最高に美味しいモノ

年を取るに従い、子供の頃に味わった懐かしい母の味が、無性に恋しくなる。
子どもの頃、食卓にそれが上ると嬉しくて小躍りする献立が、三つあった。
一つは赤飯、二つ目まぜご飯、そして三つめがポテトサラダだ。

なんだか変哲のない、普段のおばんざいみたいだけど、小さなころはこれがご馳走だった。
母と祖母が畑で収穫する、四季折々のお宝が家の食卓をにぎわす。
けれど、ジャガイモの時期は、じゃがいも料理ばかり、ナスの時期は明けても暮れても、茄子料理が続く。
だから、母が作るこの三つの料理は、食卓に一気に花が咲いたようになるのだ。


忙しい日常を割いて母は行事や、節句などにはこの定番料理をこしらえてくれた。

子どものころの母のポテトサラダは、なかなかハイカラな食べ物だったように記憶している。
母は隠し味と言いながら、お砂糖とお酢を入れていた。

堅めにゆでたジャガイモは形があるように潰す。
そこにマヨネーズ、お酢、お砂糖、そして薄口醤油を垂らしていた。
人参、玉葱、ジャガイモの収穫の季節になると、ポテトサラダが食卓をにぎわしてくれる。

母は実は、イモ類が嫌いだった。
けれど、父の好物がジャガイモなので、食卓には定期的に上るようになる。

畑の野菜をふんだんに使って、ミモザふうというのか、ゆで卵を細かく刻んでサラダの上に乗せると出来上がり。
ポテトサラダは、上等の大皿に、特別なご馳走のように盛り付けられて、食卓に運ばれる。

白いジャガイモの上には鮮やかな黄色の卵が盛り付けられ、その周囲を囲むように、胡瓜の緑が綺麗だった。


母は、大人も子供も区別なく、それぞれの前にお手塩皿を置く。
赤飯は長女に受け継がれ、まぜご飯は三女が今も母と同じ味でこしらえている。

酸っぱいモノが苦手な私も、母のポテトサラダの、ほんのり香る酢の匂いは平気で、いつもお代りをしていた。
3月のお節句にはまぜご飯を炊いてくれる。
特別に料理が好きでもない、味もその日によってまちまちの私だけど、おふくろの味三つ目の、ポテトサラダだけは拘って作っている。

今夜は久しぶりに、母のポテトサラダをこしらえた。
最近、ようやく母のポテトサラダに近いものをこしらえることができるようになってきた。
味も、その都度で異なる私にしては珍しく、一定していて、懐かしい味の再現に嬉しくなってしまう。


現代風の味付けのポテトサラダが悪いなわけではないけれど、それには郷愁を感じる酸っぱさがないのだ。
今夜も、張り切って作った母のおふくろの味に、「美味しかった」とか「懐かしい味がした」とかの言葉をもらった。

聞きながら、私はなんともいえない満足感で満たされて、いくつになっても、人は、褒められるということは嬉しいものだなと思うのだ。


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暴れだす、喉のポリープ

折からの台風の影響か、幾分、涼しくなったというのに、真夜中に喉の痛みで目が覚めた。
実は、もう10数年以上前から、右の咽頭に大きなポリープが出来ていて、その瘤がときおり暴れだすのだ。

痛みはかなりのもので、脈に連動して痛む。
手術でとってしまえばいいものを、様々な事情で入院を避けて来た。

要するに、怖いのです。
声が出なくなるのではないか、全身麻酔から覚醒しなければどうしょう、とか。


先週は、明け方に早鐘のような動悸で眠れなくなるし、なんだか8月は散々なことが続く。
薬を飲んで、ようやく痛みが退いたのは、明け方5時少し前だった。
もう起きようと思いながらも、そのまま横たわって二度寝を貪った。


その二度目の目覚めのとき、こうしてブログに書くことができるほど、はっきりと記憶している夢を見た。

夢は高校の頃のことで、世田谷祖師谷という街に住んでいた、Mという友人の夢だった。

夢の中で、私たちは17歳の少女だった。
彼女の家は、雑木林の奥の方に佇む木造の家で、和風の数奇屋作りではなく、何と云えば良いのか、木々の中に建つ、木の家、簡素なログハウスと呼べば相応しいのだろうか。


