娘のぶきっちょは、目が悪かったから

小さなころの娘は、他の子がらくらくとできる身体を動かす遊びなどが、とてもぶきっちょで何をしてもうまく出来た試しがありませんでした。
反面、ベッドで寝ながら出来るような折紙や、お絵描きは器用にこなすのです。
多分、生まれた時から入退院を繰り返していたからだと、わたしたちは思っていました。
-----------------------------------------------------------------------
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------

娘は小学校二年生くらいから、通常の小学校に通うようになりました。
病院には、院内学級もあり、親の元から離れ、長期入院をしている子どもたちのために、通常の学校から先生が来てくださる授業もありました。

みんな、少しくらい身体がしんどくても、少々の熱があっても学級に行きたいと思う子どもたちばかりでした。
娘も勿論、そんな子どもたちの一人で、本を読むのが大好きでしたから、早くはやくと文字を覚えたかったのでしょう。

ところが、その頃、神様は娘になかなか学級に通う機会を与えてくれなかったのです。

入院中は同じ病の子と同じ部屋で、二人部屋と仲間たちは呼んでいました。
病院に長くいる子どもたちは、部屋にはとても敏感になるのです。
個室から二人部屋、それから四人部屋に移ることができると、退院の可能性が出てくるのです。
その反対は、哀しい結末になると、みんな知っていたからです。

7歳で、娘は四人部屋に移動になりました。
そして初めて、院内学級で学べることになったのです。


それまでの二人部屋から院内学級までは、通いなれた道ではありません。
点滴をぶら下げたアルミの移動棒を、カラカラと音を鳴らしながら押して、エレベーターで5階から3階まで降りなければなりません。
動作にぶきっちょな娘は、途中、何度か転ぶのです。
小児病棟というところは、通常の病棟よりも、とても安全に気を配り、子どもたちの大切な命を、病以外で危険に晒すことはありません。
それなのに、娘はなんでもない曲がり角でぶつかったり、壁の隙間に足を入れたりします。

そんな娘に気づいた看護師さんが、ドクターに報告したことで娘は目が悪いと判明したのです。

赤ん坊のころから病院にはお世話になっていましたが、そんな頃に視力検査などはしませんから。
7歳になって測った娘の視力は、左目0.03、右目に至ってはほぼ視力が出ない状態だったのです。

夫も私も目が悪い方ですが、まさか、娘がそこまで目が悪かったとは、思いもしなかったのです。






この記事は長文になりますので、明日に続きます。
-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。

にほんブログ村 定年後の暮らし
-----------------------------------------------------------------------
足の捻挫は、踝が腫れて痛みますが、
有難いことに、左指は疼く程度で、我慢できる痛みです。
私は、左手の方が利き手ですから、なんとかなっています。

沢山のコメントでご心配頂き、ありがとうございます。
もうご存知の、ブロ友さんもいらっしゃるので、
弁解は出来ません。

本当に、この慌て者の私、怪我ばかりで、情けなくなります。
病院で貸し出ししていただいた、松葉杖に慣れません。
かえって怪我をしてしまいそうで、怖いです。(~_~;)




スポンサーサイト

娘と夫の誕生日に、想うこと

母は、父の家に嫁いだのち、なかなか子供に恵まれませんでした。
家には父の姉や妹がまだ同居していて、その小姑のうち義妹が事あるごとに、 「嫁して三年 子なきは去る」と仄めかし、母を苦しめていたと言います。

私には平成2年1月29日生まれのひとり娘がいます。
偶然ですが、この同じ日、1月29日は夫の誕生日でもあるのです。^^ヾ
昨日、夫63歳、娘は27歳になりました。

-----------------------------------------------------------------------
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------

母よりは遅くに嫁いだ私も、なかなか子どもに恵まれなかった。


義父も夫も、母の小姑のようなことを言って責めるわけではなく、寧ろ、この家に跡取りをもたらさない私を、労ってくれた。

有難いと思う反面、その優しさがまた私を追い込み、胃がシクシクと痛むようになってしまう。
仕事に託けて、私はしばらく実家に戻り、義父と夫の家から離れることにした。
なんと未熟者で愚かで、自分勝手だったのだろう。

