ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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弱り目に祟り目

どうやら私も、花粉症の仲間入りをしたようです(たぶん)。
車を運転していると、目がしょぼしょぼはいいとして、かゆくて痒くてたまらなくなります。
ドライアイではないかと、自己診断し、目薬をさしていました。

ところが、一向によくならず、痒みがでてきて、あぁこれは花粉症かと、また自己診断ですが。(;^_^

里の家には、今、メギの花が咲いています。
メギは枝もよく伸び、花をつけ、赤い果実を成らせ秋には草紅葉のように、燃えるような鮮やかな暗赤色になります。
紅要とともに、生け垣によく利用されています。

megi500-2.jpg


目木(メギ) の名の由来は、その茎を煎じて洗眼薬に利用されていたことから付けられた、と言われています。
花言葉「貴方の助けになる」は、枝茎を煎じた液が結膜炎などの目の病気に効くことや果実酒に滋養強壮の効果があることからきているのでしょうか。

megi500.jpg



大昔から、里の暮らしにはいろんな智慧があって、それは植物との関りなくしては成しえなかったのですよね。

それにしても、チゴユリやこのメギ、その他の山野草の仲間には、俯き加減の花々が多いのはどうして。
控えめな山野草は、また居場所もひっそりとしたところですし。

これから初夏を迎えるまで、里にはいろんな山野草が咲いてくれます。
追々、載せていきたいなぁと思います。





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今、整形外科で首体操というのか、
リハビリのような訓練を受けているのです。
そこで、一日の時間割を問診票に記入しました。

改めてびっくりです。
パソコン以外にも、私はデスクに座る時間が、
一日でなんと7時間強!

一つの仕事に煮詰まると、
多分、3時間くらいはデスクから動かなということも、
数字に表したことで分かったのです。

そりゃ、首も肩も、腕も悲鳴をあげますよね。

デスクワークは、30分で一旦、その場を離れることだと、云われました。
30分なんて、すぐに経ってしまいます。

難しいものですね。
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ストレートネックは悪化させると、『 脳梗塞の引き金になることがある 』 らしいです

<ストレートネックを予防したい!>

昨日は病院で、医師から怖いことを告げられました。
ストレートネックを悪化させると、頸動脈の血流が途絶えてしまい、
脳梗塞を発症する引き金になる。と。


<4月26日加筆>

おはようございます。
今朝は痛みもまったくなくて、何も不調を感じない朝が有難いなあ、と思っています。

【ストレートネック】という聞きなれない言葉を医師から告げられたのは、、
もう15年くらい前になります。

その頃は、仕事で多忙を極め、自分の身体を振り返る余裕などなかった。
そんなツケが回ってきたのだと思います。

考えたら、机にかじりつき、俯いてやる作業をして、30年以上も過ぎたのです。
首は、その間、ずっと私の頭を支えてくれていたのですよね……。


仕事を調整し、家事の合間にブログも出来るような、日々を作り上げたいと考えています。

その間、更新や訪問は、ゆっくりのんびりと、または休んだり、そんなふうにさせていただきたく思います。

ブログお休み中も、本当にありがとうございます!!

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憧れの、風にそよいでいたレースのカーテン

週末は、いかがお過ごしでしたか。
日曜日は、初夏のような気候で、春はやっぱり朝夕の気温が違いますね。

私は、リフォームのための、いろんな打ち合わせで、忙しくしていました。

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家に対する私の憧れがあります。
それは、窓辺に揺れる軽やかで涼やかな白いカーテンがある家なのです。


私が生まれ育った昭和の年代は、ふるさとの家々は窓にカーテンを下げるところは少なく、襖や障子で仕切られた、田の字型のしころづくりで、そんな家は個室などもないに等しかったのです。


カーテンとえば、縁側にある黄色っぽい木綿の長いカーテンしかなかったのでした。

周囲の家々もまた、そんなふうなところが多かったと思います。


稀に縁側の掃き出しにシーツのような布を下げている家もあったけど、それらはカーテンではなく、単に布。


初めて窓辺に揺れるレースのカーテンを見たのは、トッコちゃんの家の窓辺でした。

cartenflower.jpg


トッコちゃんは、姉の友だちで、どこか知らない都会から引っ越してきた一家。
その家は、私たちのような古い家屋ではなく、とてもハイカラで、そう、洋館のようだったのです