小さな木製ドアをノックして入った眼前に、木の香りがするリビングが広がる。
お母さんが画家だったせいか、そこにも描きかけの大きなキャンバスが所狭しと並び、その無造作加減、乱雑さがとても居心地よく初めて遊びに行ったのに、ずっとそこを知っていたかのような、不思議な感覚を味わった。


Mもかなり風変わりな、強烈な個性の持ち主だった。
成績超優秀にも関わらず、授業を始終エスケープしては、担任に叱られていた。


夢の中の私は、その家を見下ろす吹き抜けの二階の、子供部屋の手すりに座って居心地のいいリビングを見下ろしている。
そして、目の前で繰り広げられる、Mと画家のお母さんのほのぼのとして、幸せそうなシーンに微笑んでいる。

痛みから覚醒する瞬間に見たこの夢は、痛みを取り去る効果があったのだろうか・・・・・・。
痛みをとる特効薬は、もしかして、幸せだと感じることなのだろうか。


薬の効果があったとしても、夢の中の私は、幸せだったのは間違いなかったから。
夢とは、本当に不思議な経験をさせてくれるものだなと改めて思った。

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今どきのママ

うちのような田舎では、近くに塾がないので、親による車での送迎が欠かせない。
その送迎風景に、思い考えることが多くある。

もちろん、教育方針はそれぞれの家庭で違うのだから、私のようなおばさんが、とやかく言うことではない。
そうは思うけど、送迎車を運転する若いママたちのマナーの悪さには、悲しくなってしまう。


田舎ではあるけれども、うちはメインストリート (旧街道) に面しているので、 塾の送迎車は、ここを通るしかない。

ママたちは、大抵、スマホ片手に運転をしている。
運転しながら、目はスマホだけに向いていて、山間の道だというのに、前方を見ることもしない。


その車には塾に通う子供の弟なり妹を同乗させている。
迎えに行く子供は、曲がりなりにも塾で勉強をしているだろう。
交通機関に乏しい田舎としても、ママは子供のことを労い、心配もあっての送迎だと思う。

しかし、・・・・・・。
でも、・・・・・・。

あるママは、定刻9時に家の前を通過する。

その時間、私は晴れた夏なら、庭に二回目の水遣りをしている。
まぁ、ママを近くで見ることができる。
ど近眼の私でも、近くで見ると、ある程度、車内は窺い知れる。

驚いたことに、ママは同乗させている子供たちに、車内で食事をさせているのだ。
夜9時、ファストフードを食す子供たち。
その兄弟姉妹は、夜に勉強。

さらに、ママは狭い車内で喫煙している。

んー、うーん。
いつもの風景だけども、私は言葉が出ない。

その間も、咥えタバコで、ママは一心不乱にスマホを片手に、忙しなく手をスクロールさせている。
運転中というのに、何を夢中になってしているのだろう。

何がママをそこまで夢中にさせているのだろう。
まさか、流行りの『ポケモンGO!』

これって危険行為にならないのか?!
それに、車内で咥えタバコは、絵にならない、美しくないよ。

子供たちに、受動喫煙させてるよ?!
そしてママは、吸い殻をわが家の真ん前に、ポイッと捨てる。

車内だけは汚したくない、だから人んちの門前がどうなろうと、知ったことじゃないってこと?

田舎、里山と言われる我が地域、そこでの日常の何気ない風景がこれ。
このようにスマホ、携帯ゲーム、ファストフードが色濃く、日常に関わっている事実。

それを目の当たりにする私は、ため息を吐きながら家に入っていくしかない。

庭では、睡蓮木の小さな花々が、不浄なモノを覆うかのごとく、煌めくように咲いている。

suiren.jpg

この花を愛でてほしいとは言わない。

家庭それぞれに子育ては違うのだから、食事代わりに、ファストフードを食べさせないで!
とも、言えない。

けど、せめて、スマホから手を、目を、離し、同乗の子供たちと話してほしい。
そう思う、おばさんでした。


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心ときめく色に出逢った

大阪発『もんた&ブラザーズがダンシング・オールナイト』を歌い、シングルチャート1位を獲得したころ。
もんたよしのり、彼のファッションを真似する若者が多く見かけられるようになり、サーファーファッションはますます、街に溢れた。