振り返ると、恥ずかしくて情けなくなってくる。



姉妹も嫁ぎ、両親と末妹だけの暮らしの中に、私がいる。
久しくなかった、母が台所に立ち私がいる、そんな風景は心安らぎ、甘えられる感情は、小さかったころに戻ったようだった。


私は、一家の主婦としての自覚にも乏しく、嫁して子をなすこともできない、そんな自分が母に庇護される幸せを味わう。
その居心地の良さに、次第に後ろめたくなってきた。

自立していない、大人になっていない自分を、思い知ったのだろうと思う。
不肖の娘に、そんなことくらいで、いちいち実家に帰って来るな、と、父も母も言わなかった。
理由も聞かず、ただ受け入れてくれた。


母には、嫁して子を成せない気持ちは、かつて若い花嫁であった自分と重ねる部分があったのかも知れない。


三日間の後、私は夫の待つ家に帰ることにした。

その朝、私の大好きな呉汁を作ってくれた母。
昨晩から大豆を浸けていたのだろう、すり鉢で大豆をする匂いが台所から漂ってきた。


そっと台所に入り、子どものころによくしたように、母の後ろ姿を見ていた。
頼もしかったその背中も、歳を重ねることで縮んだのか、小さくなってしまったように見えた。

「おかあさん、これまで幸せだった?」と、背中に聞いてみた。
背中はそっと笑うと、「人間は遠くをみても、ろくなことはない、毎日、目の前にあることに一生懸命に向き合えば、幸せは向こうからやってくるよ」、と言った。

自転車に乗れない母が、駅まで自転車で送って行くからという。
行きは私が運転をし、帰りには一人で自転車を押して歩いて行くのだろう。

あの日は、そんな母の優しさが、心に染み入る朝だった。





-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 定年後の暮らし
-----------------------------------------------------------------------
昨夜、食事で外出したときに、雨でぬかるんだ坂道で転んで、足と手を挫いてしまいました。
足は軽い捻挫ですが、左手中指、薬指、右手も中指が使えません。。・゜゜・(>_<)・゜゜・。

しばらく治るまで、ブログ更新が精いっぱいになると思いますので、
通常のコメントボードは、閉じさせていただきます。

ごめんなさい!よろしくお願いいたします!<(_ _)>







脳卒中で倒れた父の看護の中で

冬場に多い突然死には、血管系の病気が多いらしい。
血管系といえば、まず、脳卒中が思い当たる。
わたしの父も、脳卒中患者だった。

にほんブログ村 小さな暮らし
-----------------------------------------------------------------------
けれど、たった一度の発作で亡くなってしまう突然死ではなく、これは運が良かったと言えるのかもしれない。
ただ、脳卒中というものは、身体の運動機能が麻痺したり、発作の場所によっては、言語障害が出たりするのが厄介だろうか。

2度目の発作で、父は半身麻痺になってしまった。
お洒落だった父は、入院先の病院では、病衣の上からヨダレ掛けをぶら下げられるようになった。
嚥下中枢の麻痺により、食物がむせてしまい、うまく飲み込めない。
病衣を汚すという理由で、ヨダレ掛けを付けると、看護ヘルパーさんは私たちに説明した。

そこは、家族の付き添いができないシステムで、父のケアをしていただいている、身としては何も言えない。



ある日、定刻に私が面会に行くと、父が哀しそうな目をして私を見た。
そして、掛布団の上から自分のお腹あたりを叩くようにした。

私は、不思議に思い、父の掛布団をはぐった。
なんと、父はいつもの病衣ではなく、前面に鍵付きのファスナーで開閉する、一見、パジャマのような衣類を着せられていた。

それは、拘束衣といい、痴ほう症の患者などに着せ、文字通り患者本人の生理的な欲求、意志を拘束するための衣類なのだ。
パジャマのように見えるが、上下に分かれることなく、胸から太もも付近あたりまで、一本のファスナーで繋がっている。
そして、ちょうどお臍あたりに錠前が付いていて、健常者であれ決して一人では脱ぎ着できるものではない。


