ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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通夜式にて

昨夜は、村の隣り組で、通夜式の手伝いをした。
昔取った杵柄か、婦人会の先輩方は、ぺちゃくちゃと賑やかにお喋りしながらも、手はきちんとした目的を持って動いている。

手伝いでの話題は、どうしても突然死されたKさんのことになる。

突然死とは、なんら病で寝込んだわけでもないのに、なんらかの、理由でまったく突然に、死んでしまうことらしい。
その死因は不明なことが多いという。

Kさんの死因は、『心室細動』
心室細動になると心室のポンプ機能は失われ、血液を送り出せなくなる。
その結果、血圧はほぼゼロになり、脳は虚血状態になり意識は消失し、そのまま心室細動が続けば死に至るという。
心臓マッサージは効かず、AEDが効力を発揮するらしいが、Kさんには施せなかった。



通夜式の精進揚げも、手早い先輩方のおかげであらかた作り終え、私たちは座敷に、移った。
白いお布団に、北枕に寝かされているKさんの、身体あたりが、ふんわりと盛り上がり、今にも起き出しそうだ。

喪主になる、奥様が傍に座り、話し始めた。
「マッサージも何も、間に合わんかったんですわ。主人は、ウッって呻き声を一言だけ言うて、意識がなくなりました」


そして、奥様は、
「ねっ、お父さん」と、Kさんに話し掛けた。

青白くやつれた顔で、ひたすら同じセリフを繰り返し繰り返し話す。
白いお布団を、何度もさする。
さすりながら、語りかける。

ご主人の死が、信じられないのだろう、今はまだ。

悲しみは後からやってくる。
子宝に恵まれなかったKさんご夫妻は、村でも評判の仲良しさんだった。

私は、見ていられなくなり、先に暇乞いをさせていただくことにした。

出がけに何気に振り返る。
奥様は、白いお布団で休んでいるご主人の、腕のあたりを撫でている。

そうしながら、白いハンカチを畳んでは広げ、また、畳むことをしていた。

真に恐怖を感じたとき、人は叫び声が出ない、声を飲んでしまうという。
同じように、悲しみの渦中にあるときは、涙が出ない。

奥様は、これから悲しみが始まるのだ。

月もない寂しい空に、稲木に掛かったままの稲田んぼがうすら寒い風に揺れている。



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63歳の早すぎる死

今朝7時、静かなこの山里に、村のあらゆることを報せる拡声器から、役員さんの大きな声が響いた。
「3組のKさんが、お亡くなりになられました、たくさんの方のお見送りをよろしくお願いします」
私は、拡声器が知らせる訃報を聞いて、眠気が吹っ飛んだ。



この村も、ずいぶんと高齢化が進み、訃報のアナウンスを聞くことが多くなった。
けれども、Kさんはまだ63歳の男性で、お仕事もされている。

Kさん宅の田は、村では日当たりのよくない場所にあるからか、先週の日曜日にようやく稲刈りを終えた。
その時に、稲刈りをしている姿を見ていたから、アナウンスを聞き違えたのかと思ったぐらい、驚いた。

先ほど、Kさんの訃報の真相が分かった。
職場で倒れ、救急車が到着するまでには、もう心肺停止状態で、病院に運ばれて僅か8時間後の死だった。




Kさんは、筋肉質の細身の方で、63歳ながら、村の秋祭りには青年団代表として、頑張ってこられた。


秋は夕暮れ、紫たなびく大和盆地。
なんといっても、秋の大和盆地の夕暮れは、日本一美しいと、私は思っている。
残念ながら、我が方にはこの盆地の広がりはないけど、この里と同じくらい私は、大和盆地が好きだ。