当時は70年代サーファーファッションの名残りが残っていた。
陸(おか)サーファーなる造語が生まれ、ヘアスタイルも、ウルフカットという狼のようにタテガミをなびかせる、ワイルドなヘアスタイルが流行っていた。


このころ、アッシュというがカラーリングが登場した。
アッシュは色の表現としては「グレー」を意味し、今風にいうなら「グレージュ」が近いと思う。
絵の具にある灰色とは違う、ニュアンスのあるアッシュグレーは、上品でシックで、黒髪にはないニュアンスがとてもエレガントだった。

真っ黒の髪、黒目、黄色い肌にも、アッシュの持つ深みのあるカーキーは、似合うような気がした。

私は初めて、ファッションに関心をもった。
けれど、髪色が黒いということは、メラニン色素に赤色が多く、アッシュなどの微妙な色合いはすぐに、色褪せてしまうのだ。

学校を卒えたばかりの私は、アッシュグレーに出逢ってしまった。
出逢った瞬間、心のなかに草原が広がった。

草原で寝転び、空を見上げる私が見えた。
アッシュカーキーにカラーリングした私は、草原と一体化して、そのまま空に溶け込んでいく。

夢見心地ということは、人はそれぞれの心に、ときめきの風景を持つことだと思う。
そしてその風景は人それぞれ、自分だけの世界。

アッシュグレー、アッシュカーキーは、平凡な私を夢見心地にしてくれた。
人は誰でも、心ときめく色を、自分が輝ける色を、心でわかっていると思う。


真っ黒色の髪の私も、この色にしたい!
けれど、太い眉に黒目がちの私には似合わないと思い、そこで諦めてしまった。

成りたい自分に、成る勇気を持てなかった私は、20代のあの若い日に、ファッションに後悔を残してきた。
もう、何にも、どこににも、自分を縛る必要がない今の自分なら、それを素直に受けいれられるような気がする。

してみようかな。
びっくりするかな。
呆れられるかな。

こう考えながらも私は、心がときめいてくるのだ。
こころときめく心色を身にまとう、それは、ときめきを身にまとうこと。

心ときめくとは、きっとそこなんだろう、と思うのだ。


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聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、本当!

スマホなどの、携帯のサービスには、またまた驚かされた。

自分の生理日を知らせてくれるサービスがあるらしいのだ。
生理日などとは、まったく関係のなくなった私には必要もないけども、興味はある。



と言いつつも、私は若いころから、この手の話しは苦手だった。
そのせいか、自分が単純にバカで世間知らずだったのか、今でも思い出すと、顔が真っ赤になってしまう出来事がある。

高校生のころ、自分からは話せないタブー視してたこの手の話しを、クラスでワイワイと話す女子たちがいた。
その横で耳をダンボにしながら聞く私。

話題は、どうやら生理用品のことらしい。
アンネという会社から発売されたその用品は、素晴らしい使い心地だという、グループのリーダー。
それを聞いた私は、これは是非とも自分でも使ってみなければと、用品名を心にメモし、なに食わぬ顔で本を読み続けていた。


そして下校時に、学校がある商店街ではなく、帰宅途中にある薬局で、それを購入した。

私は次の生理日が、待ち遠しくて堪らなかった。
確かに、そんな私に、携帯の生理日お知らせアプリがあると、便利かもしれない。

けれど、当時の私は、生理日の周期云々、なんてことも知らなかった。
誰に聞けばいいのかも知らなかった。

ドクトルチエコの相談室になら、この手の話は載っていたかもしれないけれど、それにも私は縁がなかった。

だから次が始まるのを、ひたすら待つしかなかった。

さて、いよいよ!
待望の生理日になった私は、それを使ってみた!