それを見た瞬間、これまでの病院側の不適切な応対、人を人とも思わない不親切な介護に、我慢していた私の堪忍袋が切れた。


すぐさま詰所に行き、婦長さんに断固として抗議をする。
「あのね、お宅のお父さんがオムツを触るので、仕方がないからした処置ですよ」と弁明した。

オートメーション化された介護の現場では、人を人と思うことはない。
父のように頭がまだ、まともな患者は、何か言いたい、けれど言ってはいけない、と分かっているのだ。

結局、父は伝手を頼り、転院することができたけれど、その病院を出る間際までの約一週間、拘束衣が脱げることはなかった。








-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------

※お断り&お知らせ
休日ははコメントボードを閉じさせていただいています。

尚、『NEWメッセージボード』は、そのまま開けております。

こちらは、レスはありませんが、ご伝言ボードとしてご利用くださると有難いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。_(_^_)_











脳卒中に倒れた、父の介護

もう二十年以上になるだろうか、脳卒中に倒れた父の介護を始めた当初は、バリアフリーも整っていない家でレンタルの介護ベッドを使用し、その横にはポータブルトイレを置くだけのスタートだった。

古い家屋の床は畳敷きのまま、トイレもお風呂場も、洗面所だって、バリアフリーなどとは程遠い。
また、介護保険制度もなく、公的な援助を受けることは、難しいことだった。

-----------------------------------------------------------------------
にほんブログ村 小さな暮らし
-----------------------------------------------------------------------
父は、二度目の梗塞発作で、完全に右半身麻痺になってしまう。

利き手が使えないことは、食事、排せつなどの日常の様々な動作に不便を伴う。
水道栓にはタオルを巻くと、左手でも使用可能になると、作業療法士さんに教えてもらい、練習の末できるようになった。

食事はスプーンを持った左手でも食べやすいように細かく刻み、滑り止め付の食器に盛り付けることでこれもまた、何とかできるように、父もよく耐え、頑張った。

こうして父の自宅介護がスタートした。

長女と私は、自分の親の介護もできず、三女に任せっぱなし、たまに実家に戻っても、病か麻痺の所為か、若干、性格の変わった父に、きつくあたってしまう。

意思の疎通が図りにくくなった父はこれまでになく、怒りっぽくなってしまった。
穏やかで物静かだった父を、病が別の人格に変えてしまったようだった。




本当に情けない思いでいたのは父だろうに、突然、身体が不自由になり、今まで出来ていたことが出来なくなる、そんな自分に腹立たしいのは、父のほうであるのに・・・・・・。

帰りの車の中でワンワン泣きながら、たまにしか行けないのに、なぜ、私は父に優しくできないのだろう、と、自己嫌悪に陥り、自分を責めることしかできなかったあの頃。

介護とは、極端に言えば、親の命が尽きるときが、終わり。
それは先の見えない暗闇を彷徨っているような感覚に捉われる。


そんなある日、父の面倒を看ていた三女が、深夜に電話をしてきた。
家の電話からだと父に聞かれてしまうと、公衆電話からだった。


「もうあかん、もうだめやわ」と泣きながら繰り返す妹。
昼夜転倒していた父は、みんなが寝静まったころに、何度も妹を呼ぶ合図を発信する。
妹が起きないと、ベッドサイドのスチールの枠を、『コンコンと指先で鳴らす』のだ。

真夜中の家に、コンコンという音が鳴り響く。
暗く深い、介護という深海に沈んだままの妹に、コンコンという音は耐えられないものだったろう。

電話は、介護の限界にきていた、三女のSOSだった。
女ばかりの姉妹の長女と私は、跡取りだからと三女に、父の介護をある意味、押し付けた。


私は、三女の叫びから、耳を塞ぎ、聞こえないふりをしてきた。
電話の向こうの三女の悲痛な声を聞くまで、ずっと。

そうして、父の娘である私たちは話し合い、父を有料の老人ホームに入居してもらうことにしたのだ。
最近、老々介護や年老いた親の介護のために、仕事を辞めてしまう話しを聞く。

「 どうしたら、みんな疲れずに介護に当たることが出来るのだろう 」、そのころはそんなことを想う日々だった。




-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------

※休日は、コメントボードを閉じさせていただいています。

尚、『NEWメッセージボード』は、そのまま開けております。
こちらは、レスはありませんが、ご伝言ボードとしてご利用くださると有難いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。_(_^_)_






