ゆりかごの歌

小さなお話に画を添えて、心がほっこりするようなブログを書いてみたい。
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ベランダのある家で暮らしたかった

里の住まいから、この町家に住むことに決めて、日々に嬉しいのは、なんといっても、ベランダがあることなのです。


ベランダと言っても、ロミオとジュリエットのあの、有名なシーンに出てくる、バルコニーではない。
単に二階の一部屋から突き出ている、小さなほんとうにちっぽけなスペースを、私は大げさに喜んでいるのです。
私は、ずっと、ベランダのある家に住んだことはありませんでした。
実家は平屋建て、嫁いだ先もベランダなどはなく、洗濯物などは、裏庭の端っこの木に掛けた、竿に干していました。


町家は、狭い土地を有効利用しているからか、洗濯物などは、庭よりも二階のベランダに干すほうが乾きがよいのです。
手術をした足が痛む日は、ちょっと面倒だなぁ、と思うことはあります。



けれど、町家といえわが家付近はまだまだ田舎で、住宅はまばらにある程度。

二階に上がりベランダに立つと、ずっとずっと先まで見渡すことができる。
視界に入る一番先には、国道がありその向こうには、里の住まいがある山々が微かに見渡せる。




この小さなベランダに小さな椅子を置き、たまにコーヒーを飲みます。
心は、はるか彼方にとんでいく。
そんなときには、洋楽を聴いているのです。
ビリージョエル、ビージーズ、サザン、などなど。

ベランダで、若かったころに好きだった音楽を聴きながら、思うのです。
子どものころ、『 小さな恋のメロディー 』という映画があったなぁと。

従姉姉に連れていってもらい、観ました。
最後のシーンを鮮明に記憶しているのです。

主人公の少年と少女は、友だちに助けられ、結婚式を挙げました。
そのあと、トロッコに乗り、遠く遠く線路が続く果てまで、旅に出るのです。

あぁ、そうか、私が電車が好きなのは、だからだ、とはたと気がついたのです。

ずっと平屋建ての家にしか住んだことがなく、どんなに小さくても出窓のように突き出た、そんな空間が持てた。
単純な私は、本当にうれしいなと思っています。

そしてまた、空は、ひとつとして同じになったことはなく、雲の流れ、風の運動会などのように、すべてはゆっくり変わって行く。
里も町でも、自分の居場所はあるのです。
ようやく、これでいいんだと、思えるようになりました。

mamusi.jpg

色鉛筆画 マムシ草





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決めました、やっぱり健康が一番ですから

首を酷使しないように、日常生活で気をつけていると思わぬ発見があります。

私は決して料理上手ではありません、が、一つだけ自慢できるのは、作ることが好きだということです。
特に炒飯などを作る時に、丸く深い中華鍋を、夫が顔負けするくらい、大きく強く振ると、心がワクワクしてくるのです。

包丁をとんとん音させて、キュウリや大根を細く刻む作業は、ストレス解消にもなるのです。
おかしいでしょうか。(;^_^

強い火力でもって勢いよく振ると、お米がパラパラとようく捌けた炒飯に仕上がります。
鍋肌に落とした醤油、ごま油の香りが、一層、引き立つような気もします。

日曜日のお昼などに、たまに作ると、「美味しい?」なんて訊かなくても、
家族からは知らずのうちに、美味しい!と言葉に出るのです。


tyu.jpg


そんなときの「美味しい!」ほど、主婦を喜ばせるものはないですよね。

ところが、その動作も首に負荷がかかり、今は出来ません。
日常の何気ない動作一つをとってみても、首に力が入らなくては不自由なものだなと、実感しています。

デスクワークなどの俯く作業から離れるのは、30分は無理ですから1時間に決めて、
コメントに書いて下さったように、家中に響き渡る大音量で、キッチンタイマーをセットするようにしました。


それに加え、緩やかなシフトダウンは難しいので、これをきっかけに、きっぱりさっぱりと、仕事はやめることにしました。

お客様のところへは、昨日付で廃業届を郵送しました。
納期が決まっていて、お引き受けした仕事二件を納めると、私の仕事人としては最後になるのです。

ちょっと寂しくは思います。



けれど、ストレートネックの痛みは、
事故で膝を損傷したことより、私は未練たらたらで止められなかった仕事、その仕事の引き際の決断を促してくれたのです。


身体の痛みや不調は、ときに、人生のターニングポイントになるのかもしれません。



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今日から長い休日になる方もいらっしゃることでしょうか。
どうぞ楽しい連休をお過ごしください!