雄大な、葛城山と金剛山の山裾辺りには大和側の田が一面、黄金に煌めいている。
今は、稲木に、刈り取ったばかりの稲が掛けられている。

大阪側の我が方も、棚田が美しく秋のやわらかな日差しに輝いている。
幾万年か前、地球の寝返りにより大地が隆起し、この美しい山々ができた。

だけど、この美しさも、人の手が入っているからなのだ。
草刈り、彼岸道つくり、イノシシ対策、などなど里山を保全する仕事は、切りがないくらいある。

里には里の独特な習慣や風習があるけど、Kさんは、次世代になるべく、負担のかかる作業は残さないように心配り、皆に納得してもらえるよう、活動していた。


そのよう活動は、村への裏切り行為とも捉えがち。
なぜなら、田舎には絶対にある、抵抗勢力という変化を嫌う人たちに、阻まられてしまうからだ。

長くかかったけど、Kさんの尽力と人柄のおかげで、変化を嫌う人たちにも、徐々に認めてもらえていたというのに。

緩やかな流れではあるけれど、少しずつ変化が見えて、里の未来に希望が出てきたのに。

里にとって、大切な人が亡くなってしまわれた。
亡くなる前に、田を美しくしていたことが、Kさんらしく、せめてもの慰めになった、とでも思わないと、やり切れない。

痛みにのたうち回りながらも、死が来ない人もいる。
けれど、Kさんのような、あまりにあっけない最期には、ご家族は心の整理もつかないだろう。

それでも、死は哀しい。


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ブログを書く心にある想い

私は小さなころから、本を読むのが大好きで、戸外で遊ぶのもよくしたけれど、本があれば幸せだと思う子どもだった。
寝食を忘れるほど、何かに夢中になる、そんなことは読書以外、他にはなかった。

本は、子供時代の私の大切な相棒で、それは今も、あまり変わらない。
読む楽しさを知った私は、次に書くことに興味を覚えた。

感じたことを言葉にして、伝えたい。
伝えたい思いが伝わったとき、そこに大きな喜びが生まれる。



そして私は大人になった。
大人になってほどなくして、世界はインターネットという、電波を通じて交流できる時代になった。

大阪の片田舎に住みながら、大都会ニューヨークの人と、リアルに話ができる時代が来たのだ。
パソコンの向こうに広がる、ワールドワイドの広大無辺な世界と、時空を超えて繋がる。


今も、こうしてブログで多くの方々と、イノシシやタヌキ、見たことはないけれど、熊まで出る山奥に住む私が、家に居ながらも、交流させていただいている。

毎日のように訪問して読んで下さるだけでも有難いというのに、掲示板にコメントを下さったり、参加しているブログのランキングに応援クリックをしていただいたりしている。

いつも感謝しながら、パソコンの向こうに住んでいる人たちの、お一人お一人の顔などを想像する。

本当に良い時代に生まれたと、魔法の箱のパソコンを眺めながら、笑みがこぼれる。
インターネットを介して、世界の垣根がなくなって、さらに多くの日本全国あるいは海外の人々と、話すことがますます可能になってきた。

FaceBookやTwitterなどのワールドワイドのSNSで、もしかしたら、昔の音信不通になってしまった知人を探すことができるかも知れない。

私にも、東京の学生時代に、連絡がとれなくなった、友がいる。
だから、探してみようかと、そんな思いが顔を出す。

けど、私はそれをしない。

しない、それこそが、私がブログや日記を書く理由になるからなのだ。

心にあるのは、想像、あれこれと思いめぐらすこと。

過ぎ去った懐かしい日々、人たちを想いながらあれこれ想像する。
そんなとき私の心には、過ぎ去った日々が目の前にはっきりと浮かんできて、生き生きと蘇る。

蘇る心を、私は言葉にしたい。

とっても気障な言い方だけど、自分に想像の翼がなくなれば、私は書くことをしなくなるかも知れない。
書けなくなる自分、それが怖いのだと思う。



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やっぱり声だって、美しいほうが

15歳から22歳まで東京で過ごした私は、話す言葉が、大阪人らしくないアクセント、と言われることがある。
語尾を含めて、話し方がはっきりしているらしい。


大阪と言っても、私は南大阪、だんじりで有名な泉州地方の出身。
一概には言えないけれど、泉州の人間は、割合、早口で喋る人が多い。

今は十分に注意して喋るようにしているけれど、元々の私も、やや、早口で喋る。
そこに、語尾をはっきりと話す、が加わると、第一印象は、きついと思われてしまう。

おまけに私は、顔立ちもはっきりしている。
その上に、声も女性にしては低目のハスキーボイス。
初対面では、鈴を転がすような声の人、笑顔が素敵な人、柔らかな雰囲気の人、優しそうな人などがきっと、好印象だと思い、つい自分と比べてしまっては落ち込む。


小さなころは、まぁまぁ喋る方だったけれど、大人になるに従い、積極的に喋るということはなくなってきた。
昔から、疲れるとものを言うのが億劫になり無愛想になったりするので、なおさら印象は悪くなってしまう。