ところが、それは快適どころか、私には苦痛でしかない。
とにかく痛いのだ、座っているとそうでもないけど、トイレに行くたび痛くて、私はいつも半泣き状態だった。

なぜ、こんなものに、クラスの女子たちはあれほど盛り上がったのか理解できなかった。

それでも、生理用品はそれ以来、 私は泣く泣く、使い続けるしかなかった。

月日は過ぎ、私は30代を迎えていた。
ある企業主催の女子温泉同好会の集いで、有馬温泉に行った。

見知った顔の人々と、裸同士のお付き合い、いつもよりみんな気楽になっていた。
お酒の席で、誰からともなく、生理日の話しになった。

もちろん私も、いつもより気楽になっていたからだろう、思わず苦手なその手の話題を口にする。
『それにしても、あの時は毎回毎回、本当に痛くて涙がでますよね』


私の話しを聞きながら、一同は怪訝な顔をする。

『えっ!あなた、それっ、ナプキンを反対に使ってるのよ?!』

『テープの面を、肌にじゃなく、下着に付けるの!』


世間知らずで、無知な私は、生理用品のナプキンのテープ面を、自分の肌に直接付けて、使っていたのだ。(T ^ T)
ずっとずっと長い期間、私は痛みに耐えてきた。
ナプキンの包装紙には、使用方法が書いてあったかもしれない。

何より、そんなに痛いのなら、ちょっと考えて疑問に思わなかったのか、私は。
誰かに、一言でも相談していたら・・・・・・と、悔やまれた。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、を実感した出来事だった。


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お願い、そんなに褒めないで!

ポーランドに嫁いだ、日本人妻を紹介するテレビ番組を観た。
ポーランドはかなりの親日国らしく、国立ワルシャワ大学の「日本語学科」は20倍もの競争率だとか。


そこで学ぶ学生たちに、日本のテレビ局クルーがインタビューしている。
一人の男子学生の趣味は、【漢字】だという。
バラを漢字で書くことができると、素直に嬉しそうにしている。
バラは漢字では「薔薇」と書く。


この文字を、今も昔も、日本人で書くことが出来る人は、いったいどれくらいいるだろう。
読めるけど書けない、そんな人が、きっと大多数だろうと思う。

彼らは、一様に、「日本はいい、日本人は親切で、国は美しい」と、口々に褒める。
東京オリンピックを見越してか、最近、【日本人、日本って素晴らしい!】的な、テレビ番組が多くような気がする。
私はそれら番組を見ると、恥ずかしく、てテレビの前で一人赤面してしまう。


私も人の子、初めは嬉しいと思いながらニヤニヤしたりもしていた。
正直、自分の国を褒められて嬉しくないはずはない。

けれど、こんなに立派な若者たちが、こぞって日本はいい、なんて言うのを聞くと、まぁまぁ、抑えてください。

日本人にも、悪い人はいっぱいいます。
電車のマナーの悪さには、滅多に乗らないのに、気分が悪くなるのですよ。

電車を自分の部屋か何かと勘違いしている若い女性、車両でお化粧をし、あろうことか着替えまでするのですよ。
とある私立高校の駅からは、そこの制服を着用した、男子生徒が大勢、乗車します。
さほど、長くもない足を、昔の日活の映画スターのように広げ、通路を通る乗客の邪魔をしているのです。

野太い声で話し、笑い、下卑た表情で周囲を見渡す。



これもまた、日本のローカルでの事実なのですよ。
褒めていただくのは本当に嬉しいのですが、どうぞ、事実をありのままに、認めたうえで、日本って素晴らしい!
と、思って下さると、日本人の一員としては、心から感謝いたします。

と言いたくなるのだ。


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年をとるって、悪いことばかりじゃない

30歳のころから、私はずっとスカートを穿いていない。
これには仕事の影響が大きくかかわっている。

懇意にしているクライアントの田植えを手伝ったり、または、坂道で荷物を持ったり、庭の草取りをしたりと、本来の自分の仕事とは関係のないことでは、アクティブな服装が便利だったから。

フェミニンな装いでは、クライアントの要望に応えられない。


それ以来、ファッションのマイスタイルは、ボトムはジーンズ、トップスはシャツやTシャツ。
正式な場に出る場合は、車に常備しているジャケットを着、スニーカーからパンプスに履き替えるだけ。

そんな生活の中では、黒やグレー、茶色の色を着ることが多く、カラフルな色を着ることに躊躇いがあり、どうしても冒険ができなかった。

仕事とアフターを別けて考えることができなかったのだ。

自分を押しとどめた理由は、たぶん、カジュアルなジーンズで、晴れの場に出ていくことへの引け目があって、それを隠すために、黒やグレーを着ていたように思う。

黒色なら、何とか正式っぽいかと、誤魔化してきたのだ。

でも、今は在宅家業の身。
ファッションに色を思いっきり愉しみ、少しは私も冒険してみようかと、最近、真剣に思う。

年を重ねてきて気づいたのだけど、私はあまり白髪はない。
黒色がちのロングの癖毛で、若いころは特に、眉も太く黒々としているから、茶色くヘアダイして似合う人が、とて羨ましいなと思っていた。