町には、他にも洋館がありましたが、そこはお城の殿様の氏素性の家々が立ち並ぶ、屋敷街にありました。

トッコちゃんの洋館は、そうではなく町家の近所、八幡様裏の雑木林の隣に建っているのです。

カイヅカイブキや、ウバメガシの生け垣が多い家々にあって、トッコちゃんの家の庭には、周囲を白い柵で囲まれていて、それは、少女漫画の世界そのものだったのです。
植栽も、松、柘植、楠、椛などではなく観たこともないような樹木が植えられている。

トッコちゃんには自分だけの個室があって、ピアノも付近の家のように応接間でなく、その部屋に置かれていました。

ピアノを背にして、東側に張り出し窓、朝日が燦燦と降り注ぐ様を空想しては、うっとりとため息をつき、夢を見ていた幼い私でした。

リフォームしたあとの、居間のカーテンを選びながら、ふと、遠い記憶が蘇ってきたのです。
そして、町の家の窓辺も、せめてキッチンだけでも、あのころの、トッコちゃんの家の窓辺にしたいなぁと思ったのです。






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気候とともにうずく、気圧痛

春は、朝夕の気温差があり、冬場より意外に、体調を崩すことが多い。

山がうっすらとピンク色にお化粧をして、夏の神様に祈りを捧げる、こんな時期、、私は幼いころに受けた、頭の古傷が痛む。 
それ以外には、頭痛はあまり起こさないほうなので、この痛みはかなり堪える。

痛みのあまり睡眠不足になったり、ぼーっとしたり、落ち込んだりする。



遠目では分からないけれど、近くに寄るとその傷はくっきりと今も、左眉の上にある。
7歳の夏休み、私はふるさとの町では珍しいことに、交通事故に遭った。

町のメインストリートを往来するダンプに、撥ねられたのだ。
目撃者によると、トーンコロコロと、3mほども飛ばされたという。

私は身体ごと二回転して、アスファルトに落ちたらしい。
この辺りはもう、覚えていない。



小さな田舎町には、当時は救急車がなかった。
事故を見た近所の人の通報により、パトカーが来た。

パトカーの後部座席に横向きに寝かされた私の、横顔を撫でるように真っ赤な血が、真っ白なシーツを染めていく。
記憶はそこでちょっと途切れる。



病院に運ばれて、頭を縫ったところでまた記憶が戻ってきた。
麻酔をして手術してくれたと思うけれど、物凄い痛みに、私は大声で泣いた。
外に聞こえるほど叫んだらしい。

その声を聞いた母が気分が悪くなってしまい、診察を受けたとあとで知った。


ブログを書きながら、そんなふうに、ふっと過去の自分でも忘れている記憶が出てくることがある。

母に愛されていたのだと、あの小さな自分の想いが、大人になった私を慰めてくれる。



永い人生を生きていく上で、これだけは間違いないと思うことがある。
それは、人間は一人では、決して生きていけないということ。

寂しがり屋で、怖いモノ知らずで、泣き虫で引きこもり気味の私も、誰かに愛されて大切にされてきた過去がある。
ずきずきと痛じむ頭の古傷は、その痛みでもって、私に、あんたも一人ではないんだよと、思い出させてくれるのです。



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美しい猫に、既視感(デジャブ)を覚えたのです

仕事の打ち合わせに向かう途中、信号待ちで、車を停めると、目の端っこに猫の背中が見えました。

c-1.jpg

なんだかそのまま捨て置けなくなって、信号を左折して、路地に車を停めました。

猫は、私の気配に気づいているのか、どうか分かりません。

neko2.jpg

じっと目を凝らしながら、まるでこれから出陣!と言わんばかりに抜き足差し足で歩き出しました。

その背中の肩甲骨というのか、猫も人間と同じ呼称でいいのか知りませんが。

けれど、なんと、美しい。
その背中から、私は目が離せなくなってしまいました。

猫は、まったく私の存在を無視し、そのまま自分の次の行動へと移そうと、背中にまたぐっと、力を入れました。

neko3.jpg

猫をようくご存じの方ならば、この表情は何を物語っているのか、お分かりなのでしょう。
あいにく、私は犬と暮らしたことはありますが、猫とは生活を共にしたことがありません。