苦手なニンニクを、料理に取り入れたい

私が肉類が苦手なこともあって、わが家の食卓にはあまり肉料理はでない。
肉と言えば、唯一、鶏肉を使った献立になってしまうから、夫は、もしかしたら少し物足りないと思ってるかもしれない。

-----------------------------------------------------------------------
にほんブログ村 小さな暮らし
-----------------------------------------------------------------------
鶏肉以外にタンパク質は、魚かお豆腐で摂るようにしているけど、それでも、一年に何度かは、肉料理、特に苦手な牛肉を使うことがある。

いくら自分が嫌いだと言え、夫も娘もが嫌いではないし、スタミナ源としてのお肉は、献立に取り入れたいなと思っている。
ただ、肉料理は滅多にしないから、肉類のレシピなど無いに等しく、どうしても、ネットのお世話になることが多い。

検索していると画像などでは、とても美味しそうな肉料理のレシピには、ニンニクが欠かせないものが多く、魚にはまず、ニンニクは必要ないのにと恨めしくなってしまう。

牛肉以外に、好き嫌いがあまりない私の、数少ない嫌いな食べ物は、ニンニクと唐辛子なのだ。
特に、ニンニクは匂いを嗅ぐのも苦手で、触れるのもきつい。

なぜ、ニンニクがダメなのだろうと考えてみても、分からないし、思いあたる過去のトラウマもない。

強いて言えば、ニンニクの匂いは、自己を主張し過ぎるように思う、からだろうか。

煮物の多いわが家の献立では、お醤油、お砂糖、味醂、日本酒などの調味料が頻繁に使われる。
炊きあがったお鍋から、湯気が立ち上り、蓋がコトコトと早く開けてと、主張する。

開けるとそこからは、醤油と甘いお砂糖の香りが、絶妙なハーモニーとして漂ってくる。
そこにもし、ニンニクの匂いがすると、どうなんだろう。
わが家の献立には、やっぱり違和感があるように思うのかな。

イタリアンなどには欠かせない具材のニンニクは栄養価も高いらしい。
ニンニクの効用を知るにつれ、匂いが気にならず、和食にも合うような、ニンニクを上手に料理に使えないだろうかと思う。






-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------






【 不定愁訴 】をやり過ごすために、元の自然なリズムを取り戻そう

怪我により定年前に仕事を辞めて、何が変わったかといえば、自分の体力が落ちたことが一番にあるような気がしている。
それは、よく言われる、【不定愁訴】をもたらしてしまう。
本来なら、心は体の健康を守るために、雄々しくのびやかにまろやかにあるものなのに、
不定愁訴を訴えている限り、その心は、不安感で満たされてしまう。

-----------------------------------------------------------------------
にほんブログ村 小さな暮らし
-----------------------------------------------------------------------

先だって、「NEW!メッセージボード」 に書いてくださっていたコメントに、ハッとした。

『【午後10時から午前2時まで】説は色んな意見がありますね
必ずとも そうではないとも 聞いたこともあります。』

胸をつかれたこの言葉に、思い当たる節もあり、ここ、最近の自分を振り返ってみた。


私の場合、体力の衰えは、仕事が生き甲斐だったことで、それを失くしたことによる喪失感から始まったような気がする。
それを補うために、在宅で始めた仕事に打ち込みすぎた。

慣れない営業をし、クラインアントにメールではなく、何よりも苦手としてきた電話をかけ、『 ご機嫌伺い 』 などに精出した。
電話で話すことは、私は、家族や友、知人に至るまで苦手ときている。

社交性に乏しいこの性格ゆえ、自営業になったときから、殻を破らなければならない状況に、追い込まれた。
(自分で追い込んだとも言える・・・・・・)

もともとは、それらが因にあった、と思う。
因果応報と簡単には、まだ語れないけれど、無理をして己の心を捻じ曲げ(悪い行い)をすれば、体調不良(悪い報い)を受けるということだと、そのコメントから思ったのだ。