ところが、最近、白髪は目立っていないのに、髪色が褪色してきたのだ。
お洒落染をしなくても、真っ黒の髪が少しグレーに近くなってきた。

顔も年齢相応に、ハリや艶も衰えている。
普通は、ここでちょっと落ち込んだり、何とかしようとするのだろうか。
けど、この今の容色衰えた私には、若いころには絶対に似合わなかった、淡い色、パステルトーンの色が不思議に違和感がなく、合うのだ。

年を重ねたことで、真っ黒の重い印象を与える髪が、色あせて柔らかな雰囲気になったことで、まさかこのような効果が出るとは。
嬉しい発見だった。

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もし、永遠に生きられるとしたら

私は、本と同じくらい、コミックを観るのが好き。
小さなころは、貸本屋さんがあって、そこでは週遅れで週刊マーガレットや少女フレンドを、とてもリーズナブルな値段で借りることができた。
発売と同時に、リアルタイムで見られなくても平気と、お金のない子供はやせ我慢をする代わりに、貸本屋さんを利用していた。


私のコミック好きは大きくなっても変わらず、今も目が許す限り娘のコミックを、回し読みさせてもらう。
コミックは何度も読み返すこともあって、強く心に残る物もある。


その内の一冊が、萩尾望都さんが描かれた 『ポーの一族』
森に捨てられた人間の子供、エドガーとメリーベルは、ハンナ・ポーに拾われて育てられる。
ところが、ハンナとポー家の一族の人々は吸血鬼『パンパネラ』だった。


ポー家の秘密を知ってしまったことで、エドガーは大人になったら吸血鬼になることを約束させられる。
エドガーは妹メリーベルを吸血鬼にはしないという条件付きで、自分は吸血鬼になることを誓う。

エドガーが14歳の時、正体を見破られたハンナは、胸に杭を打たれ消滅してしまう。


時が過ぎ、エドガーと再会したメリーベルは自らも吸血鬼になりたいと告げる。
けれど、長い年月を経て、最愛のメリーベルも消滅してしまう。

ハンナ、メリーベルと、愛する存在をすべて失ったエドガーは消滅しない限り、哀しみと孤独を道連れに行き続けなければならない。


もし私がエドガーなら・・・・・・、そして永遠の命を約束されているのなら・・・、消滅以外に死ぬ道はないのなら・・・。
と、本を閉じたあとも、心にそんな質問を投げかけてしまうような気持ちにさせられた。

何百年も、何千年も生きながらえる吸血鬼。


今、私が吸血鬼なら、少なくともあと30年もすれば、夫はこの世から居なくなる。
さらに平均寿命を生きるとしたら、娘も60数年後くらいには、この世から消えてしまう。

私は、この愛する家族を見送り、以後もずっとずっと、ずっと・・・永遠に生き続けるのだ。
目を閉じて、家から家族が消えたあとの光景を思い浮かべてみる。


涙が自然に出てきて、駄目だ、やっぱり私は先に消えたいと思った。
永遠なんてちっとも嬉しくない。

命には限りがあるから、一生懸命生きられるのだ。
限りがあるからこそ、病が、老いが、死が、怖いと感じる。
その恐怖さえも、生きている実感なんだと思う。

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今だからこそ、子どもの心を

「遅刻する~~~!」
娘が階段を、ドタバタと駆け下りてくる。


「もうー、だから、早く寝なさいって、いつもお母さんは、言ってるのに」

と、一応は意見しつつも、甘々な私は車のキーを片手に、送って行くことになる。



そんな朝のドタバタ劇の帰り道は、少し遠回りをして、山の道からのコースで帰るようにしている。
私の家は標高350メートルくらいの場所に位置している。


里の主要道路、古い街道を挟んですぐ目の前には低いけど、山がある。
山間の田は、酷暑にも負けずに、青々と稲穂を実らせていて、朝からパワーをもらえる。
間もなく、この田んぼは、刈り入れ時を迎え、田おこしといって、耕運機で土の深い場所からざくざくと掘り起こされる。