お鍋の数は少なかったけれど、母は幸せそうだった

GW明けに始まるリフォームに向けて、少しずつですが、キッチンの整理 (断捨離)をしています。
たった三人家族だというのに、わが家には、お鍋がたくさんあります。
両手、片手、深型、浅型、寸胴、フライパン、蒸し鍋、などなど、15個もありました。

リフォーム前に整理をしようと思い、数えてみたのです。
あっ、土鍋も三つあります。

普通はどれくらいあるものなのか分かりませんが、家族数から言うとこの数は、多いのではないでしょうか。
鍋の数が多いと、さも料理上手になるみたいな気がして、買い集めたのかもしれません。

聖女マザーテレサは、生涯を通して下穿き二枚と聖衣、洗濯用のバケツ一つで過ごしたと言われます。

比べるのも変ですが、なんだか、自分で自分が悲しくなります。
この際、重い鍋は処分して軽い種類だけ数個にしようと決めましたが、まだ新しい鍋を手にすると、捨てるのが躊躇われるのです。



小さなころ、母は鉄製の深鍋をそれはそれは大切に使っていました。
竃の火口の奥に、いつもその黒いお鍋はありました。
学校から帰ると、私たちは真っ先にそのお鍋の蓋を開けます。

nabekuro.jpg


蒸したサツマイモが入っていると、嬉しくてキャァキャァ言ったものです。
黒いお鍋で朝は茶粥が炊かれ、夏場にはキュウリや水茄子の浅漬けで、茶粥を食べてから登校するのです。

茶粥を食べてから、学校まで急ごうと走ると、お腹がちゃぽんちゃぽんと音がして、恥ずかしいなと思ったものでした。


鉄のお鍋の底には、継ぎ接ぎが何ヶ所かありました。

薄くなったお鍋の底を、鋳掛やさんが来たときに、修繕してもらうのです。

あの頃の母は、僅かな鍋しか持っていなかった。
それらを修繕したりしながら大切に使い、便利な道具など無くても、美味しいご飯を作ってくれたのです。



母にはお鍋は三つか四つしかなかったかもしれない。
けれど、お鍋をたくさん持っている私よりも、母は幸せそうだったなぁと思うのです。


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弱り目に祟り目

どうやら私も、花粉症の仲間入りをしたようです(たぶん)。
車を運転していると、目がしょぼしょぼはいいとして、かゆくて痒くてたまらなくなります。
ドライアイではないかと、自己診断し、目薬をさしていました。

ところが、一向によくならず、痒みがでてきて、あぁこれは花粉症かと、また自己診断ですが。(;^_^

里の家には、今、メギの花が咲いています。
メギは枝もよく伸び、花をつけ、赤い果実を成らせ秋には草紅葉のように、燃えるような鮮やかな暗赤色になります。
紅要とともに、生け垣によく利用されています。

megi500-2.jpg


目木(メギ) の名の由来は、その茎を煎じて洗眼薬に利用されていたことから付けられた、と言われています。
花言葉「貴方の助けになる」は、枝茎を煎じた液が結膜炎などの目の病気に効くことや果実酒に滋養強壮の効果があることからきているのでしょうか。

megi500.jpg



大昔から、里の暮らしにはいろんな智慧があって、それは植物との関りなくしては成しえなかったのですよね。

それにしても、チゴユリやこのメギ、その他の山野草の仲間には、俯き加減の花々が多いのはどうして。
控えめな山野草は、また居場所もひっそりとしたところですし。

これから初夏を迎えるまで、里にはいろんな山野草が咲いてくれます。
追々、載せていきたいなぁと思います。




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今、整形外科で首体操というのか、
リハビリのような訓練を受けているのです。
そこで、一日の時間割を問診票に記入しました。

改めてびっくりです。
パソコン以外にも、私はデスクに座る時間が、
一日でなんと7時間強!