学説などは、統計論に基づいている。
一人ひとりにあてはめてしまうには、やはり無理があるのだろう。

元々の私は、午前12時頃に寝て、6時半頃に起床していた。
それを、成長ホルモンが盛んに出るのは、「夜10時から夜中2時まで」に、自分で言うのもなんだけど、生真面目な私は、早速、取り入れたのだ。



そのために、どんな犠牲を払うことになっても、頑張るぞ!と意気込む始末。
帰宅の遅い夫は、当然、食事時間も遅くなる、後片付けを9時までに終えてしまわなければ、10時に寝れないではないか!
と、家族のために一生懸命、仕事をしている、その夫に苛立つ。


更に、日常の習慣になっている最大の愉しみの、本を読む時間もとれなくなってしまう。

ね、こう書くと、本当におかしいと書きながらも思う。
これこそ、本末転倒ではないか。
何のために、私は体力作りに欠かせない、免疫力アップを目指したのか、これでは何をしていることやら、 と,、このところの私の日常だった。


それを、メッセージボードのコメントが教えてくれた。

何事にも動じない悟りの精神など私には無理だけど、空を流れる雲に、秋の木漏れ日に、木々の芽吹きには、心の波長を合わせることはできる。


私はわたし、統計論では語れるものでない。
あるがままに生きていこう!そう、元の自分のリズムに還ろう、そう思えたのだ。





-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------

本日、二度目の更新です。
どうぞコメントなどにはお気遣いをされませんように。^^ヾ

拝読をありがとございました。♪(∩。∩;)ゞ・・・



【魔使いの弟子】最終巻を読み終えて

長く愛読してきた、イギリスのYA作家、ジョゼフ・ディレニテイーの【魔使いシリーズ】に、一応の区切りがついた。
あまりにも、私の想像とかけ離れていた結末に、ショックでしばらく、茫然としてしまった。

にほんブログ村 小さな暮らし
-----------------------------------------------------------------------
このシリーズは、本国のイギリスで続編が出版されている。
最終章は終わっても、この続きがまた翻訳されて、日本にも紹介される日が来るだろう・・・・・・か。

魔使いは、その地方の魔の者たち悪霊や幽霊などから人々を守る任に就いている。
平たくいえば、悪魔払いのような役割だ。

リヒューム、ボガートなどと、聞きなれない闇の者たちの名前が、本には何度も登場する。
ファンタジーの世界では、そのネーミングも目新しく、私には新鮮だった。

彼らは、闇(悪)と闘う故に、本来なら感謝されるべきところを人々からは恐れられ、忌み嫌われる。

お金儲けもできず、自分たちが信ずる、光(善)の世界のために闘うのだ。

この本で私は、善と悪について考えざるをえなかった。
初めにも書いたけれど、簡単に言うと、私の想像していた結末にはならなかった。

私は典型的な、勧善懲悪を想像していた(というより、そうなってほしいという願望か?)。
続きを書くためには、悪を完全に滅ぼすわけにはいかなったのだろうけど。

作者のジョゼフ・ディレニテイーさんが書きたかったのは、必要悪についてではないのだろうか。
最終章を読んで心に強く残ったのは、善と悪と、必要悪だった。

地球は、自分自身の内に、善と悪を住まわせている。
そして、内なる中で善と悪を競わせ、ほんのちょっぴり、善が勝るように、自らの意思でしていると、常々私は思っている。

それが、即ち必要悪なんだろうと思う。

魔使いシリーズを読んでいて、そのことをいつも感じていた。
なぜ、善だけではダメなのか、悪が必要なのか。

そこが、最終章では曖昧になっていたように思う。
続編では、そこを書くのだろうか。

それにしても、愛読書と別れる辛さは堪える、早く続編を日本でも出版してほしい!






-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------

ウツウツに対しての暖かなコメントを寄せてくださいまして、
本当にありがとうございました。
読みながら、心が慰めらて、気持ちが和らぎました。






更年期って、いつまで続くものなの!?