横顔を見つめながら、しばらく考え込んでしまいました。

「・・・・・・どこに行くの?」

「そんなに真剣に見つめて、その目の先には、一体、何があるの?」

neko5.jpg


首には鈴をつけています。
きっとどこかのお家で、大切にされ愛されている猫なんでしょう。

私を見ることは一切なく、ずっと自分の世界に住む猫に、私は、ちょっと嫉妬したのでした。
イイナ、羨ましいなぁと。

車に戻りながら私の胸には、【 既視感 】 という言葉が浮かびました。

いつか来たことがあるような、知らないはずなのに、しばらくぶりに会えた友だちのような、懐かしさを、覚える。
不意に感じる懐かしさに胸が熱くなる、ことがある。

あのデジャヴと言われる、胸がキュンとなる感情です。

この美しい猫に、そんな気持ちになってしまったのです。





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真夜中の鏡に、母がいる

最近、寝付いて二時間くらいすると目が覚めることが続いています。

大したことはないですが、私の取柄は、バタンキューと寝つき、朝までぐっすり、ということです。
なので、これも生理的なことだと思って、気にしないようにしています。

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昨夜のことです。

真夜中の2時半、目覚めた私はお手洗いを済ませ、洗面所の鏡を何気なく見ました。



小さなころ、家は高野山信仰で、私たちは七つ、と十三歳にはお札をいただきに、奥の院にあがる習慣がありました。
奥の院は、昼なお暗く、杉木立が鬱蒼としていて、まさに幽玄の世界、幼心にも畏怖の念に打たれるのです。

これは記憶違いになるかもしれないですが、お参りにあがる坊のお坊様が、

「夜中に鏡をみてはいけません、異境のモノが映ります」と、ご説法の合間に言われます。

小さなころだったから記憶違いだとしたらお許しください。



とにかく、それは家でも、「 真夜中には鏡を見たらあかんよ 」と、祖母も始終、口にしていたことでした。
子どもが真夜中に起きるなんて、滅多にあるものではありません。
それでも、なんとなくも悍ましいものを感じ、以来、ある程度、云いつけは守ってきたように思います。

験担ぎの意味もあったのでしょう。


昨夜、心境の変化か、何気なしに、真夜中の鏡を見てしまったのです。

すると、そこには懐かしい母がいました。

「えっお母さん!」と声には出さなかったけど、胸がじんと温かくなって、鏡の前から暫くは、離れたくなかったのです。

去りがたい想いを抱えて、ベッドへと戻りました。
冷静になって考えなくても、鏡に見た母は、実際には私です。

私は母に風貌は似ていません。
細い目の小さな鼻、おちょぼ口の、純和風の母のような女性になれたらと、幾度となく思いました。


私は残念ながら、父に似てしまいました。
なのに、真夜中の鏡には異境の妖ではなく、びっくりするくらい母によく似た私がいたのです。

これからはお母さんに逢いたくなったら、真夜中の自分を鏡で見たらいいのだと、心が温かくなる嬉しい発見でした。
真夜中の鏡に、まさか、こういう出来事が待っているとは思いもしませんでした。


歳を重ねると、自分の顔や仕草、物言いなどに、真夜中の私のようなことを感じることがあるのかもしれません。

自分を形成し、この身体に流れている、血というものをしみじみと思わされた、深夜の出来事でした。
いつか順繰りに、私の娘も真夜中の鏡に、母を見る日が来るのでしょうか。






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わが家の万能薬

薬嫌いと何度も、ブログには載せていますから、ご存じの方もいらっしゃることでしょうが。
私は薬嫌い、でした。

けれど、最近は、そんな意固地にならなくても、痛いときは我慢せず、薬に頼る。
という心境に変わりつつあります。
それでも、根本に薬に対する不信感があって、それは過去に薬の処方ミスを受けてしまった、そのトラウマだと思うのです。

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こんな私は、和漢生薬などの古来から里で使用されてきた薬、陀羅尼助丸などは問題なく服用することができるのです。おかしな話ですけどね。


その昔、農業への衰退が見え始めたころ、私たちの住まいがある里の長老たちは考えました。
生産農家としてやっていく道以外に、何か糧を得るものをと。

そこで、山々の斜面に、畑に、川沿いの畝に、南天を植えました。
それが【 南天喉飴 】 の原材料として里を潤した時代がありました。

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もっと昔、和漢胃腸薬の【 陀羅尼助丸 】 の原材料を栽培していた時代もありました。
わが家では、胃腸の具合が悪いとき、それ以外のなんとなく体調がすぐれない木の芽どきなどに、陀羅尼助を飲みます。