一つの仕事に煮詰まると、
多分、3時間くらいはデスクから動かなということも、
数字に表したことで分かったのです。

そりゃ、首も肩も、腕も悲鳴をあげますよね。

デスクワークは、30分で一旦、その場を離れることだと、云われました。
30分なんて、すぐに経ってしまいます。

難しいものですね。
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ストレートネックは悪化させると、『 脳梗塞の引き金になることがある 』 らしいです

<ストレートネックを予防したい!>

昨日は病院で、医師から怖いことを告げられました。
ストレートネックを悪化させると、頸動脈の血流が途絶えてしまい、
脳梗塞を発症する引き金になる。と。


<4月26日加筆>

おはようございます。
今朝は痛みもまったくなくて、何も不調を感じない朝が有難いなあ、と思っています。

【ストレートネック】という聞きなれない言葉を医師から告げられたのは、、
もう15年くらい前になります。

その頃は、仕事で多忙を極め、自分の身体を振り返る余裕などなかった。
そんなツケが回ってきたのだと思います。

考えたら、机にかじりつき、俯いてやる作業をして、30年以上も過ぎたのです。
首は、その間、ずっと私の頭を支えてくれていたのですよね……。


仕事を調整し、家事の合間にブログも出来るような、日々を作り上げたいと考えています。

その間、更新や訪問は、ゆっくりのんびりと、または休んだり、そんなふうにさせていただきたく思います。



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憧れの、風にそよいでいたレースのカーテン

週末は、いかがお過ごしでしたか。
日曜日は、初夏のような気候で、春はやっぱり朝夕の気温が違いますね。

私は、リフォームのための、いろんな打ち合わせで、忙しくしていました。

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家に対する私の憧れがあります。
それは、窓辺に揺れる軽やかで涼やかな白いカーテンがある家なのです。


私が生まれ育った昭和の年代は、ふるさとの家々は窓にカーテンを下げるところは少なく、襖や障子で仕切られた、田の字型のしころづくりで、そんな家は個室などもないに等しかったのです。


カーテンとえば、縁側にある黄色っぽい木綿の長いカーテンしかなかったのでした。

周囲の家々もまた、そんなふうなところが多かったと思います。


稀に縁側の掃き出しにシーツのような布を下げている家もあったけど、それらはカーテンではなく、単に布。


初めて窓辺に揺れるレースのカーテンを見たのは、トッコちゃんの家の窓辺でした。

cartenflower.jpg


トッコちゃんは、姉の友だちで、どこか知らない都会から引っ越してきた一家。
その家は、私たちのような古い家屋ではなく、とてもハイカラで、そう、洋館のようだったのです


町には、他にも洋館がありましたが、そこはお城の殿様の氏素性の家々が立ち並ぶ、屋敷街にありました。

トッコちゃんの洋館は、そうではなく町家の近所、八幡様裏の雑木林の隣に建っているのです。

カイヅカイブキや、ウバメガシの生け垣が多い家々にあって、トッコちゃんの家の庭には、周囲を白い柵で囲まれていて、それは、少女漫画の世界そのものだったのです。
植栽も、松、柘植、楠、椛などではなく観たこともないような樹木が植えられている。

トッコちゃんには自分だけの個室があって、ピアノも付近の家のように応接間でなく、その部屋に置かれていました。

ピアノを背にして、東側に張り出し窓、朝日が燦燦と降り注ぐ様を空想しては、うっとりとため息をつき、夢を見ていた幼い私でした。

リフォームしたあとの、居間のカーテンを選びながら、ふと、遠い記憶が蘇ってきたのです。
そして、町の家の窓辺も、せめてキッチンだけでも、あのころの、トッコちゃんの家の窓辺にしたいなぁと思ったのです。






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気候とともにうずく、気圧痛

春は、朝夕の気温差があり、冬場より意外に、体調を崩すことが多い。

山がうっすらとピンク色にお化粧をして、夏の神様に祈りを捧げる、こんな時期、、私は幼いころに受けた、頭の古傷が痛む。 
それ以外には、頭痛はあまり起こさないほうなので、この痛みはかなり堪える。