声は自分で努力しても美しくなるわけでもなく、精々、話し方で誤魔化すしかない。
若いころは、真剣に『ボイストレーニング』を受けようかと思ったこともある。

親から受け継いだものを変えるのは、難しい。
その中の声に対し、自分のコンプレックスがあって、私は声の素敵な人には、老若男女問わず、無条件に「ワォー!素敵」、と思ってしまう。

何故、「ワォー!」 なのかというと、羨望、尊敬、感動、高嶺の花など、自分には届かない、手に入れられないという意味。
本当に羨ましい限り。

そんな私は、日常生活でも、できるだけ雰囲気を柔らかく話すように、自分に言い聞かせないと、ややもすると、つっけんどんになってしまう。

「あなたは、才色兼備で悪声、容姿は劣るが美声、のどちらに生まれてきたいですか?」と、もし、そう問われたら。

「はい!不美人で構いません、私は鈴を転がしたような、優しく、美しい、声の持ち主に生まれたい」と答えると思う。




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人の目、という刃物

昨日は、娘とデートだった。
娘は職場から、私は家からと、午後6時30分ごろに沿線の終点で待ち合わせをする。
これまでも、娘とはよく出かけているけれど、昨夜のような、現地集合のデートというのは初めてで、前夜から嬉しくてあまり眠れなかった。

終点には、日本一高いビル、阿倍野ハルカスがある。
ハルカスの化粧品売り場の、オンラインショップで注文していたコスメを受け取る娘に、私が強引について行ったのがほんとうのところ。

家で受け取らずに、売り場に行くのには訳があって、新商品をどのように使うのか、美容部員さんが直接、教えてくれるからと娘が言う。

実のところ、私は生まれてこの方、美容部員さんにお化粧をしてもらったことは一度もない。
それを観たいがため、娘に同行するという本音を隠し、デパートにちょうど用事があるからと嘘を吐いてまで行きたい私。

大きな鏡の前に座る娘の横に、小さな椅子を用意していただいて、熱心にお化粧見物する母を、美容部員さんは訝しがるふうもなく、終始、笑顔を絶やさない。
華やかな灯りに照らされた化粧品売り場の、これまた美しい美容部員さんの笑顔は、ワクワクするような効果を与えてくれるものだなと思った。

細い器用な指先が、娘というキャンバスに彩を施し、見違えるほどに、美しくなっていく。
鏡の前の自分にうっとり状態の娘は、とても品のいいセールストークにも乗せられて、受け取る商品以外に、結局、3点、購入する。

これも、たぶん、美容部員さんの笑顔と美の効果だろう。




帰りの時間は、通勤ラッシュと重なったのか、来る電車はどれも、大量の人々を、そのドアから疲れたようにはき出している。
私と娘は、空いている列車を待って、次々発に乗ることにした。

その時、突然、ホームに「ギャァー、ガァー、グワァォ、ギャー」と擬音にするのが難しいような、獣の咆哮に似た音がどろいた。
大阪では、つい先日、家族4人の死傷事件があったばかり、「危ない!」思わず私は、娘を自分の背中の後ろに隠した。


雄叫びはなおも続く。
恐る恐る後ろを振り返ると、シルバーシートの優先席に、30代後半と思しき一人の知的障害らしい男性と、その母だろう、二人がいた。
獣の咆哮のような声は、その男性が発していたのだった。


声の主が、想像したような恐ろしく危険な人ではなかったことから、安堵の思いでその二人を観た。
お母さんらしき人は、子である男性を、何とか落ち着かせようと、必死で宥めている。
そうしながらも、周囲に対する気兼ねからだろう、身を小さく縮こまらせるようにしていた。
周囲の人々は、無関心を装いながらも、その眼には私たちと同じ、怯えのようなものがあった。

獣が叫んでいるような雄叫びは、まだ収まらない。
その時、意を決したように、母と息子は電車を降りた。
座っていたシルバーシートには、愛らしいポケモンのイラストの水筒が、ぽつんと一つ、忘れられている。

電車が動き出す寸前、私は恐ろしい気持ちとは裏腹に、咄嗟に電車に駆け寄り、シートから水筒を取ると、お母さんに手渡した。
その人は、まるで天使を見るような目で、私を見た。