寒い日が続きますね。
外出もままならない、こんな時期は、やっぱり炬燵で足を温めて、のんびりと、美味しいお茶を飲むに限りますよね。

-----------------------------------------------------------------------
にほんブログ村 小さな暮らし
----------------------------------------------------------------------
二、三日前からまたまた、気分が優れない。
鬱より、軽いその状態を私は、ウツウツとよんでいる。
(最近、暗い内容のブログばかりを書いていますね)


ウツウツは、仕事のストレスから始まることが多く、そこに、些細な日常の雑多なことがうまくいかなくなり、気付いたら落ち込んだ状態になっている。

実はウツウツを最初に経験したのは『更年期』からだった。
50歳になったばかりのその時は、空腹も感じないし、眠ることもできなくなり、仕事を減らしたけれど身体はついていかず、結局、2週間あまり休職した。

朝になった実感もなく、夕方になると涙がでてくる。
大好きな木々の傍に行っても癒されない。

生きる意味や目標が見えない、希望もない、そんなふうだった。

それから何年も経て更年期は脱したように思うけど、ウツウツだけは後遺症として残ってしまった。



ウツウツから抜け出すには、優しさに包まれることが一番だと自分なりに思っている。
たしかに、あの頃の私もそうだったし、また事実、家族の私に対する優しさ、それで救われた。


在宅で仕事をするようになって、肩書のない今の私は、資料作りに図書館を利用することが多くなった。
これまでは、資料作りは、取材という形で済ますことができたけれど、在宅の今は、その取材になんとはなしに、気後れを感じてしまう。

勤務していたころは、会社というバックボーンがあったから、その威を借りて何ら臆することなく、取材をお願いできた。
そして、堂々と名刺をお渡しすることもできた。
肩書のなくなった今は、そんなある意味、ズルを堂々とできないから、資料集めにせっせと図書館に足を運ぶ。


寒い日が続く今の時期には、こんなことも、ウツウツになるきっかけを簡単に作ってしまう。

ウツウツになる原因を知りたいから、私は、ブログを始めた。
書くことは、自分で気づいていない、心の底の深い場所にある、いろんな想いを、ときに現してくれることがある。

それにしても、更年期障害って、いったい、いつまで続くの!?だろう。






-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 女性シニア
-----------------------------------------------------------------------












四姉妹の真ん中の子に生まれて

私は幼稚園に通っていない。
ところが、5歳年長の姉は幼稚園に通った。
姉が幼稚園に通っているころ、私はまだ赤ん坊だから記憶にはない。

記憶に残っているのは、日本舞踊や勉強学校 (学習塾) に通う、お嬢様のような姉のこと。

にほんブログ村 小さな暮らし
-----------------------------------------------------------------------
そのころ、私の家はダウン症で生まれた四女の入院費が嵩み、暮らしを逼迫していた。
次女の私と三女は、最低限の学用品や給食費、日常の衣類など以外は、すべて末妹のために、我慢を強いられていた。

やはり、第一子というものには、親も多少の見栄、世間体を考えたのだろうか。
私は、モノゴコロつくか付かないかのころから、姉に羨望を感じるあまり、嫉妬に似た想いを抱いていた。

姉は故郷の猟師町の子供らしくなく、色白で、愛らしい顔立ちだった。

私のように、大きな目をギョロギョロさせて、世の中を斜めに見ているような、可愛げのない子どもではなく、日本舞踊の藤娘が似合うような美少女だった。

姉は、大人から可愛いねぇと言われると、少し伏し目になり、耳たぶを真っ赤に染めながら、そんなことはないですと、言うのだ。
色白の姉の耳たぶは、お日様の光を浴びると、向こうまで透き通るように輝き、それはとてもきれいで、私は姉の耳たぶを観るのが好きだった。

姉はほんとうに美しく、誰からも賛辞を受け、方や私は、色黒ギョロ目、牛蒡のように痩せっぽちで、可愛いなどとは無縁のまま、大きくなった。


私の少女期の日々は、自分の容貌を姉と比べ、落ち込み、可愛さゆえに、両親に愛されている姉に嫉妬していたように思う。

きっと、姉のように伏し目がちに笑っていれば可愛げもあったのだろう。
が、私は出来なかった。

相変わらず大きな目をぎょろぎょろさせて、野生動物さながら相手を威嚇するように見るしかできない子どもだったのだ。

四人姉妹というと、人様は「若草物語の四姉妹」を思い浮かべてしまわれる。
少なくとも私は、若草物語のジョーのように、ボーイッシュっで内向的であって本好きな子ではあった。
けれど、姉はメグのように、自分の過去を悔んだり、虚栄心に苛まれたり、しっかり者ではなく、むしろ、のんびりとしていた。