それでダメな場合は、何か他の病気ではないか、ということになるのです。
決して、薬の宣伝ではありません。^^ヾ


dara.jpg

─引用─
天武天皇の頃、各地に疫病が流行しました。
天皇の指示で様々な対策が試みられましたが、一向に衰える気配がありません。
そこで、当時、修験道の開祖として崇められた役行者が、大峯の山中に自生していた「黄はだ」という木の皮を水で煎じて薬をつくり、人々に与えました。

すると、たちまち疫病は治まり、その薬によって多くの人命が救われました。
その薬こそ「陀羅尼助丸」であるのです。


里の昔は、この生薬の原材料、オオバコ、ゲンノショウコ、オウバクなどを栽培していました。
それももう、今は昔、のことです。
陀羅尼助は、今も大峰山麓だけで、ひっそりと息づき、販売店はたくさんあります。

過疎化が進む、里の今後を想うと、人々が暮らせるための課題が山積みなんですね。


ご心配いただいた、私たちの里の住まいの行く末ですが。
家は危険なので取り壊しますが、平地にして、山野草や果実の成る木々は、残しておこうと思っています。

何かあると手を合わせた、小さな祠もあります。
いつの日か、娘が訪れたくなるときが、来るかもしれませんから。




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『小さなお話に画を添えて』、というカテゴリーを追加しました

別にわざわざ告知するほどのことでもないのですが。σ(^_^;)
当ブログカテゴリーに、『小さなお話に画を添えて』を追加いたしました。

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私が初めてWeb日記を書き始めたのは、2000年でした。
そのころは、まだ、今のようにブログというスタイルはなく、サイト内のマイページに日記を書いていたのです。

私も、OCN Cafeという大手プロバイダが運営するSNSに登録し、マイページに公開日記を書いていました。
それぞれが、マイページを持っていて、自分の日記を更新するとトップサイトに掲載され、いろんな方が訪問してくれるようになりました。

コメント欄ももちろんあって、また、足跡機能で自分の訪問を知らせると同時に、相手に一言メッセージを残せるのです。

この頃は、本当にパソコンは魔法の箱だと思うほど、モニターの向こうの、「見知らねあなた」、との交流は面白く愉しく、徹夜をすることも度々でした。

長く続いた、OCN Cafeも、数年前にそのサービスを終了したようです。
私はその前に、退会していましたが、今もCafe時代の方とは交流しています。


ブログで日記を書くようになってからは、ちょうど10年が過ぎました。
何度かURLやハンドルネームを変えてしまいましたので、このブログで10年、ということではありません。

私の書く内容は、子どものころ、あるいは過ぎ去った日々の懐かしい記憶を元に、
折々に日々の暮らしで思うことを綴っています。

自分の懐かしい日々のことなど、ようく考えると、一人よがりのナニモノでもないのですよね。
ですから、それらは、『小さなお話に画を添えて』として、創作物語ふうに書いてみようと思いました。

画は、”え”と読んでくださるとうれしいです。

手書きの水彩画、色鉛筆画、あるいはパソコン画、たまに写真などを載せます。
ですから、あえて、絵にしないで、画としました。




小さなお話には、続きがあります。
小学生のころ、ノートに小さなお話と絵を描いた物語を紡いでいたことがあります。
B5版くらいのノートで、『ゆっこちゃんのゆめ』というタイトルをつけていました。

その物語のなかで、ゆっこちゃんに、私は、叶えられない自分の願いや、夢、悲しさなどを書いていました。
物語は4年生から5年生の二学期まで続きましたが、ついに、最終回を迎えてしまいました。

お話の中で、私は、ゆっこちゃんを死なせることにしたのです。


当時、とても仲良しだった、きみちゃんが泣きだして、
「お願い、ゆっこちゃんを殺さんといて!」と鼻水まで垂らしながら、私に哀願するのです。

すると、尾崎さん、和ちゃん、慶子ちゃん、みっちゃん、あぁ、メグミちゃんも、私の机の周りをとり囲むのです。σ(^_^;)
そうだ、貴子ちゃんもいましたっけ。


そのあと、きみちゃんは13歳で、みっちゃんは乳がんで38歳で亡くなってしまいました。

小さなお話を書いてみようと思う心には、この二人の友だちへの懐いが私のなかにあるのです。
一人よがりの記憶の中にしか生きていない想い出の数々を、物語として読んでくださることを願っています。