痛みのあまり睡眠不足になったり、ぼーっとしたり、落ち込んだりする。



遠目では分からないけれど、近くに寄るとその傷はくっきりと今も、左眉の上にある。
7歳の夏休み、私はふるさとの町では珍しいことに、交通事故に遭った。

町のメインストリートを往来するダンプに、撥ねられたのだ。
目撃者によると、トーンコロコロと、3mほども飛ばされたという。

私は身体ごと二回転して、アスファルトに落ちたらしい。
この辺りはもう、覚えていない。



小さな田舎町には、当時は救急車がなかった。
事故を見た近所の人の通報により、パトカーが来た。

パトカーの後部座席に横向きに寝かされた私の、横顔を撫でるように真っ赤な血が、真っ白なシーツを染めていく。
記憶はそこでちょっと途切れる。



病院に運ばれて、頭を縫ったところでまた記憶が戻ってきた。
麻酔をして手術してくれたと思うけれど、物凄い痛みに、私は大声で泣いた。
外に聞こえるほど叫んだらしい。

その声を聞いた母が気分が悪くなってしまい、診察を受けたとあとで知った。


ブログを書きながら、そんなふうに、ふっと過去の自分でも忘れている記憶が出てくることがある。

母に愛されていたのだと、あの小さな自分の想いが、大人になった私を慰めてくれる。



永い人生を生きていく上で、これだけは間違いないと思うことがある。
それは、人間は一人では、決して生きていけないということ。

寂しがり屋で、怖いモノ知らずで、泣き虫で引きこもり気味の私も、誰かに愛されて大切にされてきた過去がある。
ずきずきと痛じむ頭の古傷は、その痛みでもって、私に、あんたも一人ではないんだよと、思い出させてくれるのです。



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美しい猫に、既視感(デジャブ)を覚えたのです

仕事の打ち合わせに向かう途中、信号待ちで、車を停めると、目の端っこに猫の背中が見えました。

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なんだかそのまま捨て置けなくなって、信号を左折して、路地に車を停めました。

猫は、私の気配に気づいているのか、どうか分かりません。

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じっと目を凝らしながら、まるでこれから出陣!と言わんばかりに抜き足差し足で歩き出しました。

その背中の肩甲骨というのか、猫も人間と同じ呼称でいいのか知りませんが。

けれど、なんと、美しい。
その背中から、私は目が離せなくなってしまいました。

猫は、まったく私の存在を無視し、そのまま自分の次の行動へと移そうと、背中にまたぐっと、力を入れました。

neko3.jpg

猫をようくご存じの方ならば、この表情は何を物語っているのか、お分かりなのでしょう。
あいにく、私は犬と暮らしたことはありますが、猫とは生活を共にしたことがありません。

横顔を見つめながら、しばらく考え込んでしまいました。

「・・・・・・どこに行くの?」

「そんなに真剣に見つめて、その目の先には、一体、何があるの?」

neko5.jpg


首には鈴をつけています。
きっとどこかのお家で、大切にされ愛されている猫なんでしょう。

私を見ることは一切なく、ずっと自分の世界に住む猫に、私は、ちょっと嫉妬したのでした。
イイナ、羨ましいなぁと。

車に戻りながら私の胸には、【 既視感 】 という言葉が浮かびました。

いつか来たことがあるような、知らないはずなのに、しばらくぶりに会えた友だちのような、懐かしさを、覚える。
不意に感じる懐かしさに胸が熱くなる、ことがある。

あのデジャヴと言われる、胸がキュンとなる感情です。

この美しい猫に、そんな気持ちになってしまったのです。





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真夜中の鏡に、母がいる

最近、寝付いて二時間くらいすると目が覚めることが続いています。

大したことはないですが、私の取柄は、バタンキューと寝つき、朝までぐっすり、ということです。
なので、これも生理的なことだと思って、気にしないようにしています。

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昨夜のことです。

真夜中の2時半、目覚めた私はお手洗いを済ませ、洗面所の鏡を何気なく見ました。



小さなころ、家は高野山信仰で、私たちは七つ、と十三歳にはお札をいただきに、奥の院にあがる習慣がありました。
奥の院は、昼なお暗く、杉木立が鬱蒼としていて、まさに幽玄の世界、幼心にも畏怖の念に打たれるのです。