そして、「ありがとございました。ほんとうにありがとございました」と、深々と頭を下げた。



お母さん、私は、先ほどあなた方が座っていた、その周囲の人たちと同じ、知的障害のある息子さんを事件を犯した犯罪者の如く、怖いと思ったのです。
あなたの大切なお子さんから、危害を加えられるのではないかと、怖くてたまらなかったのです。

身の危険を感じた私は、あなたが先ほど電車内で決断されたように、わが子の身を守ることに必死のただの母親で、天使なんかではないのです。

大きな子どもの手を引きながら、お母さんは3番線に移っていった。
「水筒や!水筒や!」と喚く息子さんの大きな声が、ホームに響き渡る。

居た堪れない思いの私は、心のなかでごめんなさいと、謝るしかなかった。



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神の存在

これまで生きてきた中で、命の危機に瀕したことが二度ある。
二度とも、私は生死の境をさまよい、この世に戻ってこられた。
実は、その二度目の生還には、共通しているあることが、ある。

魂が永遠の眠りにつくその寸前で、私の背中の中央付近を有無を言わさない強い力で押すモノがあった。
有無を言わさない力で、命の軌道の端っこに押しやられた私は、気が付いたら病院のベッドの上にいた。


それからも、私は、私の背中を押した力を、考えることがある。
科学の力が及ばない事象を示した書物を読んだり、霊的な番組のテレビを観たり、宗教家の説話を聴いたりと。
けれども答えは得られない。


そんなとき、アメリカのリン・マーギュリス博士が【細胞内のミトコンドリアを「発見」】したという書物を知った。

私たちの遺伝子の約30%ほどは、もともとは外部のウイルスだったらしい。
もちろん、ウイルスとはいっても病原体ばかりではなく、人間と共生できるもの。


その昔、人体とも呼べない頃に入り込み、「お、ここは居心地がいい」と、気に入って代々住み着いてしまった生き物が無数にいるということだろう。

彼女は、ダーウィンの『種の起源』に代表される「適者生存」の理論に反対し、「共生」こそが生物進化の原動力だと訴えた。
難しい学術的な内容は、私には理解の範疇を超えてしまう。


けれど、この論旨を私なりに想像すると。
その前に、私はリン・マーギュリス博士も提唱する、【ガイヤ生命説】を信じている。
即ち、私たちが『神、仏』として崇め崇拝するのは、【地球そのもの】だということ。


そして、私は私の背中を押した、その存在は、リン・マーギュリス博士が発見した、
私たちの命に共生している、その古代のウイルスこそがガイアの御使いとして、私の生還を手助けしてくれたのではないだろうか、と思える。


有無を言わさぬ、強い力で私を押したあの手の感触は、今も背中の真ん中に残っていて、いつでも、そこにその存在がいるのだという、安心感を与えてくれる。(時に恐怖に変わることもある)

そう思うと、とても辻褄が合うような気がするのです。



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ロバート先生の英会話教室

少し前から、英会話教室に通っている。
シニア世代の7名とアメリカ人のロバート先生との、こじんまりした教室とも言えない、アットホームな英語教室だ。

メンバーの皆さんの動機は、それぞれ違うけど、共通しているのは外国の方と話しをしたい、ということだろうか。

生徒代表のYさんは、初老の紳士で、一年に二・三度の割合で海外旅行をされている。
旅行で行った大抵の国で、自分の英語で通じると嬉しい、と仰る。
副代表のM子さんは、お嬢様がアメリカ人と結婚をして、ハワイに住んでいる。
その青い目のお婿さんとお喋りするために、教室に通われているのだ。

教室で、一番日の浅い私は、自己紹介のときに、ちょっとしたミスをしてしまった。
ロバート先生が、「なぜ、英語を話したいのですか?」と訊かれたことに、「ロシアに行きたいからです」と頓珍漢な返答をしてしまい、以来、先生から、「ロシアでは英語はあまり通じないかもよ?」と、授業の度に、からかわれている。(;^_^


おまけに、あれは、二度目の授業のときだった。

先生と、メンバーとでフリートークで、私は、高校生のころに在日アメリカ人のお宅で下宿していたと、話した。
いつもそう、私は無口な方なのに、余計なことを喋ってしまう。