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野菜嫌いだった私だけど

昔の野菜は、水でよく洗っても、茹でると必ず、大人の指の太さほどもある青虫が出てきたものだった。
ブロッコリーに、カリフラワーなどは、特に悲惨で、お鍋のなかで、野菜、虫、どちらを食べるのかと思うほど。

思うに、農薬を使わない野菜作りをしていたら、当たり前のこと。
冷蔵庫で腐らない食べ物、虫も出ない野菜の方に問題はあるのだろうとは思うけど、あの青虫はやっぱりよろしくない。

小さなころは、青虫が怖くて気持ちが悪くて、どうしても、ほうれん草を食べることができなかった。
ホウレン草が、青虫の化身のように思えた。

それと、これも問題であったのは、玉ねぎが食べられなかったことだった。
私のふるさとは、当時は水茄子よりも玉ねぎの生産地として名を馳せていたから。



小学校二年生のころだった。
担任の先生が、休み時間に、
「面白い話をするから、みんな先生のところにおいでー」と言った。

先生の口からは、子どもが目を輝かせて聞くような、面白い話が次々に飛び出した。

話のおしまいに、

「みんな、ポパイの漫画をテレビで観てるやろ?
ポパイは強くなりたいと思ったら、ほうれん草の缶詰を食べるやろ?」

「あれはな、テレビ漫画を作っている会社が、ほうれん草の缶詰を作っていて、
 みんなにほうれん草はすごいと教えてくれてるんやで」
ニコニコとと笑いながら、先生は、言われました。

tegaki.jpg


大きく強くなりたいと思うのなら、缶づめでなくてもいいけれど、ほうれん草をしっかり食べるように、と。

子どもなんて、他愛のないものだと思う。
それを聞いて以来、私はほうれん草だけでなく他の野菜も食べることが出来るようになった。

今は、何がなくとも、ほうれん草や玉ねぎなどの野菜類は食卓に欠かせない存在だ。

そしてふと、ほうれん草を茹でながら、青菜から出てきた、昔のあの青虫が懐かしいなぁと思うのだ。




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あの懐かしい紅玉リンゴは、どこに行ったのでしょうか

紅玉というリンゴが、ありました。
昔は、果物屋さんの店先には必ずあったのに、最近は見かけなくなりました。
ちょっと小ぶりのまん丸い形が愛らしく、私は果物屋さんの前を通る時、買う気もないのに、紅玉があると、ついふらふらと中に入ってしまうのです。


紅玉はその名が示すように紅色で、他の果物の中にあって、目立っていたように、子ども心に思ったものです。




あれは、高校2年のクリスマスのことです。
高校生になって初めて友だちになった、陽子ちゃんの家のクリスマスパーティーに招いていただきました。

クリスマスのご馳走をいただいた後に、おばさんお手製の、アップルパイがデザートに出ました。
パウダーシュガーというのでしょうか、それが甘酸っぱいリンゴの上からふわっと、粉雪のように積もっていて、パイはホワイトクリスマスのようでした。


じっと目を凝らすと、パイの中から、真っ白で小さな雪の妖精がでてきそうな、夢のようなお菓子でした。


それが、初めて味わった、あの紅玉リンゴだったのです。

apple2.jpg


お暇するときに、おばさんが
「ちょっと待ってね~」と言うと、台所から紙袋に入れた紅玉リンゴを、お土産に持たせてくれました。

下宿に着いた私は、そのままの紅玉をガブリと一口、齧りました。
口中に甘酸っぱさが広がり、東北の田舎で、お日様の温かみをいっぱい浴びている、紅玉リンゴの姿が見えたのです。

あれから何十年過ぎたのでしょう。
私は、今もやっぱり果物屋さんの前を通ると、あの懐かしい紅玉リンゴを、ふと思い出すのです。
いつか、妖精のでてきそうな、紅玉リンゴのアップルパイを私も作って見たいなと思いながら。





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