同性という姉妹間では、他と自己を比べ自己否定したり、片や優越感に浸ったりと、割合に早くから熾烈な感情を学んだように思う。

そして今。

実は私たち姉妹は、子どもの頃のわだかまりなど一切なく、とても仲良しで、女ばかりに産んでくれてありがとうと、両親に感謝するのだ。
小さなころの、些細な確執など全く、話題にも出ない。
あのころの姉妹と、今の私たちは、本当に同じ人間なのだろうかと、思うほどなのだ。






-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 女性シニア
------------------------------------------------------------------------












夫婦の幸福

夫と妻の幸福ってなんだろう。
最近、寒さの所為か、しあわせとかぬくもりとか、とにかく、ポカポカと心があったまるようなことを考える。
そんな中で、ひとつの話しを思い出した。

-----------------------------------------------------------------------
にほんブログ村 小さな暮らし
-----------------------------------------------------------------------

小説家、田宮虎彦さんは最愛の奥様、千代夫人に先立たれた。
享年43歳。
ガン性腹膜炎でお亡くなりになられた奥様亡きあと、男手ひとつで二人の息子さんを育て上げ、仕事を伴侶とし、珈琲を唯一の慰めとし生きてこられた。

晩年、取材に答え話された記事を、ご紹介させていただくと、

「しかし、何が良かったかといって、家族がそろっていたときの食事が一番でした。そろっているということがごちそうだった。もうひとつ、これは取り返しのつかないことですが、女房と一緒に台所仕事をしていたら互いにもっと幸福だったろうと思うのです」

と、田宮さんご本人は、取材に答えられた。


ここで、ちょっと私ごとになるけれど、私は4年前、自宅で事故に遭い、膝の手術をし、仕事を辞め、在宅稼業になった。
それをもって、結婚後初の、専業主婦の日々がはじまったのだ。

兼業主婦のころは、苦手で好きではない家事に対し、『仕事が忙しい』という言い訳が使えた。
けれど、それはもう言えない、使えない。


嫌いな家事、特に苦手な料理作りに取り組むことになっていった。
家にいるようになって、とにかく、家事の際限なさに戸惑ってしまった。
チャッチャと片付けようにも、切がない家事、仕事をしているころ以上に疲れるのに、あまりにも日常のなかでは当たり前のことで、報われないではないか、と仕事と比較して思った。


膝を気遣ってくれる、娘も夫も、医師の言いつけどおり、重いものを持たせない、買い物は最小限、という優しさをみせてはくれる。
けれど、家事を代わりにすることは、仕事を持つ二人にはできない。



昨年の秋ごろ、それまで夕食後は自室に行き、仕事をする夫が、どうしたことか、洗った食器を拭き、収納してくれるようになった。

びっくりして、うれしさを言葉にできないほど驚いた。
よほど、私が感謝したのだと思う。


それから、少しずつ夫が台所仕事を手伝うようになってくれた。
さらに、仕事が休みの日には、“男の料理”と称して、夕飯をこしらえてくれるようにもなった。


お好みやたこ焼きなど、粉モンも夫がやると基本通りに作るので、美味しい!思わずうなるくらいだ。
休日の食後の後片付けは、私が洗い、夫が拭きあげる、それを娘が収納する。

キッチンに、三人若しくは夫と二人で、横並びに立つ休日は、かけがえのないひとときになった。
田宮さんが亡き奥さまと共有したかったひと時は、このようなことなのかと思う。

それが、夫婦の幸福なんだろうと、仰りたかったのではと思うのだ。





-----------------------------------------------------------------------
いつもご訪問にあたたかいコメント、クリックをありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

文字をクリック、↓↓↓お願い致します。
にほんブログ村 丁寧な暮らし
-----------------------------------------------------------------------






該当の記事は見つかりませんでした。