私の話を聞いた、ロバート先生も、メンバーのみなさんも、おぉ!という顔をされた。
その瞬間、「あっ、しまった!」と思ったけれど、もう後の祭り。

何度目かの講座を受けているけど、毎回、冷や汗もの。
というのも、3年間もアメリカ人のお宅で住んでいたから、私が英会話ができると思われてしまったのだ。

住んでいたころは、確かに少しは通じたし、日常会話くらいは話せた。
けれど、そののち、私は英語を話す環境で仕事をしたこともなければ、生活をしたわけでもない。
高校時代のたったの3年間で、英語が分かったように思っていたのは、『井の中の蛙大海を知らず』 もいいところだったのだ。

なのにどうして私は、それを英会話教室で言ってしまったのか。
要するに、ええかっこしたかったのだろうと思う。

副代表のM子さんの英会話を聞いていると、今更、教室に通う必要もないほど、お上手。
ロバート先生とも講座が終わったあとも親しげに会話している、もちろん英語で。
けれど、英語ができるなどという、そんな素振りは少しも見せず、まだまだ自分の英語ではお婿さんに通じないと仰る。

4年前に仕事を辞めてから、何か人と関わろうと、引っ込み思案の自分を叱咤して、1年前からこの教室に通いだした。
コミュニケーションが苦手な自分が、母国語と別の言語で話すことで、開放的な自分になれるのではないかと思って始めた英会話教室。

墓穴を掘るという言葉があるけれど、私はコミュニケーション能力が劣る云々という前に、場を読む力がないのだなっと、思う。



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夜の愉しみ

私のストレス解消の一つに、夜のドライブがある。
家事も終わり、眠りに就く前のひと時、山に向かって車を走らせる。

最近は、運転免許を取った娘が同行してくれる夜もある。
私と娘は割合に価値観が似ていて、好きな風景、好きな生き物、好きな木々も食べるものもよく似ているか、全く同じ。


今夜の夜ドライブで見つけた、なんとも味わいのある寸景に、娘と二人、思わず息を呑んだ。

小径はススキで埋め尽くされ、人の気配もあまり感じられない。
魔の時刻には物の怪が出てきて宴をしていそうな、そんな風景。
この辺りには、確か 『 鬼棲橋 』 という名の橋があった。

その昔は、おそらくここ辺りには物の怪が出没して、村人を困らせていたのかもしれない。

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人の手になる、木の階段が上へと続いている、その道の先がどうなっているのか、激しく想像力をかき立てられる。

少しの間、車を停めて、道の先へ歩いてみようかと、迷った。
助手席の娘はとみると、たぶん、行ってみたい、けれどと、怖いもの見たさという、私と同じような想いを巡らしているのだろうと分かる。

そう、ここから先の、息を呑むような風景の向こうにあるものは、自分の心のなかの想像だけにしよう。

心にうっとりとした想いを残しながらの帰路、口数が少なくなる娘。
さっき見つけた寸景の先を想像しているのだ。



そういえば、子どものころ、学校帰りに、私は、横道や脇道を見つけるのが好きだった。
ほそびや探検と言いながら、ランドセルを背負ったまま、脇道に入って行って、知らないお家の庭だったりしたこともあった。
けれど、それら放課後の小さな冒険は、子ども時代を楽しいものにしてくれたように思う。

そのころの小さな自分を思い返すと、心がポカポカと小春日和のような温かさに包まれる。


そんな自分と同じことをしていることを、娘の小学校時代の作文で知った。
私と違う点は、娘は田舎育ちなので、巨大なミミズや蛇を拾ってくることが多くあったけど。(;^_^

母と娘、似て非なる、二人の時間が永遠に続けばいいのになと、夜のドライブは、時折、私をそんな気持ちにさせてくれる。




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父と母を想う日

私の父は物静かで、生真面目を絵に描いたような人だった。
自然を愛し、山登りが好きで、特定の木々を慈しみ、休日ともなれば、一人山に向かい、幾日も帰らないことがあった。
そんなとき母は、へっついさんに火を焚べながら泣いていた。
母の肩が震えているのを見るたび、私は父に怒りを覚えた記憶が残っている。


私はずっと、父は母を愛していない、と思っていた。
もっとも、このころは、愛している、なんていう言葉は知る由もなく、母を泣かせる父は悪い人、そんな認識だったと思う。


しかし、小さな子どもとはなんて愚かなのだろう。
一場の両親だけを見、二人は愛し合っていないと思い込んでしまう。
そして一方的に父がいけないからだと決めつけるのだ。