それまでの時間、田んぼは濃い緑色のお化粧をしているかのようだ。

秋には棚田の淵に沿うようにして一面に、朱色の彼岸花が咲き競う。

ina4.jpg



早朝の山間の田を観ながらふと、思うのは、今、私はこの水田に飛び込んで遊べるだろうか、ということ。
子どものころは、何も考えないで、田んぼを観るとそのまま田に入っていき、そこでメダカを探したりして、遊んだのに。

今の私は、この土の中にはいろんな虫が居るのではないだろうか、マムシがカエルを狙い、とぐろを巻いて潜んでいるかもしれない、洋服が汚れてしまう、などなどと想像してしまう。


その想像が、水田に不用意に飛び込む出鼻を挫いてしまう。
なんだか大人になるって、詰まらないなぁ。

子どものころのように、無邪気に田んぼの中に入って、逆立ちの練習をしたり、蓮華草が咲くころには、花の首飾りを作ることができたらと、せめて心の中で遊ぶことにしよう。



人は、日常に埋没してしまい、子供の心をいつの間にか忘れてしまう。
大人が絵本や児童書を読むのは、忘れてしまっている子供の心に逢いたいからかも知れない。


レンゲ畑を、見て、今の私は、何を感じるのか。
畑には虫がいるかも、もしかしたら蛇だって居るかもしれない。

でもね、小さな頃はそんなことは思わなかった。
ただ、わぁーレンゲ畑だ! 遊びたいな!

小さなころなら、そうしたいって思ったはずだもの。
だけど、大人と言われるようになると、どうしてそれができないのだろう。

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肥後守があった頃

苦しい思いをした、一昨夜の動悸で、昨日の日曜日は、外出の予定を取りやめ、家で不用品を整理していた。
久しぶりの物置から、なんと!懐かしいモノが出てきた。


若い人は知らないかも知れないけど、私が子供のころは鉛筆はナイフで削っていた。
昭和の生まれの方ならご存知かも知れない、肥後の守というナイフがその鉛筆削り。

higonokami.jpg

娘が高校生のころ、この肥後の守で鉛筆を削っていた。

えっ、何故?
そんな私に娘が言った。

だって、電動の削り器は、芯の先っぽがうまく尖がらないし、それに早く減るから。

なるほど、そういえば私の子供のころも、電気式の鉛筆削り器はあった。
けれど、その器械に鉛筆を入れると、ビューン、ウィーンと物凄い音がして鉛筆が一気に短くなってしまう。


私は、鉛筆が短くなるのが怖くて勿体なくて、二度目からは、削り器を使うことはなかった。

日曜日の夜に、ランドセルに入れる学用品を詰めながら、机の上の筆箱には、ピンピンに尖った鉛筆が仲良く並んでいる。
幸せだなぁって思いながら、にんまりしてしまう。


そうだ、私も友達と競うようにして、鉛筆の先っぽを尖がらかすことに情熱をかけていた。
ナイフで鉛筆を削ることに、危ないと思う親も居なかったように思う。
子どもたちは、親が見たらヒヤヒヤするような遊びの中で、危険を体に覚えさせていた。



あのころは、高度成長期とまではいかないけれど、日本は少しずつ豊かさに向かっていた時代。

貧しくても、モノが無くても、何も恥ずかしくなかった。
珍しいモノを持っている子供は、お金持ちの子。

それは、へぇ、すごいなっというレベル。
物質的には貧しい時代だったけど、子供たちは工夫を凝らし、豊かな遊びに興じていた。


ちびた鉛筆にはキャップを被せて使っていた。
モノを大切にすることは、ある意味、子供のステイタスでもあった。

葉っぱのお惣菜、小石や砂のご飯、段ボールのスキー板など、ありとあらゆる、そのへんのモノが遊び道具に変わる。
葉っぱの色の濃淡で、今夜のお惣菜のメニューを考えたりした。

オシロイバナの葉っぱは、お惣菜に最適だったから、いつもままごと仲間も子たちが同じお惣菜になったりした。
摘まんでも摘まんでも、無くならない葉っぱは、ままごとの食卓を豊かにしてくれた。

oshiroibana.jpg

なんて穏やかで、素敵な時代だったんだろう。


※昨日は、ご心配いただきまして、ありがとうございます。
日曜日は、無理せずに早くに休むようにしました。
今朝は、暑いですが快調です!^ ^
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