これは記憶違いになるかもしれないですが、お参りにあがる坊のお坊様が、

「夜中に鏡をみてはいけません、異境のモノが映ります」と、ご説法の合間に言われます。

小さなころだったから記憶違いだとしたらお許しください。



とにかく、それは家でも、「 真夜中には鏡を見たらあかんよ 」と、祖母も始終、口にしていたことでした。
子どもが真夜中に起きるなんて、滅多にあるものではありません。
それでも、なんとなくも悍ましいものを感じ、以来、ある程度、云いつけは守ってきたように思います。

験担ぎの意味もあったのでしょう。


昨夜、心境の変化か、何気なしに、真夜中の鏡を見てしまったのです。

すると、そこには懐かしい母がいました。

「えっお母さん!」と声には出さなかったけど、胸がじんと温かくなって、鏡の前から暫くは、離れたくなかったのです。

去りがたい想いを抱えて、ベッドへと戻りました。
冷静になって考えなくても、鏡に見た母は、実際には私です。

私は母に風貌は似ていません。
細い目の小さな鼻、おちょぼ口の、純和風の母のような女性になれたらと、幾度となく思いました。


私は残念ながら、父に似てしまいました。
なのに、真夜中の鏡には異境の妖ではなく、びっくりするくらい母によく似た私がいたのです。

これからはお母さんに逢いたくなったら、真夜中の自分を鏡で見たらいいのだと、心が温かくなる嬉しい発見でした。
真夜中の鏡に、まさか、こういう出来事が待っているとは思いもしませんでした。


歳を重ねると、自分の顔や仕草、物言いなどに、真夜中の私のようなことを感じることがあるのかもしれません。

自分を形成し、この身体に流れている、血というものをしみじみと思わされた、深夜の出来事でした。
いつか順繰りに、私の娘も真夜中の鏡に、母を見る日が来るのでしょうか。






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わが家の万能薬

薬嫌いと何度も、ブログには載せていますから、ご存じの方もいらっしゃることでしょうが。
私は薬嫌い、でした。

けれど、最近は、そんな意固地にならなくても、痛いときは我慢せず、薬に頼る。
という心境に変わりつつあります。
それでも、根本に薬に対する不信感があって、それは過去に薬の処方ミスを受けてしまった、そのトラウマだと思うのです。

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こんな私は、和漢生薬などの古来から里で使用されてきた薬、陀羅尼助丸などは問題なく服用することができるのです。おかしな話ですけどね。


その昔、農業への衰退が見え始めたころ、私たちの住まいがある里の長老たちは考えました。
生産農家としてやっていく道以外に、何か糧を得るものをと。

そこで、山々の斜面に、畑に、川沿いの畝に、南天を植えました。
それが【 南天喉飴 】 の原材料として里を潤した時代がありました。

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もっと昔、和漢胃腸薬の【 陀羅尼助丸 】 の原材料を栽培していた時代もありました。
わが家では、胃腸の具合が悪いとき、それ以外のなんとなく体調がすぐれない木の芽どきなどに、陀羅尼助を飲みます。

それでダメな場合は、何か他の病気ではないか、ということになるのです。
決して、薬の宣伝ではありません。^^ヾ


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─引用─
天武天皇の頃、各地に疫病が流行しました。
天皇の指示で様々な対策が試みられましたが、一向に衰える気配がありません。
そこで、当時、修験道の開祖として崇められた役行者が、大峯の山中に自生していた「黄はだ」という木の皮を水で煎じて薬をつくり、人々に与えました。

すると、たちまち疫病は治まり、その薬によって多くの人命が救われました。
その薬こそ「陀羅尼助丸」であるのです。


里の昔は、この生薬の原材料、オオバコ、ゲンノショウコ、オウバクなどを栽培していました。
それももう、今は昔、のことです。
陀羅尼助は、今も大峰山麓だけで、ひっそりと息づき、販売店はたくさんあります。

過疎化が進む、里の今後を想うと、人々が暮らせるための課題が山積みなんですね。


ご心配いただいた、私たちの里の住まいの行く末ですが。
家は危険なので取り壊しますが、平地にして、山野草や果実の成る木々は、残しておこうと思っています。

何かあると手を合わせた、小さな祠もあります。
いつの日か、娘が訪れたくなるときが、来るかもしれませんから。




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