若く、まだ幼いといってもいい母は、大阪府下の紡績工場で女工さんとして働いていた。
織機の前に立ち、来る日も来る日も綿糸を紡ぐ仕事。
大正5年に操業を開始したその紡績工場は、以来100年余を経て、今も現役の建物として在る。



そこだけ時代に取り残されたような一角で、煉瓦造りの工場は歴史を見続けてきたのだろうか。



今回、お彼岸にかけて、父の書いた自分史を読み終えた。
そこには、数々の親戚あるいは、私に関係のある逸話も書き記されていた。


自分史とは、まさに時代の生き証人になるのだなと、改めて思う。
第一子を出産後、5年もの年月、父と母は子どもに恵まれなかった。

待望の第二子が私だった。
今度こそ男子の赤ん坊かと周囲が騒ぐ中で、産婦である妻を気遣う父。
産後も細やかな優しさでもって、妻を労う父の姿が、情感あふれる言葉で書かれていた。


理由は分からないが、私は産婆さんの手により、自分の家で生まれた。
母は、産褥熱に苦しみ、意識が朦朧とした状態で、赤子の私を縁側に投げ捨てた。

言うなら怖ろしいくらいの事実を、私には、男子の赤ん坊でなかったから、祖父がそうしたのだと、歪められて言い伝えられていた。
それが、真実は母だったことが、父の残した文章には書かれていたのだ。



縁側の赤子を拾い上げた父は、母を緊急入院させると、従姉姉に私を託した。
原稿を読み終えて、私にはハッと思い出す一つのことがある。

結婚のため、家を出る私に、母が「元気に生きてくれてありがとう」と言ったこと。
健康に自信があった私に、病気すらしたことのない私に、母は始終ごめんねと言ったこと。

あの「ごめんね」はもしかすると、縁側に捨ててごめんね、なのかもしれないと思ったのだ。



5日間かけて読み終えた父の私的な日記には、正直、知りたくなかったことも、書かれていた。
哀しみの涙が、幾度か流れた。

けど、母には父がいた。
そこからは、父と母が助け合い、寄り添いながら生きていたことが見えるような気がした。。



父と母の存在なくしては、やはり私はこの世に存在しなかった。
そして何より、わが娘と出逢うこともなかったのだから。



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安心、安全な物を食べたい

人間は、「より早くより豊かに」を合言葉に、多くの生き物たちの時間を奪ってきた。
鶏の時間を乱して卵を多く産ませたり、牛の持つ本来の成長速度を無視し、成長促進剤を使ったりといったことが、当たり前に行われている。


そうして機械的に生かされている生き物たちの不幸せな命が、スーパーマーケットに並び、私たちの【糧】となる。
「いただきます」の一言で済まされることなのだろうか、ふとそんな想いが頭をよぎる。

より豊かな社会を目指し急いできた結果、人間が手にしたものとは何なのだろうか。
今のところ、遺伝子組み換えやクローン技術が自然環境に及ぼす影響がどんなものか、予測不可能だとされている。

それにも関わらず、遺伝子組み換えやクローン技術の実用化を推し進めようとする力が働いている。
「安全」に関する科学的な評価が覆る可能性は低いと言うが、実際に遺伝子組み換えによる弊害が、各地で報告されている。


ナッツ類に対してアレルギーを持つ人が、大豆を食べてアレルギー反応を起こしたという事件がある。
大豆に本来含まれていないはずのナッツの遺伝子が組み込まれており、そのため反応が起きたのだという。

特定のもの以外にアレルギー誘発物質が含まれているとも知れず、安心して食事をすることも出来ない世の中に、なっていこうとしている。

日本は大豆の自給率が約3パーセントしかなく、今市場に出回っている大豆のほとんどをアメリカからの輸入に頼っている。

でも、アメリカで生産されている大豆の8割が遺伝子組み換えだという。
どんな遺伝子が組み込まれているのかも分からない大豆が醤油や味噌などに加工され、我々の食卓に届くことを考えると、
「遺伝子組み換えは信用できない」という消費者の声も最もだと思う。


健康を、ひいては命を与る、大切な食糧を、安心で安全なモノにできない国が、豊かと言えるのだろうか。
今後、日本人の二人に一人は、癌で命を落とすという (本当かな).。

仮にそうだとしたら、何より、食の安全こそが、最重要の国策ではないのだろうか。




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