川が流れる、旧中山道61番目の宿場町、醒井は水の町だった。



梅花藻とは、清流に咲く藻の花のことで、その花が、梅の花弁に似ているところから梅花藻と言われるようになったらしい。


花が咲くには、水温が14度に保たれ、清流であることが条件だとか。
清流に放たれている虹鱒が午後の日差しを浴び、たゆたうように泳いでいる。

川は静かに流れ、宿場跡に暮らす人々の暮らしに溶け込んでいる。
その川は、野菜を洗う場であり、鱒を放つ場であり、遠くの観光客をもてなす場でもある。

川の中ほどの呉服屋さんが、にわか喫茶店に様変わりする。
けれどそれは、梅花藻の人気に当て込んで利益追求の為ではなく、ご主人自らが、いかに地蔵川が地元の暮らしに大切な存在であるかを、私たち、観光客に知ってもらうためのように、私は思う。

1杯わずか100円の代金で、ホームメイドのクッキー付きのよく冷えたアイスコーヒーを提供してくれる。
川の水音を聞きながら、呉服屋の庭先の縁台に座る。
霊仙山からのひんやりとした風が、地蔵川の水面を優しく撫でていく。
地蔵川は、感謝のしるしに、川傍にいる私たちに涼風を送ってくれる。


山と川、地元の方々の心温かなもてなしに、しばし、暑さを忘れる。
梅花藻の愛らしさもさることながら、この居心地の良さは、なんだろう。



年配者には必ずといっていいほど、川べりの特等席を譲ろうとする地元の子どもたち。
すれ違うだけで、笑顔を返す往来の人々。
町の至るところに、無料の休憩所があり、衛生的なトイレがある。


豊かな生活とはなんだろう、と、考えてしまう瞬間だ。
川を汚さずに、美しく保つことは、梅花藻を咲かせるとともに、醒ヶ井の人たちの心に、豊か、という花を咲かせているのではないだろうか。
それだから、ここを訪れる私たちも、しばし、心豊かでいられるのかもしれない。




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美しい声のあなたが、羨ましい

15歳から22歳まで東京で過ごした私は、大阪人らしくないアクセント、と言われることがある。
語尾を含めて、話し方がはっきりしているらしい。
大阪と言っても、私は南大阪、だんじりで有名な泉州地方の出身。
一概には言えないけれど、泉州の人間は、割合、早口で喋る人が多い。

元々の私も、やや、早口で喋る。
そこに、語尾をはっきりと話す、が加わり、顔立ちもはっきりしている私は、その上に、声も女性にしては低目で、おまけにハスキーボイス。
第一印象は、きついと思われてしまうのではと、思っている。

大体、初対面では、鈴を転がすような声の人、笑顔が素敵な人、柔らかな雰囲気の人、優しそうな人などがきっと、好印象だと思う。

今日、元職場の元私のポジションに今、いる人と、所用で会った。
柔らかな物腰で、話しながら終始、笑みを絶やさない。
ひと言でいうなら、素敵!な女性で、私とは大違い。

鈴を転がすというより、低目なのに、とても心地いい声なのだ。

私はつい、自分と彼女を比べてしまった。
私は、小さなころは、まぁまぁ喋る方だったけれど、大人になるにつれ、積極的に喋るということはなくなってきた。
昔から、疲れるとものを言うのが億劫になり無愛想になったりするので、なおさら印象は悪くなってしまう。
子どもじゃあるまいに、ひねこびているなと、我ながら情けない思いに駆られる。

声は自分で努力しても美しくなるわけでもなく、精々、話し方で誤魔化すしかない。
若いころは、真剣に『ボイストレーニング』を受けようかと思ったこともある。

親から受け継いだものを変えるのは、難しい。
その中の声に対し、自分のコンプレックスがあって、私は声の素敵な人には、老若男女問わず、無条件にワォー!と思ってしまう。
何故、ワォー!なのかというと、羨望、尊敬、感動、高嶺の花など、自分には届かない、手に入れられないという意味。
本当に羨ましい限り。

そんな私は、日常生活でも、できるだけ雰囲気を柔らかく話すように、自分に言い聞かせないと、ややもすると、つっけんどんになってしまう。

「あなたは、才色兼備で悪声、容姿は劣るが美声、のどちらに生まれてきたいですか?」と、もし、そう問われたら。

「はい!不美人で構いません、私は鈴を転がしたような、優しく、美しい、声の持ち主に生まれたい」、と答えるほど、美しい声のあなたに、憧れてしまう。




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